連載小説 第27回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ> サイコーエジソン株式会社9年目のIC営業部海外営業課の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを海外に売っているんですよ。でも、もう大台に乗ってしまいました。しかも独身のままです(焦)。

 

 

 

第27話  シリコンサイクルと私

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。私は同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。なお、トム君は名前の割に純ジャパです(笑)。私もトム君ももう主任です。職場には後輩も沢山入ってきて楽しいのですが、私は独身のまま、大台に乗ってしまいました。オーマイガーなのです。

 

1988年を覚えている人はいますでしょうか。ソウルオリンピックのあった年です。長い間、アジアで大きく経済発展しているのは日本だけかと思っていたところ、香港、シンガポール、韓国、台湾の工業が急速に成長し、NIES(新興工業経済地域)とかNICS(新興工業国)とか言われるようになってきました。1980年代後半はNIESの勢力がどんどん強くなり、ソウルオリンピックは韓国の発展の象徴的イベントになりました。中国はまだまだだった頃です。

ソ連ではゴルバチョフ書記長のもと、ペレストロイカが進んだ年でもあります。今では、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)という言葉さえも知らないような若者が増えてきているようですが、当時は米ソ対立(冷戦)が世界の軸になっており、知らない人はいない時代でした。

ゴルビー(ゴルバチョフの愛称)はその後のソ連崩壊を招いたとしてマイナスの評価をする人もいますが、一方で政治経済の改革を推進し、結果としてソ連内各国の独立や東欧諸国の民主化が進み、アメリカとの冷戦が終結に至るという歴史的な時代の流れを作った人物です。

アメリカでは大統領選挙がありパパブッシュが新大統領に就任しました。大統領選の年はオリンピックイヤーでもあり、大抵は景気が良くなりました。半導体産業にとってもシリコンサイクルと呼ばれる景気の波があり、産業全体が伸び続ける中での高波にあたる、西暦で4の倍数の年とその前後くらいは需給が逼迫して製造が追いつかないという事態になりました。

ひとたび供給が追いつかなくなると、短期間ではそう簡単に製造能力を増加できない半導体工場は嬉しい悲鳴を上げ続ける事になります。そもそも注文を受けても、必要なシリコンウェファーを工場へ投入できないのです。当時サイコーエジソン株式会社の半導体工場は月々数万枚の製造能力を持っていましたが、その倍くらいの需要が発生してしまうのです。ユーザー側は必要なICが入手出来ない事には完成品を作る事ができないので、製造枠(アロケーション)を確保しようと必死になります。すると、数ヶ月先までの発注を一気にかけようとして、ますます需給バランスは崩れ、受注が製造能力の数倍に達してしまう事も頻繁に起こりました。

このような時期の受注調整、納期調整は熾烈を極め、毎日ユーザーと工場の間に挟まれて、調整を行う事になります。海外からも納期前倒しを要請するユーザーが毎日のように訪れ、何とか工場と調整を行います。しかし、多くの場合、それはその場しのぎの調整であり、いったん約束された納期も守れなくなってしまう事が頻繁に発生し、そのたび謝らなければならなくなります。疲れる毎日でした。

そのような状態が数ヶ月続いたあと、ある日突然注文が来なくなります。いったん需給逼迫の状態から脱すると、今度はあれだけ激しかった波が一気に引いていってしまうというように、受注は消えてしまうのです。今度はユーザーに必要十分以上の在庫が積み上がってしまうからです。そして暫くは売上げが激減し、何とか注文を取ってこい、と言われる毎日が続きます。

しかし、納期調整に追われていた間はその事で仕事をやったような気になってしまい、ちっとも新規受注の活動が出来ていないので、急に注文を取って来いと言われても、なかなか注文は獲得できません。まるで仕込みが出来ていない状態なのでした。

受注が多い時も少ない時も、営業活動の結果はすぐに出てこないため、シリコンサイクルに翻弄されるだけで、受給バランスをコントロール出来ないという状況が何年も続きました。

 

「なあ、舞衣子、オレさあ、もう納期調整だけの人生はイヤになってきたよ」

海外営業課で机を並べている同期のトム君が話しかけてきました。

「私も何だか疲れちゃったな。今日は久し振りにお客さんもきていないから、たまにはビール行っちゃう?」

「そうだな、行くか」

「行こう行こう。だけど、ハルカちゃんはいいの?」

ハルカちゃんはトム君の奥さんです。

「ああ、いいよ、大丈夫」

「でも、二人だけで行ったら悪いよね」

「そうかもな」

「じゃ、誰か誘おうよ」

「おお、誰にする?」

金太郎君は?

「おお、それはグッドアイデアだな。ヤツは面白いしな」

金太郎君は4年下の後輩です。脳みそは高速で回転するので、すこぶる面白い事を言って笑わせてくれるのですが、時々バランスが崩れて変な事をしでかします。名字は大木君なのですが、金太郎はニックネームです。往年の名レスラー大木金太郎にちなんで、金太郎と呼ばれていました。

大木金太郎は日本で活躍した韓国人プロレスラーで本名はキムイル。頭突きを得意技としており、女子の私でも一度は名前を聞いたことがあるプロレス界のシブい存在でした。ジャイアント馬場とアントニオ猪木の全盛期にその陰に隠れてはいましたが、ユニークなレスラーとして人気があったんですよ。

「ねえ、金太郎君、今日行くよ」

「え、今日ですか?」

「うん、決めたの」

わーしは、ちょっと仕事が終わるかどうか・・・」

「何言ってんの大丈夫、7時に駅前ね」

「え、はい・・・」

 

何故か金太郎君に対しては、有無を言わせない私でした。

 

 

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