連載小説 第29回 「4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出」

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ> サイコーエジソン株式会社9年目のIC営業部海外営業課の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを海外に売っているんですよ。でも、もう大台に乗ってしまいました。私の人生どうなっていくの?

 

第29話  グラフィックICのベンチャーはお金が足りなかった

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。私は同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。なお、トム君は名前の割に純ジャパです(笑)。職場には後輩も沢山入ってきて楽しいのですが、私は独身のまま、大台に乗ってしまいました。オーマイガーなのです。時は1988年。日本はバブル絶頂期でしたが、アメリカ方面でもIT関連のベンチャーがいくつも生まれ、バブル的活況を呈していました。

 

「ねえ、トム君、今週もあの会社来るの?」

「ああ、ジェニナイ社な」

ジェニナイ社はカナダのバンクーバーにあるベンチャー企業で、PCのグラフィックコントローラーICを開発していました。

「ドロヌマ化してない?」

「ああ、まいっちゃうよ」

「このASICの仕事って、結構ムズイよね」

注:当時ムズイとかいう言葉はありませんでしたが、雰囲気はそんな感じで・・・

「そうなんだよな。ASICの母体は半導体会社が作って、中身の回路をユーザー側が設計するという作業分担でうまくいくはずなんだけどなあ」

「うまくいった時はいいけど、うまくICが動作しない時は大変だよね」

「ああ」

ASICという種類のICはユーザーが回路設計をするのですが、予定通りに動作しなかった場合、どこに問題があるのか調べるのに相当な手間がかかります。また、ICの母体部分と設計ツールは我が社が提供する訳で、ユーザー側のエンジニアの理解度が不足していると、メーカー側に設計サポートを頼ってくる事も多く、非常に大変でした。

それでも、いっぱいサポートしてユーザーに何とか設計を完了してもらい、マスク化の工程に進んでいいよという確認(サインオフと言っていました)をもらうのですが、その時にはユーザーの商品販売の時期が迫っており(或いは過ぎており)、IC製造の期間を極端に短縮しなくてはならないという問題も頻繁に起こります。

この頃はPC用のグラフィックコントローラーICが汎用化されておらず、様々なメーカーがASICを使ってグラフィックコントローラーICを開発し販売していました。その多くはシリコンバレーに生まれた新規参入のベンチャー企業であり、みんなが何とか一発あてようと必死だった時期です。

我が社の米国販売法人のSS-Sytems Incはそれらのベンチャー向けにASICを供給するというビジネスを伸ばし、そのおかげで我がサイコーエジソン株式会社の半導体事業も多くの受注を得る事になりました。しかし、相手はベンチャー企業ですから、一発あてる前の企業は資金が潤沢に回っておらず、早く売上げが必要なために、すぐにICを作ってくれと厳しい納期要求を突きつけてくる事も多くなっていました。

カナダのジェニナイ社は、シリコンバレーではありませんが、そういう会社の一つで、売り出そうとしていたグラフィックコントローラーのASICの開発がうまくいかず、資金も回らなくなってきて大変な状況に陥っていました。そのため、再三、日本へエンジニアを送り込んだり、経営陣が押しかけてきて様々なサポートを要求したりしてきました。

因みに、ジェニナイ社はカナダのバンクーバーにありました。そこは、私が小学生の時に住んでいた街です。父の赴任先だったのです。

 

「昨日に続いて今日も一日ジェニナイ社とミーティングだよ。VP(副社長)のMr.グレン・オーマイクは先月に続いて2回目の来社なんだけど、今回は秘書だという若い女性を二人も連れてきていて、何考えてるんだかよく分からないよ」

二人も秘書を連れてきたってどういう事?」

「まるでよく分からない。昨日の打合せ中も殆ど発言しないんだ、二人とも。ま、秘書だからビジネスの内容には首を突っ込まないのかも知れないけど」

「二人とも、聞いてるだけなの?」

「そうなんだ」

「なんか、変だね。一人ならもしかして愛人連れてきちゃった的な、かも知れないけど」

「だろ。二人って解せないよな」

「それで、ジェニナイ社の要求は何なの?」

「まあ、設計を早く完了できるようにサポートしてくれってのと、製造納期をできるだけ短縮してくれっていう2点だな」

「ふうん、いつもの話ね」

「そうなんだけど、今回は相当切羽詰まってる感じなんだよ。多分お金がなくなってきてるんだろうな」

「へえ、それじゃ、ジェニナイじゃなくてゼニナイ社じゃん」

「ハハハ、そうなんだよ銭がないんだよ。オヤジギャグだな、舞衣子も」

「一緒にしないでよ。でも、まあ、頑張ってね、トム君。何か手伝う事があったら言ってね」

「ああ、ありがと」

 

このような顧客とのビジネスは正直疲れます。相手は、“窮鼠猫を噛む”みたいな感じで、あ、違うかな、“溺れる者は藁をもつかむ” みたいな感じでしょうか、商品発売にこぎ着けるまでは何が何でも供給元に頼り切ってやる、という無茶苦茶で一歩も引かない決意のようなモノが感じられるのです。そのために、日本へ押しかけてくると要求が通るまでは帰ろうとしないのでした。

何とかその日のミーティングを終えて、ホテルへ行ってもらう事になりましたが、その日の会食には私もつきあう事にしました。連日の接待でトム君も疲れているようだったからです。まあ、いくら大変なお客さんでも、わざわざ日本にまで来ている日本語が分からないカナダ人をほったらかしておくのも気が引けるという感じでした。英語が喋れる人が少なかった時代の地方都市です。誰かがつき合ってあげなくてはと思っていました。それに、自分が住んでいた街のベンチャーですから、とても興味がありました。

 

「Hi, I’m Maiko. How are you ?」

私は隣り合わせた、秘書の女性の一人に話しかけました。

「Hi, my name is Wendy. Wendy Moon. Thank you for taking care of us.」

「No problem at all. Are you OK with Japanese food ?」

「Oh, I really like it.」

「That’s good. First to visit Japan ?」

「Yeah.」

彼女はいい感じの愛らしい白人女性でした。同年代なので、ファッションの事とか、流行りのポップスの事とか、勿論バンクーバーの事とか、話ははずんで、夜は更けていきました。

日本に来たのが初めてというのはその通りでしたが、彼女には私たちに語れない秘密があったのでした。その真相が分かるのは数年経ってからです。それは、第42話くらい?になってからお話することになると思います。

とりあえず、今回はこの辺で・・・。

 

 

 

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