連載小説 第42回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。同期の工作君とトム君も一緒に毎日忙しくやっています。しかし、食生活の変化が体重の変化へと繋がり、大変なことに。

 

 

第42話 Liaisonのお仕事

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社で10年になろうとしています。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任しました。しかも、同期の富夢まりお君も島工作君も一緒で、何てステキ!と思いきや、思わぬとし穴が・・・。だって美味しいレストランが多すぎて、私の見事な(笑)肉体にも水平方向成長化という由々しき異変がおこり、偶然再会した青井の君には私だと認識してもらえない事態に・・・。

 

「江戸は東京」という日本食レストランで青井倫吾郎さん(密かに“青井の君”と心の中で呼ぶ時もあります)と偶然再会した時の事は、前回お話した通りです。「青井さんのバカ」と言い放って外へ飛び出した自分の失態に赤面するやら失望するやらで、その夜はよく眠れませんでした。

しかし、朝はやってきます。

少々睡眠不足ですが、きちんと朝食を頂き(簡単ですが汗)、朝シャンをし、メイクアップもして(簡単ですが汗)車に乗り込みます。

SS-Systemsへ出社すると、夜のうちに届いているFaxに目を通し、毎日9:00から始まるLiaison Meetingでその日の予定を確認します。日本からの出張者も多いので、誰がどの打合せに出るのか、どの客先へ行くのか、ディナーはどうするのかなどを決め、一日のTo Do Listを作ります。

日本への発注業務が滞りなく進んでいるか、納期調整、品質問題など課題はないかなど確認するのも重要な仕事です。必要となれば、日本と電話会議などを行いますが、時差の関係から日本と話ができるのは夕方に集中します。冬時間か夏時間かによりますが、San Joseの夕方5時は日本の9時か10時です。色々手間取ると日本のお昼までかかってしまうので、それはSan Joseの夜7時か8時を意味していました。それらの業務が終了してから会社を出るので、大抵その時間にはもう日本人しかいません。暗くなってオフィスに一人の時は流石に少々不安になりますが、一応セキュリティシステムはしっかり装備されているので、大丈夫です。それと、殆どは誰か他の赴任者もオフィスにいて、退社する時は一緒に出るようにしていました。

その日も日本の海外営業部のメンバーと納期調整の話がいくつかあり、8時頃まで電話会議をしていました。夏時間だと8時頃ようやく暗くなり始めます。まだ夕方だという感覚です。

「ああ、やっと終わった~。トム君はもう帰れそう?」

「うん、もう行けるよ」

「待っててくれたの?」

「まあ、うら若きレイディを一人だけにはでないからな」

「あら、それはどうもありがとう」

「Don’t touch my mustache(笑)」

うら若いほど若くはなくなっていますが、Lady はLadyです。あ、それと、「Don’t touch my mustache」 というのは「どういたしまして」の英語版というか、英語人が日本語のどういたしましての発音を真似てしゃべった時の言葉として流通していました。

「今日は“居酒屋”だっけ、舞衣子?」

「うん、もう1時間以上遅れちゃったけど、ま、行ってみましょう」

私たちは急いで出張者との会食にジョインしました。“居酒屋”という名前の居酒屋です。IC設計部から赴任している別の日本人メンバーが先に行ってケアしてくれていたので、私たちは少々遅れてもOKでした。

「遅くなって申し訳ありません。もう終わっちゃいそうですか?」

私は、日本から来ているIC設計部の課長さんたちに挨拶しました。

「いやいや、大丈夫ですよ。皆さん、お付き合い頂いてすみません。それに、遅くまでご苦労さま」

「ありがとうございます。でも、毎日の事なのでもう馴れちゃいました」

「そうですか」

この頃、我々が特に力を入れていたのは、ASICのビジネスでした。

世間が大型コンピュータを使ってASICを設計していた頃に、SS-Systemsでは、いち早くPCで設計できるツールを開発し、多くのエンジニアが手軽にASICを設計できるようにしました。そのおかげで、SS-Systemsはアメリカ市場で、ASICベンダーとしてのステータスを確立していました。

しかし、半導体産業の世界は日進月歩で、ひとたび差別化技術を世に出して一歩先行したとしても、すぐに追いつかれたり、もっと優れた技術が出てきたりします。そのため、サイコーエジソン株式会社の半導体事業部もSS-Systemsと協力して技術革新に取り組む必要がありました。そうなると、日本から頻繁に技術者を出張させたり、或いは赴任させたりして、技術情報をアップデートし、どんどん技術開発を行っているのでした。

私たちのLiaison Departmentには海外営業部からの赴任者に加えて、IC設計部からの赴任者もいて、ASIC設計の日本との調整に取り組んでいました。

その一人が澤口治虫(さわぐちおさむ)クンで、私やトム君、工作君の一年後輩です。しかし、何故か年齢は私より一つ年上だとのこと。でも、干支は皆一緒で酉年(Rooster)でした。何だかよく分からないけど、ま、みんなほぼ同級生です。

それにしても、何でおさむを手塚治虫の治虫と書くのか、一度聞いた事があるのですが、テキトーな答えしか聞けませんでした。いつの日かヒミツを暴いてやる!と思っています(笑)。

ひとしきり談笑しながら美味しい日本食を頂いたところで、サム君(澤口治虫クン)が言いました。「じゃ、そろそろ、ご飯モノでもいきましょうか。何がいいですか?」

ここで、私たちはそれぞれ、お茶漬けだのOnigiriだのUdonだのを注文しました。もう十分色々頂いたのですから、それ以上ご飯モノなんてなくてもいいのに、つい頼んじゃうんですね(汗)。だって美味しいんですもの。

これが水平方向肥大化の最大要因だと知っていながら、止める事のできない私たちなのでした。

 

いつまで続く水平成長

 

 

 

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