連載小説 第44回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。食生活の変化による水平方向成長をものともせず、同期の工作君とトム君とも一緒に毎日忙しくやっています。うふ。

 

 

第44話 TelexからFaxへの進化と、父親を畏れる時代

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社で10年になりました。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。しかも、同期の富夢まりお君も島工作君も一緒で、何てステキ!と思いきや、思わぬ落とし穴が・・・。だって美味しいレストランが多すぎて、私の見事な(笑)肉体にも水平方向成長化という由々しき異変がおこり、偶然再会した“青井の君”には私だと認識してもらえない事態になったものの、後日お電話を頂き、ディナーのお約束を。しかし、途中で電話が不通になり、アポは成立していません。とほほ

 

さて、通信手段のめざましい進歩については、前回、“女子への電話あるある” にて申し上げた通りで、21世紀と20世紀では携帯電話の有る無しで社会のあり方そのものが違っていたと言っても過言ではないかも知れません。

トム君や工作君の若い頃は(といってもまだお若い32~33歳ですが)、女子に電話すると言えば、実家の電話にかけるというのが一般的で、それはそれは勇気のいる事だったようです。まあ、私だって、実家に住んでいた頃は、彼氏や彼氏ではない男子から電話が来るたびに、「舞衣子が出てくれよ。お父さんが出ると緊張しちゃってヤバいよ」 みたいな事を言われ続けていました。

運悪く、めったに家電をとらない父が出てしまうと、彼らは、「ま、ま、まいこさんをお願いします」 とか言ってしまうのです。母が出た場合は、少しは緊張の度合いが下がるらしく、比較的落ち着いて、「〇〇と申します。舞衣子さんはいらっしゃいますでしょうか?」 的な事を言えたようです。時々、母の声が私とそっくりだと気づかないおマヌケな男子は、いきなり、「お、舞衣子?」 とか言ってしまって、そのあと、「あ、あの、□▲☆〇X?X★▲、お母様でしたか。大変失礼しました。舞衣子様いらっしゃるますでございませうか?」 的な事になってしまう場合もありました。

女子というのは男子に比べて一般にコミュニケーション能力は高いようで、彼氏の家への電話においても、比較的問題なく呼び出しに成功していたように思います。加えて、現代の若者にはまるでイミフかも知れませんが、女子から連絡を取る事は少なく、男子からの連絡を待つというパターンが多かった時代かと思います。なんで?と思われるかも知れませんが、それが社会のお作法というようなものだったからです。今考えると、なんて不自由な男女差、というか、何と不平等な女子へのイメージという事かも知れません。女子は待つもの、のような社会的風潮がまだ残っていたのでした。

ビジネスのコミュニケーションへ転じてみますと、それは楽な世界です。父親への要らぬ畏れなど感じる必要はないので、誰それを電話にお願いしますと言えばいいだけでした。それに、Faxという道具もありましたので、必要なことを書いてさっさと送ればいいのでした。

あ、でも、Faxって結構相手にきちんと届いたかどうかの確認ができなくて、ミスコミュニケーションになってしまう事もありました。この点は、デジタルと言ってもアナログっぽい世界でして、注文書をFaxで送ったつもりが、うまく届いておらず、何日も経ってから 「え、あの注文、通ってなかったの? じゃ、製造手配できてないの? え、それ納期ヤバイじゃん!」 などという事態になる事もしばしばでした。

Faxは何故時として届かないか? という壮大な疑問について日々考えていました。通信のミス、紙切れによる不具合、ペーパー紛失などが時として発生するので、どうしても100%安心な通信手段という訳にはいきませんでした。従って、国際電話で 「あのFaxは着いたか」 などと確認しなければ安心できなかったのでした。

21世紀の現代でも、「イーメール送ったと父から電話くる」 的なサラリーマン川柳が可笑しいのと一緒です。デジタル難民的な昭和の父親の悲哀を揶揄するサラ川が多いのは、ICT技術の急速な進歩を考えると仕方ない現象かも知れません。

Faxは1980年代にようやく普及したのでしたが、国際電話というものは当初はかなり不便でした。いちいちオペレーターを通さないと海外へ通じません。普通の電話はまだいいのですが、Faxを海外へ送るときなどは結構大変でした。私たちが社会人になった1980年代初めがそんな時代です。

まず、Faxを書いて、ファクシミリ機器にセットします。国内の通信であれば、電話番号を入力して送信ボタンを押せばいいのですが、海外へのFaxの場合は、まず国際電話の会社(KDDIとか)に電話し、オペレーターとお話をしてFaxを送りたい旨を告げ、例えばスイスの相手先の電話番号を告げて暫く待ち、オペレーターから「いいよ」と言ってもらってから送信ボタンを押す、などという今では考えられないくらいまどろっこしいプロセスを踏まなければならなかったのです。しかも、しばしば、通信はうまくいかず、Faxは送付できないまま国際電話料金だけがかかるというような事態も頻繁に起きていました。

工作君がスイスへFaxを送ろうとしてオペレーターと話している時、トム君がその後ろで 「あのぉ、ドバイお願いします!」 とか大きな声でふざけた事を言っては、工作君を笑わせようとトライしているのを何度か目撃しました。オペレーターと話している時に笑うとまずいと工作君はいつも必死に耐えていました。でも、5回目くらいのトライで工作君も噴き出してしまい、オペレーターから「???」みたいな反応をされたそうです。入社後1年くらいした1981年頃の事です。おバカですよね、トム君って。

更にさかのぼれば、海外へのFaxがまだ普及していなかった頃は、テレックスという通信手段が使われていました。今では博物館入りの技術ですね。あらかじめ、文章を打ち込むとアルファベットは紙テープに穴を開けるという方法で2進法の記号に変換されます。その穴情報を電話回線で送るのです。受け取った方は、穴情報を文字に変換して文章を読み取るという当時にしてみれば優れた技術でした。1930年代から2000年代まで使われた技術ですから、大したものです。

我々の当時の上諏訪時計舎でも、Faxが一般化するまでは頻繁に使われていました。一日の仕事が終わりに近づく頃、夕陽が差すオフィスの一画で文章を入力し、最後に 「復帰復帰改行改行」 とタイピングする時の事を今でも懐かしく思い出します。

Telexを扱った事のある人には最近あまりお目にかかりません。トム君と工作君くらいです。

本日は郷愁の技術を振り返ってみました。

日々仕事は続いていきます。電子メールの時代が近づいていました。

 

 

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