L.W.R. (30) 古文書編#1 『N-BASIC入門』飯田他著 アスキー出版1980

Joseph Halfmoon

新刊書についてブツブツ言う筈だったLiterature watch returnsですが、「古文書編」を始めるにあたってタイトル大幅短縮 L.W.R.であります。「古文書編」その1は、約40年前に日本における「パソコン」の市場を押し広げた名機NEC PC-8001搭載のN-BASICに関するアスキーの1冊。私はコレ読んで業界入り。

今では『電撃文庫』の方が有名かもしれないアスキーですが、当時、勃興しかけていた「パソコン」—もしかするとマイクロコンピュータかマイ・コンピュータの略で「マイコン」の方がまだ一般的だったかも—業界において「ブイブイ」言わせていた「出版社」でした。また当時、アスキーは日本におけるマイクロソフトの別動隊的な位置にもあり、NECに対するMicrosoft BASICの売り込みにも深くかかわっていたとか、いないとか(私の口からは言えませぬ。)

現代の ASCII.jp はこちら

Microsoft自体、今のような世界企業の地位はなく、アメリカのちっこいベンチャ企業。それに対して当時も巨大だったNEC(電電3兄弟の長男?)です。最初は自社でBASICを開発しており(PC-8001以前に、トレーニングキット TK-80BS があったことは有名)、そのまま自社開発のBASICをPC-8001に搭載していたら、MSの今日の地位も無かった、かもしれません。それをひっくり返してMicrosoftのBASICを採用したPC-8001が大ヒットした結果、日本のパソコン業界(当時は日の出る国、日本が世界の電子産業をリードしていたので影響力は絶大だったです)は雪崩をうってMicrosoft搭載に走って行くのであります。個人的には80桁目の文字落ちのバグ(有名)に結構悩まされ、N-BASICというと思い出すのはそれですが。

大体、PC-8001自体、NECの中では異端な製品でした。オボロゲな記憶によれば、NECの中でも半導体事業の製品として世に出たはずです。半導体(マイクロプロセッサ)を売るための商材「開発ボード」、当時は「トレーニングキット」と呼ばれていた、をルーツに持つための変則です。当然NECの中にも立派なコンピュータ部門はあったのですが、多分、おもちゃ扱い。半導体にやらせておけや、くらいな感じだったんではと思います。それがPC-9801の時代になるとコンピュータ部門の主力製品になっていくのだから先は分かりません。

さて、改めて「N-BASIC入門」です。過去、何度かの引っ越しの度に、捨てられることなくダンボール箱に詰められ、移動して本棚に収まってきております。背表紙は目にするのでその存在は心のどこかに引っかかっていましたが、多分40年ちかくページを開いたことは無かったです。心の中では、モダンなレイアウトの本だったような気がしてました。

しかし、改めて開いてみるとどうでしょう。左開き、2段組み、本文自体は読みやすいレイアウトだとは思います。しかし、今となっては、各所に挿入されている BASIC のコードがなんともチープな感じです。多分、当時のドットマトリックス・プリンタでかなり頑張って綺麗に印刷したものを原稿に使っているのだと思いますが。当時はそんなもんだったよなあ。

以下にこの本の奥付を引用させていただきます。出版は1980年、私が買った版は1981年1月25日の第1版第11刷だったようです。175ページで、定価2500円。N-BASICcp相当売れて儲かったんでないかい。40年もたっているのですが、現在でも2500円だしたら、これよりカッコイイ本買えそうな気がします(個人の感想です。)「コンピュータ書」ということで高い値段で売れたのか、失われたxx年の日本の停滞のためなのか。。。

アスキーの住所がまだ「南青山」であるところも、発行者が後にアスキーとたもとを分かつことになる筈の塚本様であることも、ノスタルジックな感じがいたします。

1981年当時、この本を何度となく参照しながら、朝から晩まで(私は睡眠なしにx日連続ということはしなかったです)一日15~6時間もPC-8001にしがみついていた気がします。

当時はカセットテープが外部記憶でした。1200ボー。ピーピロピロピロ。今でもテープはどこかに眠っている筈。今度読み取りを試みてみますか。主記憶64Kバイト、下半分がROM(BASICなど)領域で確か標準では24KB使用だったか。上半分32KバイトがDRAM領域。DRAMは16Kビット品でした。標準ではDRAM 8個で16Kバイト。これでは大した「ゲーム」は走らないので、秋葉原でDRAM 8個買ってフル実装しました。ICソケットにICを差し込んだのもこれが最初。しかし未だに手が震えます(歳のせいか?)当時DRAMショートで納品大分待たされました。その後、半導体市況に「翻弄される」暮らしがまっていましたが、その最初のドンブラコでしたかしら。

N-BASICにも大変お世話になりました。大学の卒論はN-BASICのプログラムで積算CPUタイム1か月くらいかけてシミュレーションした記憶があります。DMACをOFFって健気に処理速度アップ。また、N-BASICの中からモニタと呼ばれる小さな機械語のモニタプログラムを呼び出すことができ、これにも多いにお世話になりました。インテル8080のアセンブラを覚えたのもPC-8001の上でした(NEC PC-8001のCPUは、NEC製のZilog Z80互換チップ uPD780CD-1だったと記憶しております。クロック4MHz。そしてZilog Z80は Intel 8080の命令セット上位互換でした。)

ノスタルジー。でも40年たってもやっていることは、スピードと容量増えただけ、という気もしないでもない。それに本の定価も変わらない?なんだかな~

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