連載小説 第58回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。食生活の変化で私の見事な肉体は更に水平方向へ成長しつつも、毎日忙しくやっています。Appleの青井倫吾郎さんとは、メキシコ料理の情熱ナイトを経て、壮大なエクリプス・プロジェクトが進行中。皆既日食です。

 

 

第58話 メキシコで皆既日食からの~ 「麗人と海」

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の11年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。美味しい食事の連続で、私の見事な肉体(笑)は水平方向へ更に見事な成長をとげつつありましたが、アップル・コンピュータの青井倫吾郎さんとはメキシコ料理の情熱ナイトを経て、特別なご関係に。もっかの楽しみはEclipse Projectです。

 

 

前回、ご紹介したサンタ・クララにあるPedro’sというMexican Restaurant。ほんとのホントのメキシコ料理店というには、ちょっとアメリカナイズされて洗練されすぎの感もありますが、とてもステキなレストランでした。地元のメキシカンはもっと小さくてローカル感ありありのところが多いです。今回はそんなメキシコのローカルへの潜入レポートをお送りします。

1991年7月11日(木)はやってきました。そうです、皆既日食の日です。前日にSan Jose del Cabo へとフライトした私と倫吾郎さんは、結構ナイスなホテルに泊まる事ができ、最近少々食べ過ぎな感じのメキシコ料理ディナーを更に堪能いたしました。当日の朝はホテルのBuffeでまあまあ色々頂き、日食への準備を整えました。

皆既日食(Total Eclipse)は正午近くに起こるのですが、太陽の欠け始め(第1接触)は1時間くらい前からなので、9時過ぎにはホテルを出て、日食を観るのに適した高台へと向かいました。というのも、同じホテルに、日本からの日食観測ツアーのご一行様がいて、お話をするようになったので、ツアーが定めた観測地点へ同行させて頂く事ができたからなのでした。

高台には日本隊の他にも外国人の人たちも沢山いて、みんなワクワク感満載です。クロートっぽい人たちは、大きなカメラに日食用フィルターを取り付けて、三脚に固定し、準備をしています。シロートの私たちは、そんな皆さんを観察しながら、大した準備もせず、その時を待つのみです。

第1接触が始まり、次第に太陽の欠けが大きくなっていくと周囲の皆さんの高揚感が高くなっていきます。我々もシロートながらワクワクしてきます。

第2接触、つまり皆既日食の始まり、は正午近くに訪れました。時間が近づいて、あたりが急激に暗くなると、あっという間に皆既日食に突入し、その瞬間、ダイアモンドリングが光り輝きます。ほんの数秒程度の時間で消えてしまうのですが、初めて見るダイアモンドリングは本当にこの世のものとは思えないような美しい輝きで、多くの天文ファンが何とかカメラに収めたいと願うのも無理ないことだと思うようなものでした。

それから7分近くの間、あたりは夕闇ほどの暗さになります。かなり暗いのですが、完全に暗くなる訳ではありません。微妙な闇です。

そして、第3接触(皆既日食の終了)が訪れ、その時にまたダイアモンドリングが見えます。それが終わるとあっという間に世界は明るさを取り戻し、通常とほぼ変わらないと感じるほどに明るくなってしまいます。その後1時間ほどしての第4接触(太陽の欠けが完全になくなる)までが日食ですが、皆既日食が終わってしまうと、ほとんど 「終わった~。ああ~」 という呆然とした状態になります。この皆既日食の7分間の状態は言葉で言い表せませんので、ここで終わります。その間、私は倫太郎さんとともに、ただただ心を震わせていました。

ああ、面白かった(笑)

 

日本隊のうち、お二人で参加の同年代の方々と仲良くなりました。私たちと同じで電機電子機器メーカーに勤務しているとの事でしたので、共通点も多く、話もはずみます。翌日はそのお二人と4人でカリフォルニア半島の先端にあるCabo San Lucasという街へ行ってみました。

漁港になっている場所です。観光向けの釣りボートに乗ってみようという事になり、1時間ほどの海の旅に出かけました。

そこで、私、ゲットしてしまったんです。1m近くある大きなお魚です。多分、カツオかマグロの仲間です。10分くらいで沖に出て、釣り糸を垂らすのですが、少しだけアタリがあっても、エサを取られるだけで、何もかかりません。4人ともそんな状態が続いたところで、今日はもう帰るべ、みたいなことを船長が言い、仕方なく帰路についたところ、その帰路でウトウトしていたら、ヒットしちゃったんです。急にグググっときちゃったりするものだから、え、どうしたらいいの?って感じです。

「倫ちゃん、何かスゴイ事になってる。どうしたらいいの?」

「どうした、舞衣子。お、何か掛かかってるぞ。リールを巻いて!」

「分かった!巻けばいいんだよね」

「そう」

「わ、何か、凄い力だよ、これ」

「とにかく耐えて」

「うん!」

私は一気に「老人と海」の状態で、3メートルはあろうかというカジキマグロと対戦している気分になっていました。実際には1メートル以下でしたが(笑)。というかホントは50cmくらいでしたが(笑)気分は3mです!

グイグイ引っ張られる竿を立て、リールをどんどん巻いていきます。日本隊の2人も応援してくれていましたので、私は巨大なカジキマグロ(?)に負けないように頑張ってリールを巻き続けました。それ程身長のない大和撫子ですから巨大なカジキ(?)と闘うのはキューバ人の屈強な老人のようにはいきませんが、私だってこれまで美味しい料理をいっぱい食べてきた蓄えがございます。だてに水平方向への成長をしてきた訳ではない!のです。ここは、殿方たちの力を借りずともカジキ(?)の一匹や二匹を仕留めるくらいどうって事はないのです。

巻いて巻いて巻き続けたところで、彼(彼女?)は水面にお顔を出しました。それは3mのカジキマグロならぬ50cmのカツオのようなお方でした。50cmといえども、シロートのわたしたちにとって、巨大なお魚だった事は間違いありません。

無事、船上へ引き上げた私たちが入港するやいなや、小学校低学年的な少年が寄ってきて、「セニョリータ、魚をさばいてあげる。3枚がいいか?」 的な話をつけに来たので、まあこれもここでのしきたりなのでしょうと、その子にお願いする事にしました。ものの3分で3枚におろしてきた男の子に2~3ドルのチップを渡すと喜んで去って行きました。

私たちは3枚おろしを食す事のできる場所を探しました。桟橋を進んだ所にお寿司レストランを発見。メキシコの先端でお寿司屋さん?何てラッキーと思いつつ、その寿司やへ直行し、このカツオかマグロかの3枚おろしをあげるので、そのうち半分くらいはわたしたちの刺身として提供してくれ給え、的な交渉をし、店員から「Si, Si, entiendo.」 的な事を言われて、席に着いて、テキトーに巻き寿司などを注文して待っていると、先ほどのお魚が美しい盛り付けの刺身となって眼前に並んだという次第です。そのお刺身の新鮮で美味しかったこと。暑い地でのメキシコビール(Dos Equis)と相まって、満足度は150に達していました。

今になって考えると、「釣りボート、3枚におろしてくれた男の子、すぐそこにある寿司や」 と、日本人観光客を当て込んだ訳ではないのでしょうが、全部セットになってサービスする体制ができていたのではないかと思います。

遠いメキシコはカリフォルニア半島の最南端で、何と私たちはラッキーな事に寿司やを発見した!と喜んでいましたが、全てデザインされていた事だったのだろうと思います。でも、ナイスなデザインだったなあ、と感慨深く思い出すのです。

因みにその寿司レストランの看板には 「セニョール寿司」 と書かれてありました。

なんてベタなネーミング(笑)。でも、ナイスなお寿司屋さんでした(うふっ)。

 

 

 

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