L.W.R.(31)古文書編#2 Systems Data Catalog, Intel

Joseph Halfmoon

前回は、ASCII出版本で1980年のNECとMicrosoftの夢の後をたどりました。今回はIntelのデータブックの1981年版です。Intelが自ら開発ツールを作って売っていた時代のもの。書店で『洋書』扱いで売られていましたが結構なお値段だった記憶が。8ビットCPU搭載のIntel開発ツールが一式1000万円くらいだったので仕方ない?

今ではPDFファイルを無料ダウンロードするのが普通の半導体のデータシート、データブックの類です。しかし、その昔は販売されていた時代もあったのです。朧気な記憶によれば、当時学生だった私は、神田の書泉でこのIntelのデータブックを買ったのですが、3000円以上したような。ぶっちゃけ、Intel製の開発ツールのカタログ集です。SBC(Single Board Computer)とか、ICE(In Circuit Emulator)、開発用ソフトウエアなどのカタログを寄せ集めたもの。1980年の時点で1冊の本になるだけの製品があったIntelの厚みは流石ですが、今日的に言えば、カタログくらいタダで配れよ、と。。。

まだ、intelSYSTEMS_DATA_CATALOG1981マイクロコンピュータというものが物珍しかった古き良き時代です。アイキャッチ画像に発行年が入っていなかったので、その部分を取り込んでおきました。1981年1月版ということです。copyright的には1980年です。前回のASCII本とほぼほぼ同時代の1冊。

だいたいね、左の写真のIntelのロゴ、若者は知らないかもしれないですな。インテル創業当時から「インテル入ってる」言い出すくらいまでの結構長い間使われてきたロゴです。このロゴを使っていたころのインテルはまったくもっての半導体屋でしたね。

さて、このご本を本棚の奥から取り出してきて思い出しました。アイキャッチ画像の表紙の左上を飾る、グリーン・モニタと8インチ・フロッピィ・ドライブ、そしてクラシックなキーボードの青いシャーシのマシンです。インテル・ブルーってか。IntelのMicrocomputer Development System、通称MDSです。1000万円くらいしたというのはこれ。本体に各種オプション、ソフトなどコミコミのお値段でないかと。当時としてもかなりお高いツールでしたでしょう。皆さんMDS、MDSと呼んでいましたが、Intelの商標的には “INTELLEC” でした。誰も「インテレック」と呼んでなかったですが。その辺の大人の事情がこの本の片隅にかかれています。1か所引用させていただきましょう。

MDS is an ordering code only and is not used as a product name or trademark. MDS is a registered trademark of Mohawk Data Sciences Corporation.

そこで本稿では、以降、「コレ」とか「アレ」とかで記述いたします。私はコレを使った経験があるのです。朧気な記憶でMODEL番号までは覚えていませんが、8085AをCPUに搭載していたマシンでした。グリーンモニタの画面でソースコードの修正をしながら、ASM86で80286用のアセンブラプログラムをアセンブルしてました。8ビット機の上で、16ビットCPU用のクロスアセンブラを使い、さらにアセンブラのターゲットCPUより格段に複雑なCPU向けのオブジェクトをクロスアセンブルしていたのですから恐れいります。それで、今でも強烈に覚えているのが、

インテルのASM86最強

という1点です。アセンブラのくせに EVAL とか、CONDとかの関数が使えた、といったら分かる人にはわかるでしょう。多分、LISPかぶれのお兄さん?が開発したのかもしれないです。当時はLISPが流行でした。8086用のアセンブラといいつつ、あのメンドイ(そしていまでは86系の盲腸的な存在になっている)80286のプロテクテッド・モードのIDT、GDT、LDTってなテーブルとディスクリプタやらゲートやらの数々を「カッコよく」書けてしまうのです。勿論、LISPテイストのマクロを駆使してです。後にインテルのASM286も触ったのですが、普通のアセンブラに「退化」してました。ASM86のみの御乱心。

しかし、時代はIBM PCが登場した時代です。MS-DOSマシンの上で開発ツールを使うという時代になっていたのです。インテルは自社開発していた開発ツール類をサードパーティーにまかせる方針に転換し、中南米のどこぞの開発ツール製造工場は閉めてしまいました。よって青いシャーシのインテルの開発マシンを使った記憶のある人はかなりな年寄り、多分。私はその最後くらいの世代。しかし、カタログを見直すとその辺のパソコンとは違うヘビイ・デューティなシステムであることが分かります。インテルの開発用OS(ISIS)を走らせるメインボードは8ビットの8085Aですが、ストレージや画面などを制御しているのは別なサブシステムで、CPUは一世代前の8080Aです。さらにプリンタ(やテープ・パンチャとリーダ!)を制御しているのはマイクロコントローラ業界の金字塔?8041Aです。確かUPI(ユニバーサル・ペリフェラル・インタフェース)と呼ばれていました。システムをながめると割り込みコントローラは8259A、シリアルは8251A、タイマは8253、CRTCは8275、FDCは8271と今は昔のインテルの周辺ICが総出演のシステムです。

そんなインテルの開発用ハードウエアは消えてなくなりましたが、どっこい開発用のソフトウエアは現在でも根強い人気です。インテル・コンパイラは都市伝説をまとう存在でもあります。そんなツールの一つ、インテルFORTRANは既にこのカタログにも登場します。今のようにHPC(スパコン)の人々に愛されるコンパイラではなく、ささやかな存在だったと思います。他の言語プロセッサを見ると、PL/Mがインテルの「推し」になっています。当時、これからの世界を背負うと思われていたPL/Iコンパイラのマイクロコンピュータ版です。そんなことにはならずに良かった?そして、この時点ではCコンパイラの影もありません。

見ていると飽きないのですが、最後に一つ、後表紙で1つ。

intelSDC1981_back本文末尾には、北米の営業拠点のリストなどもあるのですが、データブックの後ろ表紙には、3社の名前と住所が記されています。1981年時点でのインテルの世界戦略を担っていた3社の筈。一番上はインテル本社ですが、住所が Bowersアベニューです。本社は移りましたが今でもインテルの施設があるみたい。少し下った『詠人舞衣子』さんの時代には、同じサンタクララ市内でも別な住所に移っています。そして欧州はベルギー拠点、そして世田谷の日本法人、営業拠点。

この時代は米、欧、日で、世界の半導体営業は完結?していたのでした。まだ中国どころか台湾や韓国の姿もなし。そして日本の存在感。これまた今は昔。

L.W.R.(30) 古文書編#1 『N-BASIC入門』飯田他著 アスキー出版1980 に戻る

L.W.R.(32)古文書編#3 『Z-80 マイクロコンピュータ』寺田他、丸善1979 へ進む