L.W.R.(32)古文書編#3 『Z-80 マイクロコンピュータ』寺田他、丸善1979

Joseph Halfmoon

1980年前後の時代は、Zilog社の8ビットCPU、Z80が、80系本家のインテルを凌駕していた時代ではないかと思います。Z80は非常に幅広く使われその流れの後継機種は90年代末でも使われていました。ちょっと特殊な分野では一部が今でも活躍しているみたい。今回のご本は、そのZ80の「教科書」として「決定版」であったもの。

アイキャッチ画像に掲げました一冊は、かなりボロボロ感があります。まあ当時「ボロボロになるまで読み込んだ」と申し上げておきます。初版は1979年ですが、私が購入させていただいたのは1981年2月の第6刷です。定価3300円なり(当時は消費税など存在しませぬ。)前々回とりあげさせていただだいた、NEC PC-8001のCPUが、Z80互換のNEC uPD780であったので、NEC PC-8001の購入前後に必死に読んでいたもの。

原著はW.Barden, Jr.という方の著作です。そのご本を寺田様監訳、木村様、浅田様、禿様の3名共訳という形で訳されたのが本書です。ご本が世に出たときの皆さんの「現職」は大阪大、シャープと別れていますが、元々シャープ社の社内で始まった訳出のプロジェクト?の産物でなかったかと思います。年寄は覚えていると思いますが、シャープ社はZilog社の正式ライセンサーで型番LHで始まるZ80正規品を販売してました。そして自社の正式Z80を使ったマイコンMZ-80シリーズ(クリーンコンピュータ)も出していました。

私は1度だけ、訳者の末尾にそのお名前がある禿様にお会いしたことがあります(多分禿様は覚えていないと思うけど。その時本を持っていたらサインしてもらったのですが。)私はまだ駆け出しのエンジニアで、禿様は立派なエンジニア様でありました。今も元気にしておられるでしょうかね。どうもこの本自体は禿様が米国で見つけてきた本みたいです。

今回ちょっと気になったので、当時マイクロコンピュータの教科書というと目についた丸善の「マイクロコンピュータ」シリーズの構成を再確認いたしました。こんな感じ。前半は「教科書」感が強いのですけれど、末尾にいたって特定のチップZ80が登場するのです。それもまだ他書が未刊の状態で。

MaruzenSeries当時のZ-80の隆盛が偲ばれますです。

Z-80の隆盛の理由を1点に求めるとすれば、

インテル8080とオブジェクトコード互換であった

というところでありましょう。インテル8080は、日本でいえば「スペースインベーダー」、いわゆるインベーダー・ゲームのCPUとして大ヒットしています。また、世界初のパーソナルコンピュータと言われる(実際は違うみたいですが)Altair 8800のCPUでもあります。そして今でも仮想端末を使うときにその名を目にする DEC社VT-100端末のCPUでもあります。新たに一つの「業界」を創出した感のある8080ですが、実際に使えと言われたら、メンドイと言わざるを得ません。当時のNMOS技術の制約から、3電源いるは、システム組むのがいろいろ面倒だったからです。

8080とコンパチでもっと使い易いCPUが欲しい、という要望に対する回答は2つありました。

  • インテル8085
  • ザイログZ80

の2つです。本家インテルの8085は8080を単一電源化したチップと言ってもいいかもしれません。8080に対して追加された命令は2つだけ。それに対してZ80は追加命令多数、結構アドレシングモードなども増えていてカッコいいです。

しかし出だしの時期は8080コンパチの命令だけで良い、という風潮だったので(大分後になってZ80の命令拡張が広く使われるようになったと思いますが、使われるころにはその後の勝負はついていました)8085よりZ80が(少し多めに)世に蔓延った理由はハードにあったと思います(個人の意見です。)

  • Z80はDRAMをリフレッシュできた
  • Z80はアドレス、データバスが分離していた

8085は後の8086や8088(IBM PC)も使うことになる悪名高い?ALE(Address Latch Enable)信号を使ってマルチプレクスされたアドレス、データバスを外で分離する必要がありました。またDRAM使うのであればコントローラは外に必要です。その点、Z80は簡単にシステムが組めるので8085よりも受けたんじゃないかと思います。まあ今の目でみたら8085も似たようなもんだし、実際には8085採用のシステムも多かった筈です。ただ、人目につきやすいマイコン(パーソナル・コンピュータ)ではZ80の採用機が多かった、という感じ。

そんなZ80ですが、その絶頂期にはすでに次世代への失着が問題になっていたのではないかと思います。それは、

後継の16ビットZ8000はZ80上位互換でなかった(その上出るのが遅れた)

という1点です。多くの人がZ80の上位互換の16ビットを欲しかったんじゃなかったかと思うのですが、Z8000はカッコいい、でも互換じゃなかったです。一方インテル8086はオブジェクトコード自体は8080/8085コンパチではなかったですが、アセンブラコンバータなど出したくらいで、8080/8085から8086へは「コンパチ」感を醸し出して営業していました。そしてインテルが結構慌ててでっちあげた感のある 16ビット 8086 を直ぐに投入できたのに比べるとZ8000の市場への登場は遅れたはず。まあ、IBMがインテル8086の廉価版システム用8088を最初のPCに採用した、というのが決定打になるのですが、Z8000はマニアックでニッチなCPUに留まります。後にZ80とコードコンパチブルな16ビットCPUというものが各種登場したりもするのですが、結局マイナーなポジションから抜け出ていないと思います(個人の意見です。)

今になって読み返すと、やっぱり当時の感覚は違うなあと実感。当時は皆「マイコン」などというものを触るのが初めての人が多かったので、「今じゃ当然でスルー」してもよいことを「延々と説明」している感があります。でも当時はそういうことを教えてもらわないと分からんかったですが。

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