L.W.R.(42) 古文書編#13、闘うプログラマー、ザカリー著山岡訳、日経BP1994

Joseph Halfmoon

前回MVSだったので今回はWindowsNTです。しかし、この御本を古文書扱いしてしまって良いのか、とも思いました。まあ手元にあるのは1版一刷、紛れもない1994年発行(当方「古文書基準」は20世紀であること)であります。2009年に新装版が出ているのは、それだけこの御本が面白いことの証拠でありましょう。

2009年の新装版は、Amazonでも買えるどころか、Kindle版まであるようなので「生きて」いますな。ちょっと気づいて愕然としたのが

1994年版 1冊1400円の上下2冊で合計2800円 > 2009年新装版 1800円

という不等式であります。お買い得か!

さてこの御本の内容についてトヤカク書くとはありますまい。表紙に描かれた人物2人の御名前についてご存じであれば、それに尽きます。デイビッド・カトラーとビル・ゲイツ、どちらも会ったことないです(御片方とは時間差ですれ違ったことがあるみたい)が今や伝説上の人物(存命ですが)かと。

ノンフィクション分野の力作であります。読み物としてはとても面白いです。それもあっての新装版かと。ちょうど2009年というとビル・ゲイツ氏は第一線を退きという頃合い。カトラー氏も一度は引退した「みたい」ですが、未だにプログラマしている「らしい」、しぶとい。

この本は技術書ではないので、技術の説明は出てきませぬ。ただね、この本を読むときに、VAX/VMSがどんなOSだったのか、当時のUnixに比べてどうだったのか。また、MS-DOSか、IBM OS/2 などで「x86のセグメンテーションでプログラムしたことあるか」という背景知識はあると面白さが格段にアップするような気がします。ほぼ既に冥界送りの技術ばかりですが。

セグメンテーション、すっごい評判悪くて悲しいです。当時は「致し方無かった」のだよね。私はセグメンテーションで動いているマイナーなUnix系OS上でプログラムしてたことありますぜ。ハード設計者としてはセグメンテーションに思い入れがあったのだけれど、いざ自分でソフト書くときは「クソが」とまでは言わなかったけれども、不便さ身に染みております。「消えた」のも致し方ないです(今もパソコンのハードの奥底で眠っている筈ですが、ほぼほぼ使う機会は絶無かと。)

私は就職して仕事で初めて使ったコンピュータがDECのVAX-11/780、当然OSはVMSだったので、刷り込み激しくVMSの贔屓です。偉大なVMSの開発者であるデービッド・カトラー氏が作ったOSということでWindowsNTなどは、出る前から「良いものに違い無い」と確信していたくらいです(それもあってか、Mipsマシン用のWindowsNT向けの台湾製チップセットを引いてきて日本で売る、という商売に手を染めていたことがあるくらいです。売れなかったですが。)

DECが消えたいまでもVMSの権利を持っている会社があるみたいで、またエミュレータなども存在するようです。VMSがほぼほぼ消え、Unixの流れをくむLinuxが跳梁跋扈しているのは悲しい限り(といってLinuxには毎日お世話になっている気もしないでもないです。)まあ、今のWindowsはVMSの遠い末裔と思えば。

大昔、世の中の流れに抗しきれず?DECがUnix系OSを始めた当時、在籍していた会社にDECのUnix系担当者がやってきて説明したんだけれど米国人のご同僚多数から十字砲火状態だったのを記憶しています。VMSじゃちゃんとできるのにUnixは何?、プロ向けの仕様じゃないじゃん、みたいな。カトラーのVMSは仕事キッチリのOSでした。

まあ、結局Unixも長年のゴタゴタの挙句に、背後から出てきたLinuxに大部分の市場を奪われることになるのでありますな。やっぱり只で使えるのは嬉しい限りなのですな。

この御本を目にするだけで当時のあれやこれや思い出します。御本も面白いけれども、実際はもっと面白かった気がしてならないデス。

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