連載小説 第80回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も半導体事業も絶好調ですよ。会社にも色々と変化が起こりつつありました。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第80話 次の社長はもしかして・・・?

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の15年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も絶好調です。半導体事業も絶好調です。

 

ISO9000シリーズ担当のマリアさんがいらっしゃいました。

「Hi, Maiko. Can do me a favor ?」

「Oh my goodness. I don’t have much money. I’m willing to help you though.」

「Hahaha. It’s not money issue.」

「That’s good. What can a no-money girl do for you, Maria ? 」

と結構仲良しのマリアさんに、一通りの冗談を言ったところで、マリアさんから頼まれたのは、本社の品質管理部でISO9000を担当している方に出張ヘルプをして欲しいという話でした。半導体事業部と営業本部には旧知の方々が沢山いて、日々様々なお願いもしているのですが、本社にはあまりつてがありません。でも、まあ、当たって砕けろでしょうか。それよりも、当たって砕けちゃうといけないので、砕けないようにして結果を出すの方がいいですかね(笑)

というわけで、本社の品質管理部に電話をしてみたところ、上手いこと話が通って、サポートして頂ける事になりました。

ただ、SS-Systemsでは、各部門ごとに何が課題で、何をどう解決したいかというところが非常に曖昧だったため、ISOで業務標準を明文化するという活動は、大変時間がかかる作業になってしまいました。日本からは何度も出張に来てサポートして頂きました。そのたび、SS-Systems内部では、マリアさんがファシリテータとなって各部門に業務の棚卸しをしてもらい、せっせとドキュメント作りを行いました。

ISO9000として、一応形になったのは、10月で、ほぼ丸一年のプロジェクトでした。通常の業務に加えてこの仕事を行うので、かなり大変ですし、コストもかかります。

しかし、この活動によって、多くの課題が明らかになり、本来明確化すべきだった業務標準がいくつも文書化されました。

さて、SS-Systemsも新時代を迎えようとしていました。立ち上げからここまで会社を大きくしてきた功労者であるダニエル社長が勇退するという事になったのです。次の社長をどうするかについては、Vice PresidentのEndicotaro氏でどうだろうかという意見もありましたが、日本の意向が強く反映された結果、日本の営業本部からの赴任者が社長を務める事になりました。

という事は、私もトム君も? 工作君だって社長になる可能性ある?

でも、それはありませんでした。やっぱ、ないか~(笑)

我々が普段からお世話になっている海外営業部長の勝只勝さんです。名字が勝(かつ)で、名前が只勝(ただかつ)ですので、上から読んでも勝只勝、下から読んでも勝只勝という訳です(笑)。山本山みたいですね。

勝部長は、しょっちゅう日米を言ったり来たりしています。現在は海外営業部で工作君の直属の上司ですし、私やトム君にとってもアメリカへ赴任する時の上司でしたから、組織内では一番近い関係の部長という事になります。

American NameはTad Katsuという名前になっていました。続けて発音すると本当のファーストネームみたいなんですけどね(笑)。

正式な赴任日は9月末と決まり、勝社長の体制が始まりました。

一般的に、日系企業の海外現地法人は、日本人がトップになって運営するというパターンと、かなりの事を現地人に任せて、日系企業ながら現地化した姿で運営するのとどちらかを選択する事になります。一長一短があるため、どちらが良いとは一概に言えませんが、現地人をトップにする場合は、強いアドミの副社長として日本から赴任者を出す事が必要になります。逆の場合はアドミを仕切るしっかりした現地人と、気の利いたローカルのセールス・マーケティングが必要です。

これまでのSS-Systemsは前者の形態をとってきました。それによって、米国内ではあたかもアメリカの会社であるかのようにして、顧客とはローカル同士仲良くやりましょう的な雰囲気を出します。逆の形態の場合は、こんちわ~、日本企業で~す、と露骨にやり過ぎると、何かいけすかねえなあ、的な感覚を持たれる事もありました。

特に1983年のSS-Systemsの設立当初は、シリコンバレーにもそのような少々古めの感覚も残っており、ダニエル社長やローカルセールスの意向が強く反映されて、トップとフロントサイドのセールスはローカルのアメリカ人、バックサイドに日本人が配置されるという形をとる事になりました。

10年以上経った1994年の頃は、時代が進んだという事もあって、アメリカ市場において日本の製品は高いレベルで受け入れられており、日本の企業であるという色を強く出しても、販売に大きな支障はないような市場環境へと変わっていました。サイコーエジソン株式会社にしてみれば、日本人社長がいた方が全てにおいてコントロールしやすいという事情もあって、勝社長が送り込まれたという訳です。

セールス・マーケティングを仕切っている副社長のEndicotaroさんは結構な豪腕です。10年前に中途入社してきた頃はマーケティングのトップで、いきなり私たちのLiaison部門を自分の傘下におこうと仕掛けてきたものですから、トム君と私で防戦に必死だった事がありました。Endicotaroさんの作戦は不発に終わってくれたので、事なきを得たのですが、その戦いを通じて、我々の経験値も随分上がった事を思い出します。

今では共存共栄の間柄なので、お互いをリスペクトして協力しあっていますが、その姿に至るまでには少々癖のある人物として認識されていました。

今回の日本人社長の組織においては、勝社長がセールス・マーケティングまでは見切れないので、実質的なN0.2としてEndicotaroさんが活躍してくれる事は、新体制が成功するための大前提となっていました。

ダニエル社長は社長を退任して、会長職におさまりました。しかし、ビジネスにはもう殆ど口を出さず、実質的には相談役のような姿になりました。設立当初はほんの数億円の売上げだった会社を大きく成長させてくれました。それを考えると、つい、工作君がスゲー頑張ったからだよ、と思ってもしまうのですが、ダニエル社長の存在なくしてはここまで成長できなかったのも事実だろうと思います。

シリコンバレーでは、Early Retirementといって、若いうちに大金持ちになって、生き馬の目を抜くような世界からはさっさと足を洗い、悠々自適に暮らすというドリームを持つ人たちが多く存在します。実際、30代で数億円稼いで、その後は宗教の世界へ入ったというトップセールスだったリッチさんという我々のセールスレップとも何度も一緒に仕事をしましたし、スタートアップへ転職してストックオプションで何十億円も稼いで、ウハウハになったリッチ君という彼もSS-Systemsの仲間でした。リッチでいいなあと思いました。

ダニエル社長のケースはそれ程極端ではありませんが、老後苦労しないだけの大きな収入を得た後に50代なかばで引退となった訳で、まあまあ早いリタイアメントですよね。その後はシリコンバレーの郊外でゆっくりとした生活を楽しんでいらっしゃいます。

ダニエル社長、11年間お疲れ様でした。

 

 

第81話へつづく

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