連載小説 第82回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任中。ビジネス環境にも大きな変化が起こり、インターネット、電子メール、Windows95と新時代を迎えていました。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第82話 Windows95登場!

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の15年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も絶好調です。半導体事業も絶好調です。

 

私とトム君がSS-Systemsへ赴任したのが1989年の夏でしたから、あれ、もう5年経っちゃったじゃん。その時期になると、皆ざわざわするのではあります。

サイコーエジソン株式会社の場合、任期のガイドラインというのがあり、独身3年、既婚者5年となっていました。しかし、まあ、ガイドラインというものは結構フレクシブルで、5年といっても、10年近くいる人もいますし、状況によっては1~2年でお帰りになるという方もいました。

ダニエル社長から勝社長に替わるという状況の中、新体制が軌道に乗るまではあまり急激な変化はないように暫く赴任者をそのままにしておくという配慮だったようで、私とトム君は少々期間が延びていました。

そうこうするうちに世の中は次の年へと向かっていました。

1995年がやってきたのです。

1995年といえば、その名の通り、Windows95がリリースされた年です。これはかなり画期的な出来事でして、ビジネス環境は大きく変化していきました。SS-Systemsのような企業はいち早くネット環境を整えましたから、Windows95をより有効に利用できるようになりました。Windows95を開発したMicrosoftはその中に検索エンジンとしてInternet Explorerをプリインストールしていましたので、Netscapeなど他のエンジンを入れなくてもあっという間にネット空間で検索を行う事ができるようになっていました。

加えて、Windows3.1に比べて、GUIが向上するなど、様々な点で改良が加えられ、Windows95はこんにちのWindowsの原点になったとも言えるでしょうか。

一般家庭においてインターネットが使えたかというと、企業向けよりは少々ハードルが高く、お金をかけてそれなりの準備をしなくてはなりませんでした。しかし、ISP(Internet Service Provider)と呼ばれる業者が多数事業に乗り出し、シェア争いに必死の状態でした。これによって、一般家庭でもインターネットを楽しめるようになっていったのです。

このWindows95とインターネットの普及によって、それまでのITの世界は一変したと言っても過言ではないでしょう。ただ、新しいOSをリリースするにはそれなりの準備が必要だったらしく、年初に出すと言っていたWindows95は遅れに遅れて、米国で8月発売となりました。そんな訳で、このOSはWindowsLate95などと揶揄される事もありました。

日本版のリリースは11月までずれ込んだのでした。まあ、それでも英語版から3ヶ月経っただけで日本語版が出せるというのは相当な努力があったのではないかと思います。

Intel-Microsoft-IBMの連合は非常に強力になっていきました。

1995年にはこんな事も起こりました。

1月17日に発生した阪神淡路大震災です。私たちは、地震の多い日本で育ち、更にアメリカへ赴任した年の1989年にサンフランシスコ大地震を経験しているので、少しは地震の怖さを分かる気がしましたが、関西方面での地震がどれほどの事だったかは実際に遭遇した人にしか分からないものだろうなとは感じました。

テレビや新聞の報道で知る限りでは、6,000人を超える方が犠牲になったとのことで、サンフランシスコ大地震の60人ほどに比べても規模の大きさが伺われます。SS-Systemsにも関西出身者がいて、それは、いつも近くで仕事をしている現地採用日本人の三木一郎さんでした。幸い、ご家族は無事だったといいますが、家屋にはかなりの損傷があったという事でした。

遠い日本で発生した災害に対して、できる事はあまり多くはありませんでしたが、三木さんの実家のために、SS-Systems内の親しい人たちで、ささやかながら義援金を募りました。

さて、日本ではもう一つ、酷い災害がありました。これも人為的な事件ながら、災害と言ってもいいでしょう。

3月20日の月曜日、私はたまたま東京にいました。日本出張の最終日で、成田空港へ向かっていたのです。午後の便でサンフランシスコへ向かいます。成田に着くと、テレビで地下鉄サリン事件の報道をしていました。最初は何の話か理解できませんでしたが、よくよく聞いていると、それはとんでもなく恐ろしいテロ事件なのだと分かってきました。

普段はアメリカに住んでいる私なのに、よりによって日本出張のさなかにこんな恐ろしい事件が起こるなんて、しかも、その事件が起こっている時間に、地下鉄こそ使わなかったものの、非常に近いエリアを通って成田まで来たのだと思うと、急に恐ろしく感じたものです。

もし、巻き込まれていたとしたら、命を落とすか再起不能になっていたかも知れません。

被害に遭われた方には本当にお悔やみ申し上げるしかないのですが、無差別テロは本当に防ぎようのない事故です。テロ集団に対してはやりきれない憤りを感じます。

まともな神経ではこのような非人道的なテロ行為をできるとは思えないのですが、時としてまともでなくなってしまう人間の性には救いようのない怖さを感じます。

それにしても、このような非道は、大抵はトップ1名の発狂によって起こってしまうのではないかと考えると、そのトップを取り締まる事が集団をテロに発展させない最良の方策だと思えます。しかし、そのトップを取り締まる事がいかに難しいかを考えさせられてしまいました。

かの宗教団体は、あのような気味の悪いトップをその周りが軌道修正できないどころか、暴走に自らも加担して加速させてしまっている。側近はみな知的能力の高い者たちだったようですが、本当の意味で知的能力が高ければ、あの気味悪いトップに同調する事は無かったかも知れません。彼らはみな洗脳されて盲信状態になっていましたから、やすやすと洗脳されないすべも必要だったのでしょう。

集団においては独裁状態を発生させない事がテロや戦争防止の解決策の一つだと思うのですが、いつの世においても独裁者が暴走し、一般の人々が甚大な被害を受ける構造は続いています。世界は何故、独裁者の暴走を阻止できないでいるのでしょうか。

誰でも、理由もなく危害を加えられたくないでしょうし、そのような事態を傍観する立場の人々も、大多数は平和な世の中を望んでいます。

私がこの記録を書いている2022年においても、信じられないようなテロや、戦争や、戦争犯罪が起こっています・・・。

 

 

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