連載小説 第92回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任していましたが、夫の倫太郎さんがソミーヨーロッパへ転職する事になり、私もサイコーエジソンの現地法人Edison Semiconductor GmbHがあるドイツのミュンヘンへ異動しました。IT環境は、インターネット、電子メール、Windows95と新時代を迎える中、ヨーロッパでは携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第92話 ミュンヘンでのお仕事

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の16年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法Edison Semiconductor GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。うふっ。でも、仕事は結構忙しくて、新婚生活どころではありません。結婚して4年ほど経ってますけど(笑)

 

 

なぜ私のミュンヘン転勤がいとも簡単に承認されたのか?

その謎はあっという間に解けてしまいました。携帯電話に関連する市場が急激に立ち上がり、サイコーエジソン株式会社の半導体製品も売れまくって大忙しになってきたからなのです。

売上げがアップしてきている訳ですから、とても喜ばしい事なのですが、半導体が急激に売れるようになるとどうなるかというと、これまでも語ってきたとおり、品不足によってサプライチェーンの中にいる全ての人々に大変な事が起こるという事なのです。

販売会社は顧客と製造元との間に立って両者の調整をしなくてはなりません。

私は、オペレーション部門の責任者として、日本に対する発注と納期の確保を全力で行います。しかし、モノゴトには限りがあって、できないものはできないという事態が起こります。このような時の当事者は辛いです。板挟みになってもだえ苦しむのですから。

皆さんにもご経験がおありではないかと思うのですが、例えば、運悪く、その日に限ってシェフがおなかを壊して入院してしまったレストランへそれと知らずに入ってしまい、待てども待てどもランチは運ばれてこず、とうとう午後の始業の時間に遅れてしまったという経験の一つや二つあろうかと思うのです。え、ありません? いや、シェフは入院していなくてもいいのです。おうちで寝ていてくれてもいいのですが、それでも経験ないですか?

宜しいでしょう。ま、それと同じような事でと分かって頂ければ結構です。

つまりは、半導体の供給能力に対して大幅に需要が勝ってしまい、待てども待てども半導体製品はやってこない、あげくの果てにその半導体部品を使った完成品の発売日は過ぎてしまい社長は激怒する、或いは、ある月に10万台作って売る計画だった電話機は2,300台しか作れないまま空しく日々は過ぎて行く、ほんのちっちゃな半導体部品1個のために! そして社長は激怒する、というような出来事が、世界のあちこちで起こるという事です。

思い出すだけでも、身の毛のよだつような出来事ですね(笑)。完成品メーカーの生産計画は乱れに乱れ、半導体メーカーに対して矢のような催促が来ます。そんな時、毎日毎日、文句を言われる人の身になって考えてみてください。

「誰かからの毎日の催促」は精神に段々とダメージを与えていきます。そして、恐ろしいのはその「誰かからの催促」は一番の川下から一番の川上まで完璧に連鎖していて、そこの関わるほぼ全員が誰かから毎日催促を受けるのです。

これは、業界全体でみると、一人が一日に受けるダメージを-αとすれば、-αx全員x毎日=-αxとてもスゴい量 となり、ダメージの総量は想像を超える大きさになってしまうのです。殆ど付加価値を生まない仕事のために業界全体が総力をあげる事になり、その損失ははかり知れません。

未だに半導体業界において需給バランスが崩れた時の有効な解は見つかっていないと言っていいでしょう。私がこの物語りを執筆している現世においても、半導体需給の逼迫により、自動車メーカーは大幅な減産を強いられ、善良な市民が新車購入の契約を取り交わしても、納入は半年後です、などと言われていたりしています。

歴史は繰り返すと言いますが、世にも恐ろしい殺傷能力を持つ兵器を開発してバカみたいにたくさん作る能力がある人類であっても、半導体の需給逼迫時には有効な手立てを持たず過去と同じ失敗を繰り返すという事でしょうか。今日も世界のどこかでサプライチェーンの中の誰かが、「誰かからの毎日の催促」を受けて精神をすり減らしているかと思うと、全く気の毒な事だと思いますが、それと同時に実は少々感慨深いものも感じるのです。

自分の力ではどうしようもない事であっても、何とか顧客の要望にこたえるため可能な限りの努力をし、少しでも良い納期回答を引き出す事に成功する、という経験を数限りなくしてきたからでしょうか。

一方で、ようやく引き出した「少しでも良い納期」が、蓋を開けてみたら、やっぱり守られなかった、顧客からは2倍3倍の叱責を受けた、というような事もしばしばでしたが・・・。

 

 

 

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