連載小説 第94回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任していましたが、夫の倫太郎さんがソミーヨーロッパへ転職する事になり、私もサイコーエジソンの現地法人があるドイツのミュンヘンへ異動しました。IT環境は、インターネット、電子メール、Windows95と新時代を迎える中、ヨーロッパでは携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第94話 トム社長就任

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の16年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。うふっ。でも、仕事は結構忙しくて、新婚生活どころではありません。結婚して4年ほど経ってますけど(笑)

 

 

「舞衣子さん、大変な事になってしまいました」

と言って来たのは、3年前からミュンヘンに赴任している原口博君です。原口君は、営業部の営業技術課から赴任してきています。私がアメリカへ赴任した後になってサイコーエジソン株式会社へ中途入社した方なので、面識はありませんでしたが、同じ半導体の営業部出身者という事になります。私より5歳くらい若くて、元気な人です。私だってまだまだ若くて元気ですけどね(笑)。

それにしても、原口君たらまたいつものノリで大げさな事を言ってるんじゃないかしら、と思い,聞いてみました。

「どうしたのよ、大変な事って」

「それがですね、金丸社長が緊急入院しちゃったんですよ」

「え? 一体、どうしたっていうの?」

「よく分からないんですけど、出張先で倒れちゃったんだそうです」

「どうして?」

「なんでも、脳の血管がどうのこうのっていう事らしいんです」

「え、それは大変」

「大変です」

突然の話でびっくりしてしまいましたが、我々にはどうする事もできません。何とか無事にと願うしかなかったのでした。

幸い、命に別状はなかったのですが、脳梗塞だったため、身体の一部に麻痺が残り、発話も少々不自由になってしまいました。残念ながら、それまで通りに仕事を続ける事はできなくなってしまったので責任者の責務を果たす事が難しく、緊急に代わりの人財を社長とする事が決まりました。

それでですねえ、予想外の事だったのですが、アメリカ赴任中だったトム君こと富夢まりお君が社長としてヨーロッパへ異動してくる事になったのです。おお、何という事でしょう。ほんの2ヶ月前に私がサンノゼからミュンヘンへ異動する時、「とうとう職場が別々になったね。でもお互いそれぞれの場所で頑張ろうね」と誓い合ったトム君がミュンヘンへやってくる事になったのです。それで、気がついてみたら、私たちはまた同じ職場で働く事になったという次第です。

それぞれの場所で頑張ったのはほんの短い間の事で、また一緒の職場になりました。面白い巡り合わせというべきでしょうか。それとも、世に言う「腐れ縁」という事でしょうか(笑)。ま、「面白い巡り合わせ」という事にしておきましょう。

今度はトム君は現法の責任者ですから、私はそのスタッフとしてサポートしていく事になります。勿論、社長は大変です。全ての事に責任を持たなくてはなりませんから。それにしても、同期の中でもオチャラケ系の筆頭だったトム君ですから、そんな彼にEdison Semiconductor GmbHの社長が務まるの?と心配する向きもありましたが、まあ、案ずるより産むが易し、と言いまして、周りのサポートさえあれば何とかなってしまうもののようです。10月になって赴任してきたトム君は早々に新しい職場になじんで、責任者としての仕事をこなすようになりました。特に、それまでの日本人赴任者筆頭の原口博君には助けられていました。

まあ、トム君はオチャラケ系の要素はそのままですが、社会人を15年以上やっている訳ですから、それなりに成長していたのですねえ。嬉しい限りです(笑)

ただ、彼がちょっと苦労したのは、ローカルスタッフの一部には日本企業にコントロールされている的な不満があった事でした。ドイツ人が誰でもそうだという事ではないでしょうが、理屈っぽい人たちが多いために、カリフォルニア的脳天気とは真逆で、ジャマイカのノリでは調整しきれない場合も多かったのです。あ、因みに、ジャマイカはカリブの国の名前ですが、ここでは「じゃ、まあ、いいか」の略です(笑)。その点では、アメリカは楽だったなあ、と思います。

結局、ローカルスタッフの声を拾い上げるために、毎週マネジャー以上でミーティングを開く事にして、月曜日の午後イチは様々な課題を話し合う時間になりました。ここでは、トム君がアメリカで培ってきた英語でのコミュニケーション能力も力を発揮しました。ローカルスタッフも皆英語でやりとりをしましたが、トム君と私の英語は本場アメリカで行われているコミュニケーションだと彼らには捉えられたので、それまでの日独的な話し合いというよりは、世界人同士のオープンな話し合い的な感覚で受け入れられた様子でした。

こうしてトム君がいち早く対策を講じた事で、ローカルの不満も軽減する事ができ、それまで以上に業務は活発に回るようになっていきました。ビジネス案件も売上げも増え、順調に事業が成長した時期です。

新社長の最初の成果でした。

 

第95話につづく

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