連載小説 第96回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任していましたが、夫の倫ちゃんのドイツ転職を機に、私もミュンヘンにある現法へ異動しました。ヨーロッパでは携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ、一度は別々の職場になったと思ったトム君が緊急赴任して来ちゃいました。あら、また一緒ですねえ。うふっ。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第96話 ヨーロッパ携帯電話市場

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の16年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。うふっ。そこへ、トム君も赴任してきちゃいましたよ。

 

さて、前回お話したとおり、我々の半導体ビジネスは半分以上が携帯電話関連のアプリケーションに使われていました。冷静に考えれば、あまり一つの市場に特化し過ぎると、将来的には不安定要因になると考えられる訳ですが、とにかく携帯電話市場が飛躍的に伸びているので、そこで頑張らない訳にはいきません。

それにしても、携帯電話市場を語る時、今でもちょっと身構えてしまう自分に気づきます。何故に身構えてしまうのかといいますと、それはひと言では申し上げにくいので、この大河小説の続きから汲み取って頂ければなあと思う次第です。

何しろ、日本の電子デバイス産業の栄枯盛衰にも繋がるお話でして、そこに多大な影響を及ぼした巨大市場の巨大ビジネスについては、すこぶる巨大過ぎて私たちの手に負えないモンスターであったと思うのです。

ヨーロッパの携帯電話は、アナログ方式の第1世代の段階では、各国で異なるサービスが行われていましたが、第2世代でデジタル方式に変わり、1987年にGSM (Global System for Mobile Communications) という欧州全体の統一規格になりました。これがその後の飛躍的な発展に繋がりましたね。

GSM方式のサービスは、一番早くはフィンランドで始まりました。1991年の事です。フィンランドは広大な面積の中で人口密度が低く、固定電話のインフラを整備するよりは、携帯電話の方がかえって良かったようです。

1990年代後半になると、各国でGSMのインフラが整備され、おびただしい数の携帯電話が溢れかえるようになりました。

その頃の携帯電話メーカーのトップランナーはNokiaです。フィンランドで古くから色々なものを作っていたメーカーで、製紙、ゴム製品(タイヤや長靴)などが有名です。なんで長靴屋さんが最先端技術商品?と思われるかも知れませんが、Nokiaは色々な会社が合併しているので、多角経営だったのです。1960年代から電気通信分野へ進出し、電話交換機用のデジタルスウィッチなどを主力としていました。一時はパソコンなども手掛けていましたが、1990年代には携帯電話に特化するようになっていました。

ノキアの携帯といえば、初期のガラケーを思い出す方も多いのではないかと思います。そして、あの独特なチャルメラ的着信音が心の中で聞こえてくる人もいるかも知れません。「ちゃらら~ら、ちゃらら~ら、ちゃらら~らら~」です。ドイツではノキアのシェアがある時期においてはなんと50%を超えていましたので、街を歩けばどこかであのチャルメラ的メロディが聞こえてくるという事が長いこと続きました。

あのチャルメラ着信音は、最初はまあいいのですが、段々耳についてくるようになり、そのうちウルサいなあ、という感じになっていきました。人によって感じ方は色々だったでしょうが、私にとっては携帯の着信音はあのセンスではありませんでしたね。

後に調べてみたら、あれはギターの巨匠フランシスコ・タレガ先生の「大ワルツ」と言う曲のAメロをアレンジしたものだそうで、タレガ先生に対しては、申し訳ございませんと心の中で謝りました。誰があのようなアレンジをしたのか、折角のタレガ先生の曲があのような形で世界中に鳴り響いていたのかと思いますとちょっと残念な気もする一方で、さすがタレガ先生、世界を席巻しましたね、うふっ、とも感じたものです。

あ、言い忘れましたが、かのギターの名曲である「アルハンブラの思い出」を作曲した大先生です、タレガ先生は、はい。

あまりにアレがウルサかったせいか分かりませんが、その後携帯の着信音は、音量はゼロにしてバイブレータで知らせるというマナーモードが多くの人々のスタンダードとなっていったようです。

因みに、ノキアの携帯は日本でもかなり売れました。一時は日本メーカーを脅かすシェアを握っていたようですので、なかなかのものです。ガラケーの時代に海外勢でそこまでシェアを伸ばしたメーカーは殆どなかったと記憶しています。

しかし、携帯電話はめまぐるしく状況が変わる世界でした。ある日スマホが発明されて、世界を大改革した時からノキアの凋落は始まりました。ガラケーでのシェアが非常に高かっただけに、世界のガラケーが一気にスマホへ移り変わると、携帯電話メーカーの勢力図は一変し、ノキアは瞬く間もなく圏外へと消えたのでした。ただ、それはスティーブ・ジョブズがスマートフォンを世に送り出した2007年より以降の事ですから、私がミュンヘンで働き始めた1995年からは10年以上先のお話です。

「イノベーションのジレンマ」に謳われているとおり、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」です。え?「イノベーションのジレンマ」じゃない?「平家物語」?

そうでした、そうでした。あはは。でもですねえ、事の真髄は一緒ではないかと思う訳です。ノキアは、おごれる者久しからず、になって、盛者必衰の理(ことわり)を体現してしまったという事です。

「イノベーションのジレンマ」のクリステンセン先生も同じような事を考えていらしたのでしょうね。

あ、そうです。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」 これは、取りも直さず本作品のメインテーマでしたね。

日本の半導体産業、電子デバイス産業の行く末やいかに・・・?

 

 

第97話につづく

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