連載小説 第118回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。米国現地法人のSS-Systemsを経て、今はミュンヘンにあるヨーロッパ現地法人のEdison Europe Electronics GmbHに勤務しています。世界中で携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ液晶表示体と水晶製品のビジネスも統合され、更に大忙しです。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第118話 社長賞ゲット!

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の19年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。アメリカの現地法人SS-Systemsを経て、ヨーロッパの現法Edison Europe Electronics GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんと産まれたばかりのベイビーと暮らしています。ビジネスは絶好調でした。

 

「やったよ、舞衣子」

とトム君が嬉しそうに話しかけてきました。

「何をやったの? それとも、やらかしたの?

「やらかしてなんかいないよ」

「じゃ、何したっていうの?」

社長賞だよ」

「え、社長賞?」

「おお」

「横山社長が何かくれるっての?」

「そうじゃないよ。サイコーエジソン株式会社の本社の社長賞だよ」

「え、本社の?」

「おお」

「誰が社長賞もらったの?」

「俺らみんなだよ。EEEGがさ」

「へええ、EEEGが社長賞」

「そうさ、何十社もある現法の中で認められたって事だよ」

「そっかあ、スゴいじゃん」

「ああ」

「横山社長も喜んでるでしょ」

「うん」

「で、何くれるの、トム君?」

「そうだな、何かくれるんだろなあ」

「私、美味しいものがいいな」

「いや、そういんじゃないだろ」

「じゃ、何くれるの?」

賞状じゃないか?」

「賞状かあ。だったら、せめて英語の賞状がいいわね」

「そりゃそうだよな。ローカルにもちゃんと共有できないとな」

「じゃ、授賞式とかあるの?」

「うん、あるんだよ、それが」

「へえ、どこで?」

「本社で」

「へえ、いつ?」

「秋の現法会議の頃だってさ」

「じゃ、ちょうどいいじゃん。トム君も行くんでしょ?」

「ああ、現法会議にはな。でも、授賞式は横山社長が出席するんじゃないの?」

「ま、そりゃそうだよね。へえ、EEEGが社長賞かあ。良かったね」

「うん」

1998年当時ですから、バブル後の「失われた20年とか30年」に入ってはいるものの、日本のビジネスはまだまだ悪くはなくて、特にエレクトロニクス分野は成長を続けている時代でした。サイコーエジソン株式会社もその例に漏れず、成長のまっただ中でした。我々の帰属する電子デバイスも、プリンター、プロジェクターなど完成品の事業も、IT化の波の中でどんどんビジネスを伸ばしていました。

そのような状況でしたので、何かと華やかにイベントを行う事が多く、社長賞授与式的な行事は頻繁に行われていました。この年も本社近くのホテルのボールルームを借りて大々的に開催したそうです。

この頃、社長賞という制度はかなり肥大化していて、数あるサイコーエジソン株式会社に属する法人のうち、30%くらいが何らかの賞をもらっていたようです。ですので、実態としては、それほどスゴい賞をもらったという訳ではないのでしょうが、それでも、形のある評価を受けるというのは悪い話ではなく、モチベーションの向上に寄与していました。

「ところで、トム君、受賞理由って何だったの?」

「まあ、普通に業績が良かったって事らしいけど、電子デバイス全部を統括して扱えるようになったのと、成長産業の携帯電話市場に大きく入り込んだ事じゃないかな」

「そうか、良かったね」

「うん」

「ノーベル賞だったら1億円とかもらえるのにね」

「賞の格が違い過ぎるだろ(笑)」

「それはそうね」

「ま、賞状だけでも十分だよ」

「ま、しょうがないか、美味しいものは我慢しときますね(笑)」

てな、やりとりがあったのですが、その実、副賞10万円だか20万円だかというのも頂いたそうで、後日、EEEGの全従業員に向けてその報告がありました。100人からいる従業員に割り振れば一人1,000円程度の金額なので、何に使われたか忘れてしまいましたが、何か美味しいものだったかどうか・・・?

ま、美味しいものは食べてしまうとそれっきりなので、なかなか記憶に残らないですよね(笑)

今振り返ってみると、トム君とそんな会話をしていたのも楽しい思い出です。

結局、社長賞授賞式の写真には横山社長のとなりに副社長のトム君も写っていて、ニコニコしていました。

さて、サイコーエジソン株式会社の電子デバイス営業本部では、毎年3月と10月の2回、現法会議というのがあって、欧米アジアの販売現地法人の社長とローカルを含む幹部従業員が日本へ集結し、営業本部と現法が半導体、液晶、水晶などの事業部と様々な打合せをしていました。

これは、各事業の製品戦略や販売方針をグローバルに共有するという意味においては非常に重要な意味があり、このような組織的な活動によって世界中でサイコーエジソン株式会社の電子デバイスは継続的に売れ、成長を続けていたのでした。

一方で、年に2回必ず日本へ行って報告をするというのは、その準備も含めてかなり労力を要する内容でしたので、毎度出かけていく横山社長、トム君、ローカルの幹部従業員にとっては、大変な仕事でもありました。

アジアの現法からは日本への出張は比較的容易でしたが、欧米から日本への出張は距離と時差があって結構大変です。ご本人たちは当たり前に続けていましたが、中央政権へ毎度お伺いをたてに行かなければならないというような感じも少々ありました。平成の参勤交代でしたね(笑)。それやこれやで、皆の仕事はめまぐるしく回っていました。

サイコーエジソン株式会社全体で様々なビジネスが展開されていました。多大な出張旅費を含め莫大な経費がかかっていましたが、それを十分カバーできるだけの売上げと利益があがっていた頃のお話です。

 

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