連載小説 第122回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。米国現地法人のSS-Systemsを経て、今はミュンヘンにあるヨーロッパ現地法人のEdison Europe Electronics GmbHに勤務しています。携帯電話が爆発的に売れる中、我々の電子デバイスビジネスも絶好調。日本への帰任まであと3ヶ月です。広末涼子さんは早慶大へ入学?

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第122話 テネリフェ島

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の19年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。アメリカの現地法人SS-Systemsを経て、ヨーロッパの現法Edison Europe Electronics GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんと1歳になった子どもと暮らしています。ビジネスは絶好調の中、日本への帰任が決まりました。年末年始は大西洋の島でリゾートライフ満喫です。

 

年末に日本への帰任が決まり、1999年を迎えたのは、大西洋上のリゾート地、グラン・カナリアのテネリフェ島でした。クリスマス休暇には真冬のヨーロッパから常夏のリゾートへと大勢の人々が押し寄せます。私たち家族もそのお仲間となったのです。

その年のテネリフェ島はラッキーなことに真夏の気温が続いていて、観光客はホテルのプールかビーチに出て、泳いだり寝そべったりしていました。スペインの一部なので「オラ」とか「グラシャス」などの言葉が飛び交っていますが、基本的に一大観光地なので、大体どこでも英語が通じます。

私たちの子どもはまだ1歳なので、容易に熱を出したりします。その滞在中にも発熱してしまい、病院に診て貰いましたが、そこでの会話も殆ど英語で不自由しませんでした。幸い、発熱は一日で治まりましたので、何事もなかったかのようにテネリフェ島での一週間を楽しむ事ができました。1998年の大晦日はビーチでゆっくり過ごしました。その年最後の夕陽が水平線の向こうへ沈んでいくまで、私たちは大西洋に広がる景色を心ゆくまで楽しんでいました。

「ねえ、倫ちゃん、私たちって、超幸せじゃない?」

「うん」

「こんなステキなリゾートで、家族3人穏やかに新年を迎えようとしているなんて」

「そうだな」

「私、倫ちゃんと一緒になって良かったな」

「ボクもだよ、舞衣子」

「うふっ」

てな会話がありまして、ステキな雰囲気で新年を迎えたという訳です。

1999年の元旦の朝、ホテルでテレビを見ていると、こんな事が告げられていました。

「いよいよ、本日からユーロでの決済が施行されます」

年末までに各国通貨のユーロとの換算率が決められていました。

例えば、ドイツマルクは1ユーロ=1.95583マルクと、固定レートを定められました。

紙幣などの流通には暫く時間がかかったので、私たちは帰任する3月までの間、殆どユーロのお世話になる事もなく、慣れ親しんだドイツマルクのまま過ごす事になりました。

因みに、この日の日本円とのレートは、1ユーロ=133円だったと記憶しています。

いよいよ1999年。こんな事があった年です。

広末涼子さんが私の母校でもある早慶大学に入学しました。しかし、殆ど学校へは通わず、6月になって初登校。学校へ行った事自体がひと騒動になってしまうほどの大人気でした。まったく、世の中は浮かれていましたね(笑)。4年後に結局、女優業に専念したいという事で退学する事になるのですが、それはまだ少々先の事です。

「2000年問題」という新たな社会課題が沸き起こったのもこの年です。若い頃は、2000年とかになったら世の中はどうなるんだろう?自分は生きているのかなあ?などと、ぼんやりした未来のように思っていたのでしたが、とうとうそれが間近に迫ってきたのです。

確かに1900年代の最後の年ですから、何らか節目の事はあるかも知れないなあ、などとそれ以前は想像していたのですが、それが、コンピュータ社会の様々なところで大問題かも知れないなどと取り沙汰されるとは想像もしていませんでした。この事はまたこの年の年末のお話として語れたらと思います。

日産とルノーが資本提携した年でもあります。自動車産業は伸び続けてはいましたが、日本の自動車産業は飽和気味で、日産は業績の悪化に苦しんでいました。それを立て直すべく、新たな施策としてフランスのルノー社と手を組んだ訳ですが、これがその後の日産を大きく変えていく契機になった事はご存知の通りです。

子犬型ペットロボットの「AIBO」が発売されたのもこの年でした。昭和の時代に産まれ育った私のような凡人には、ロボットがペットとして活躍する社会が現実に訪れるとはなかなか想像できませんでしたが、既にネコ型ロボットのドラえもんは普通に認知されていたのですから、当たり前と言えば当たり前の事だったのでしょう。

翌2000年にはホンダが人型ロボットの「ASIMO」を発売し、その後2014年にソフトバンクが「Pepper」を出すなど、とても興味深い開発が続いていきます。大部先の話ですが、「Pepper」には感情を認識する機能が付与される事になるのですが、「感情エンジン」にまつわるお話には私たちも少々関与する事になりましたので、いずれ、この大河小説の中で一つのエピソードとして語る事ができたらと思っております。

話が随分先の世界にまで飛んでしまいましたが、そんな1999年の幕開けでした。

 

 

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