連載小説 第10回
4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

ItohTakamitsu
ペンネーム    桜田ももえ

<これまでのあらすじ>1980年に上諏訪時計舎に就職した詠人舞衣子(よんびとまいこ)。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒の文系女子なのに、半導体営業課マイコンチームに配属。4ビットマイコンを売り始めました。家電もゲーム機も電子化が進み、多くの機器にICが使われるようになっていった頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第10話  超大手ユーザーに4ビットマイコンを売り込んだ!

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですがIC営業部の営業レディです。マイコン担当として少しは実績を上げ始めました。液晶ゲーム向けに売上げがあがり始めたのです。そこで、ちょっこし調子に乗って超大手ユーザーのN天堂さんへも売り込みに行きました。どうせ自分たちは後発のICメーカーだし、ビッグネームの前では殆ど門前払い的な対応をされるかと思いきや、意外な反応を得たのでした。1982年の出来事です。

N天堂はその翌年1983年に、ゲームカートリッジ交換式の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(通称ファミコン)」を発売し、その後数十年にわたって続く世界的なゲームブームを巻き起こした、超画期的企業でした。

その頃は“超”という形容は一般的ではありませんでしたので、“すこぶる画期的な企業”だったと言う方が適切かも知れません。「超」は1990年代言葉でしたね(笑)、失礼しました。

奈良に本拠地を置く半導体メーカーがN天堂御用達だと言われていました。我々のような、はるか山奥の後発半導体メーカーが太刀打ち出来るはずはないと勝手に思い込んでいたのですが、N天堂さんは流石に懐の深いイノベイティブな企業らしく、とにかく情報の間口は広げておこうという感じの姿勢で、色々と話を聞いて下さいました。

しかし、ここでも、私たちのマーケティング能力のなさを痛感しました。そもそも、市場についての調査が不十分でしたし、戦略と呼べるようなものは殆どありませんでした。その時どきでKKD(勘と経験と度胸)によって行き当たりばったりの売り込みをしていたのです。製品の仕様でどのような差別化ができるのか、価格戦略はどうするのか、顧客視点でのサービスポイントは、などなど基本的な戦略が不足していました。

結局、上諏訪時計舎の4ビットマイコンは採用されませんでしたが、大口需要家と話をさせて頂いた事によって私は多くの事を学びました。もっと科学的な調査や分析をしなくてはならないと考え、この話をIC営業部で共有すると、自分たちの未熟さが改めて浮き彫りになってきました。そして、それらの経験が蓄積され、徐々にですが、その後の成長に繋がっていった事が思い出されます。

そんなこんなで、後発の上諏訪時計舎半導体事業でしたが、それでも、そこそこやっていけるのではないかという感触を得ました。1980年に事業部を立ち上げた後は、ほぼ毎年右肩上がりに売上げを伸ばし、1983年頃には業界の中でも一応名前が知れる存在になりつつありました。ICのラインアップも次第に増えていき、海外市場でも次第に売上げが伸びていきました。

その当時の海外市場とは、香港、アメリカ、西欧に限定されており、まだ台湾も韓国もシンガポールもICを使いこなす実力は育っていませんでした。況してや、中国は全く発展が遅れており、現在のようにGDPだけでなく技術力においても世界の主要国になるとは想像もつかない状態でした。

我々は、海外市場にもっと力を入れていこうという事になり、IC営業部は1983年には国内営業課と海外営業課と営業技術課の3つ再編されました。営業部隊はデバイス担当制ではなく、市場別担当制に変わっていったのです。デバイス毎のサポートや販売促進は営業技術課が担当する事になり、マイコンチームはその中に組み込まれました。

この再編成を機に私とトム君はマイコンチームから外れ、海外営業課のメンバーとなりました。1983年の事です。そして、一番イケメンの島工作君も海外営業課の一員となったため、これはまた3人で面白い事ができそうだ、と思ったのですが、彼には別の運命が待っていたのでした。

上諏訪時計舎はICだけでなく様々な電子部品を手掛けていましたし、子会社がプリンターで飛躍的に業績を伸ばし始めていたので、海外の販売拠点はいくつも出来ていました。既に香港へは営業部のメンバーが赴任しており、時計用のICなどを売り上げていました。

当時、香港は安価な時計の一大生産拠点で、世界市場に向けて時計を販売していました。上諏訪時計舎にしてみれば、それらの時計メーカーは競合にあたる訳で、そういうメーカーに対してICを販売するのは、敵に塩を送るようなものだとも考えられましたが、時計用ICは我々だけが作っている訳ではないので、自分が販売しないのならば他のICメーカーが販売するだけだという理屈で、躊躇する事なく時計用ICを外販していました。

次のターゲット市場はアメリカでした。いよいよシリコンバレーに進出です!

 

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