連載小説 第18回4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

ItohTakamitsu
ペンネーム    桜田ももえ

<これまでのあらすじ>上諏訪時計舎あらためサイコーエジソン株式会社7年目のIC営業部海外営業課の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを海外に売っているんですよ。時代はバブルへGo ! ってな感じなので、時にはボディコンも着てたんです(うふ)。

 

 

第18話  私はちょっと調子こいてたかも・・・

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。私は同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。なお、トム君は名前の割に純ジャパです(笑)。

「ねえ、トム君、私たちもとうとう入社7年目だよ。トム君も島工作君も私をほったらかして結婚しちゃうし、社名もサイコーエジソンに変わっちゃったし、私はどうしたらいいの?」

「いきなり、何だよ、私はどうしたらいいのって」

「だって、私だけ置いてけぼり感あるじゃん」

「いや、そんな事はないよ。ボディコン似合ってるし」

「え、なに急に? ボディコン好きなのトム君は?」

「や、そういう事じゃなくて、舞衣子がスネてる的な事言うから、元気づけようってさ」

「ま、いいよ。許してあげる」

「何だよそれ、許してくれなくてもいいからテンション上げろよ」

注:“テンション上げる”みたいな言い方は当時はしていませんでした。

「そうだね。テンション上げるよ。今日も仕事がんばるぞー!」

「ああ、頑張ってくれ」

「ところでさあ、明日はSS-Systemsの社長来るんでしょ?」

SS-Systems Inc.は我々の米国販売現地法人です。同期の島工作君が赴任しています。

「ああ、ダニエル社長な」

「今回は何しに来んの?」

「契約の更新に向けて打合せらしいよ。設立からもう3年になるだろ。今年度末までで、一定の売上げと利益が出たら結構なボーナスが出るらしいぞ」

「そっかあ、日本の給与システムと違うよね」

「出来高払いって事だろ」

「いいなあ、ボーナスかあ。私たちっていくら売上げが上がってもあんまり収入変わらないのにね」

「ま、それがいやならアメリカで働けって事だな」

「それもいいかな・・・」

「え、本気で言ってるの、,舞衣子?」

「結構、本気かも・・・」

「え、アメリカ行っちゃうの、舞衣子?」

「うん、ダニエル社長に聞いちゃおうかな、雇ってくれるって?」

「え、マジかよ?」

「だってさあ、私も結構頑張ってHAL社とのSRAMモジュールのビジネス立ち上げたじゃん」

「ああ」

「それで、何百億円も売上げあげたでしょ?」

「まあな」

「事業部の利益だってずいぶん上がったはずでしょ?」

「そうだな」

「だったら、それに見合ったボーナスがあってもいいと思うんだよね。勿論、売上げが上がらない時はボーナスはないかも知れないけど・・・。どう思うトム君は?」

「まあ、それは考え方次第だと思うよ」

「考え方って?」

「それだと、リターンも大きいけど、リスクも大きいだろ?」

「まあ、そうなるね。でも、いいじゃん、頑張った分だけ評価されるなら」

「まあ、その点はいいんだけど、このビジネスって、舞衣子一人の力で立ち上げた訳じゃないよな?」

「えっ・・・」

「いろんな部門の協力でできた話だろ」

「あっ・・・」

「おい、急に黙り込むなよ、舞衣子」

「・・・」

 

そうだった。私一人で達成したような気になってしまっていたけど、全然そうじゃない。現地法人のSS-Systems Inc. の人たちが何人も関わってたし、事業部の各部門にもスゴく沢山検討してもらって、資料も作ってもらって、HAL社との打合せにも出てもらって、何度も何度もそれを繰り返してもらって漸く立ち上がったビジネスだ。HAL社はスゴく品質に拘る会社なので、事業部で検討してもらう事の量も質も桁違いだった・・・。

出来高払い的な事で言えば、それらの全ての協力を全部正当な形で評価しない限り、フェアではありません。営業だけでできるビジネスなんて一つもないのだったと改めて気づきました。

「あのさ、トム君、私の言った事、一回撤回していい?」

「う、どうした?」

「もう一回良く考えてから話しするから」

「ああ」

「ちょっと調子こいてたかも」

「おお」

注:“調子こく”という表現は当時一般的ではありませんでした。調子に乗ってた、と言った方が正しいですね(笑)

後年になって成果主義という考え方を導入する企業も増えましたが、当時はまだ、そんな言葉すらなかったと記憶しています。企業は家族のようなもので、皆で頑張るんだ的な雰囲気でした。従って、成果の上がる人もあまり上がらない人も一括りになりがちで、それはそれで課題ではあったのですが、人事制度も評価制度も全く “古き良き日本式” だったので、一足飛びに自分の仕事だけは別個に評価してもらう仕組みにはなっていないのでした。

さて、そんなこんながありながらも、上諏訪時計舎あらためサイコーエジソン株式会社の半導体ビジネスも順調に業績を伸ばしていき、年商1,000億円が見えてきた頃です。

中央道のインターチェンジのすぐそばにあった半導体工場では1980年の竣工当初は4インチウェファーの工場しかありませんでしたが、その後、5インチ工場、6インチ工場と設備を拡充し、月産数万枚にあたる製造能力をつけていきました。

微細化技術も進展し、1MSRAMの製造を始めた頃には1㎛くらいまでできるようになっていたと記憶しています。

大規模な投資をして設備さえ導入すれば製造技術はいくらでも前進するという時代でした。主要な製造装置や検査装置も日本製が市場を席巻し、半導体関連産業が非常に潤ってきた時代です。しかし、その産業構造がいずれは日本の半導体産業に大きなダメージを与える事になるとは殆ど誰も想像していなかったのだと、今になってみると分かります。欧米日本以外の国で半導体産業が生まれるまでにはまだかなりの時間がありました。

 

 

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