<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社IC海外営業部の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを海外に売っています。時は1989年。昭和が平成へと移り変わる年。バブル真っ盛りです。元旦の明治神宮で人波の中に消えていった彼は・・・。
第33話 激動の1989年
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC海外営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。お正月休みで実家へ戻ったら、母親からマッチングを勧められ、原宿で青山倫吾郎さんとお会いしたのですが、彼は人波の中へ消えて行ってしまいました。いつかまたお会い出来るのでしょうか?
1989年といえば、昭和が平成に変わった年です。新年まもなくの1月7日に昭和天皇が崩御し、1月8日から平成元年となりました。昭和64年は7日間しかありません。
6月には天安門事件が発生しました。国家権力の脅威は今も続いています。3月にはマルタ会談と呼ばれる米ソ首脳会談によって戦後44年続いた東西冷戦はとうとう終結を迎え、世界のパワーバランスは大きく変わっていきました。この流れは11月のベルリンの壁崩壊にも繋がっていきます。
日本では初の消費税(当初3%)が4月から施行されましたが、バブルは加速して行きます。絶頂を迎えた12月29日の大納会に日経平均最高値の38,957円を記録。その後の大暴落へと繋がります。
電機電子業界は相変わらずの活況でした。ソニーが発売したハンディカムCCD-TR55はパスポートサイズの小型軽量8mmビデオカメラでこの頃から動画を撮影する機器が一般大衆化していきます。
そんな状況の中、1989年は私たちIC営業部にとって激動の年となりました。
バブルなので経営陣もイケイケドンドンです。まず、営業部は国内営業も海外営業も東京へ集結する事になり、特急あずさのターミナル駅新宿にあるオフィスビルの1フロアーに入りました。この頃の西新宿には多くの高層ビルが建設され、新宿副都心として急速に発展していました。2年後に移転してくる東京都庁の工事も始まりつつありました。
IC海外営業部も長野県の工場に隣接した事務所から西新宿へ移転しました。事業部に近い方が何かとサポートを受けられやすいというメリットもありましたが、営業機能が東京へ集結する事で得られる利点も多く、対象者全員が東京へ転勤という状況になったのです。
という事は私もリターントゥ東京?ということになったかというと、そうではありませんでした。何と、アメリカの現地法人であるSS-Systems Incへ赴任する事になったのです。
おお、とうとうその時がやってきたのでした。同期の島工作君がいる現法へ私も赴任なのです。そして、驚く事に何と同期の富夢まりお君も同時に同じSS-Systemsへ赴任する事になったのでした。
え?何で二人同時に? と思われる方もいらっしゃるでしょうが、何と、そう決まったのです。そうです。決まったのでした。
それには理由があります。
一つには、アメリカ向けの半導体ビジネスがどんどん伸びていて、現地と日本を結ぶスタッフが更に必要になった事。二つ目は、島工作君も長い事赴任しているので、そろそろ交代要員を送り込もうという事でした。島工作君はすぐには帰任せず、2年ほどして日本へ帰る事になるのですが、いよいよ同期の3人が2年間アメリカで一緒に仕事できる事になったのでした。
思えば、遙かな道のりでした。ってちょっとおおげさですね。でも、入社後の2年少しを一緒にやってきた同期3人が日本から遠く離れた海外で一緒に仕事をする事になったのですから、それはそれは夢みたいな話だったのです。
日本でトム君と私がやっていた仕事は後輩の何人かに引き継ぎ、私がサンフランシスコ行きの便に搭乗したのは7月末の事でした。トム君は1ヶ月遅れて8月末にやってきました。
これまで出張で何度も訪れたシリコンバレーですが、赴任という形で来た異国の地には感慨深いものを感じた事を今でも思い出します。
「カリフォルニアの青い空」という唄がありましたが、全くその通りで、冬場を除くと毎日晴れています。殆ど雨が降りません。もともと地中海気候で水の確保は簡単ではありませんが、冬場には一定の降水がある事と、州の東側のシエラネバダ山脈が水資源の貯蔵庫になるため、近代の様々な技術をもってすると、ほぼ問題はありません。多くの人口を抱え、様々な産業を発展させる事が可能な地域です。気候が良く、経済も豊かですから、米国内の人々の多くも移住してくるような地域です。特にシリコンバレーは産業の米と言われる半導体製品の多くを生み出していますし、そこから派生、発展した様々な情報技術関連企業を育ててきました。GAFAは全てシリコンバレーをベースとした企業です。
そんなシリコンバレーへ赴任するのですから、ワクワクしない訳がありません。右も左もあんまり分からないけど、アメリカで頑張るぞ~!
これからが楽しみ!