連載小説 第166回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しだったのですが、世界は激変していきます。乗り遅れると大変な事になっちゃうんだけど、もう乗り遅れてる?

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

第166話 KKDで大丈夫?

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の26年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況はめまぐるしく動いていきます。電子デバイス営業本部にも毎日のように変化が起こり、とうとう液晶事業は分離され、各事業ともに大きな変化が。2004年から、私もトム君も再び、半導体事業部に所属する事になりました。年々、売上げは下がり続けていました。

 

2005年12月の営業会議で、翌2006年度の販売計画の第1次集計値が1,000億円の大台を割り込んだ事が発表され、営業部の中に激震が走った事は前回お話しした通りです。その場で、筆頭部長のトム君が、絶対1,000億円は割り込まないようにして半導体事業を堅持していこう、とを飛ばしたのも前回申し上げたとおりです。

ま、その通りになれば良かった訳ですが、現実はそれ程甘くはありません。そもそも、我々の半導体事業の関係者は誰一人として、本当の問題が何か分かっていなかったのでした。或いは、あるレベルでは分かっていたものの、どのような手を打ったら良いか、分かっていなかったのです。

問題の本質は、次のようなところにありました。

    • 先行投資が不十分
    • そのため、技術開発が進んでいない
    • そのため、新規製品の開発が進まない
    • 既存製品に頼ったビジネス獲得に限定され、案件は減少する
    • 売上げは縮小していく

ただ、これは販売サイドから見た問題点で、事業部サイドからは問題は違って見えていたでしょう。

    • 営業が新規企画を取ってこない
    • そのため、新規製品の開発は進まない
    • そのため、技術開発も進まない
    • 先行投資の判断もできない

ニワトリが先か卵が先かのような話ですが、これらを総合的に俯瞰して、大きな判断を下せないでいたのが半導体事業部の実情でした。大きな判断とは、1,000億円の桁の規模の先行投資だったのでしょうが、それは相当難しい判断だったはずです。台湾、韓国などの半導体メーカーが急激に台頭し、米国は何だかんだ新技術やビジネスモデルを生みだして地位を堅持している世界状況の中、日本の多くの半導体事業が相対的に地位を下げ、投資に躊躇していましたから、我々サイコーエジソン株式会社も簡単には判断ができない話なのでした。まして、数千億円のような投資は、我々の規模の企業にとっては、ほぼ無理な話でした。

そうなると、残る道はニッチ戦略しかありません。それまで、事業部と検討してきたように、センシングソリューションのような、ブルーオーシャンで戦えそうな領域に特化する事です。

ただ、問題はその市場調査やマーケティング戦略の検討が十分できていたか、どこまで勝てる戦略に落とし込めていたかどうかでした。

その頃、センシング技術によって、人々の健康や、暮らしの安全、安心を守るという世の風潮は高まっていました。例えば、田舎に一人で暮らしている老母が毎日元気にやっているかを何らかの方法で確認するにはどうしたらよいか。以前は電話や手紙が頼みの綱だったけれど、センシング技術とIT技術を使えば、離れていてもリアルタイムで確認できるよ、というような話です。

センシングソリューションを構成するには、様ざまな技術が必要ですが、半導体も重要な技術になるので、そこに大きなビジネスチャンスが生まれるという訳です。

しかし、そうなると、どのメーカーもその領域に入り込もうとしてきます。先んじて入り込めたメーカーは先行者利益を取り込む事ができますが、遅れてしまうと、美味しいところは先行者に持って行かれてしまい、残りものしか得られなくなります。

我がサイコーエジソン株式会社の半導体事業はマーケティングに長けている組織ではありませんでした。誰一人、理論的なマーケティングなど学んでいなかったので、事業戦略もKKDでたててきたというのが、本当のところだったのです。ただ、2000年頃までは、その場の状況に応じて戦略をたてていれば、市場が勝手に伸びる中、相対的に競合も少なかったため、我々の事業も時流に乗って伸びてきてしまったのです。

あ、KKDですか?(笑) 「勘と経験と度胸」です。理論的によく考えずとも、行き当たりばったりでも、何とかなってしまっていた時代の免罪符的な言葉です。我々の事業では、2000年頃までは、KKDがまかり通っていたのでした。

PLC(Product Life Cycle)というマーケティング理論があります。導入期、成長期、成熟期を経て、製品は衰退していくので、その時期に応じて、事業がとる戦略も変わっていくというものです。

例えば、ブラウン管テレビを例にとると、導入期以来どんどん市場は伸びて、長らく家電市場のど真ん中にいたのですが、液晶テレビが出てくる頃には、一挙に衰退してしまいました。伸びている時は強気な戦略をたてていればいいのですが、成熟期から衰退期においては、世の中の流れをよく見て先を読んでいないと戦略を間違えてしまうという訳です。

製品のライフサイクルと同じように、事業にもライフサイクルがあります。成熟期以降に適切な戦略をとらないと、衰退する一方になってしまいます。また、衰退のスピードが想定以上に速くなってしまうのです。栄枯盛衰は製品にも事業にもあてはまります。

この頃がサイコーエジソン株式会社半導体事業の正念場でした。

 

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