
桜田モモエ
<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京勤務。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しだったのですが、世界は激変していきます。乗り遅れると大変な事になっちゃうんだけど、もう乗り遅れてる?
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第178話 ジリ貧の対応
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の27年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。2000年にはサイコー!だった我々の半導体の売上げは年々下がり続けていました。どうなっちゃうの私たち? 会社はコンサルを使うなどして事業戦略を立て直そうとしていましたが、そんなにうまくいくわけもなく、2007年を迎えたのでした。
2007年を迎えました。
2007年は、世界的には順調な(というよりもバブル的な)、経済状況だったと記憶していますが、年末になって米国のサブプライムローン問題が顕在化し、翌年のリーマンショックという一大金融危機が迫る時でした。日本では1990年にバブル崩壊という一大事件が起こっていたのですが、それから17年。世界は同じような事を繰り返すのですねえ。ま、このお話は後日語りましょう。
さてさて、我々の半導体事業はといえば、生き残りをかけてもがき続けていましたが、どう見てもバラ色の将来は見通せないまま、時間だけが過ぎていくような状況にありました。営業の面々も日々頑張っていましたが、大局的に見れば、受注が出荷を上まわるような状況にはなりません。つまり、売上げ規模に匹敵するだけの新規ビジネスを獲得できなかったとういう事です。
大体、事業が衰退する時には、繰り返し、組織や体制の変更がされるものです。何か手を打たなければジリ貧になるので、手を打とうとするのですが、その手の効果がなかなか出ないまま、次の何かをしなければ無策のそしりを受けるという事になって、変更を繰り返す事だけがトップの仕事のようになっていきます。ジリ貧は変わらないままです。
その頃の半導体事業はまさにそのような状態にありました。商品企画と設計部門を一体化してみたり、うまくいかないとまた別々にしてみたり、或いは、製品分野別にエキスパートを集めてビジネス開拓部門を作ってみたり、と様々な試みを繰り返しましたが、どれも思うような結果を生み出せず、将来的な売り上げ確保は難しくなっていきました。
そうなると、事業縮小のスパイラルですから、リストラが進んでいきます。間接部門のスリム化、製造体制の縮小、設計機能の整理など、が続いていました。
そして、営業部にもその影響が及んできました。売上げが上がらないのですから、仕方ありません。業務効率化とリストラが進められる事になったのです。
その責任者は営業部における筆頭部長のトム君でした。業務内容に合わせて、10~20%の人員削減を行う事を余儀なくされました。派遣社員を整理し、正社員の一部は別の事業部や本社に異動してもらうのですが、言うほど簡単な調整ではありません。私自身も、トム君からの指示を受け、インサイドセールス、つまりはオペレーション業務の責任者として、何人も自分の部下の業務内容や異動を調整しなくてはなりませんでした。それは、今、思い返しても、辛く心苦しい仕事でした。
営業前線の担当者も何人か異動していきました。異動先がすんなり決まる人はまだ良かったのですが、中にはちっとも決まらずに苦労する人もいました。
そのような後ろ向きの事例は、バブル期の日本ではあまりお目にかからなかった事でしたが、バブル崩壊後の日本においては、リストラをしなくてはならない企業や組織を頻繁に目にするようになりました。リストラの担当者は心理的に大変な思いをする事が多かったようです。それは時として人事部門のリストラ担当者であったり、時として、当該部門の責任者であったりです。
そのようなケースでは、意図せずとも、リストラされる側の人間とリストラする側の人間というような対立的構図が出来上がってしまい、当事者は双方ともに良い思いはしません。そして、行きつく先は、リストラをした本人が最後にリストラされる、というのがありがちなオチとなっていました。
中には、ちょうど別の部署や別の勤務地に異動したかった人などのケースもあるかも知れませんが、我々の部署の場合は、職場環境も人間関係も良好で、殆ど誰も異動を望んでいなかったので、対象の従業員との調整は心苦しい事ばかりでした。それでも、2か月ほどかけて、様々な調整をし、その時期の人員削減は終わりました。
という訳で、ご想像つくかと思いますが、ご多分に漏れず、リストラを終えた後にリストラされたのは、トム君と私でした。
あらあら・・・
第179話につづく