<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任していましたが、夫の倫ちゃんのドイツ転職を機に、私もミュンヘンにある現法へ異動しました。ヨーロッパでは携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ液晶表示体と水晶製品のビジネスも統合される事になり・・・。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第105話 会社の名は。
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の16年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。うふっ。そこへ、同期のトム君も赴任してきちゃいましたよ。そして我がEdison Semiconductor GmbHは業容も新たに新会社になります。
これまで、Edison Semiconductor GmbHとして、ヨーロッパ市場向けにサイコーエジソン株式会社の半導体を販売してきた私たちでしたが、1996年4月をもって液晶表示体と水晶製品も扱う事になり、現法としての名称も変える事になりました。
「それでさ、現法の名前は何がいいと思う、舞衣子?」
翌日、トム君が私に聞いてきました。
「あら、今日は女王様扱いはやめたの、トム君?」
「ん、ま、普通にって事で・・・」
「あらそう、ま、いいでしょ」
「はいぃ」
「ふん、名前ねえ・・・」
「俺としてはさ、EdisonとEuropeは外せないとして、あとは電子デバイスの販売という事をどう表現するかって考えてるんだけど、どう思う、舞衣子?」
「どう思うって言われてもねえ」
「じゃ、Edison Electronic Devices Europe Sales GmbH とかはどうかな?」
「6個もあるよ、単語が」
「あ、ああ」
「せめて5個じゃない? できれば4個」
「じゃ、一つ少なくしようか」
「どうぞ」
「Edison Electronics Europe Sales GmbH」
「まだ、長いよ」
「でも、何を削ればいいか・・・」
「Salesなんていちいち言わなくてもいいんじゃない?」
「そっか、じゃ、Edison Electronics Europe GmbH」
「ま、良くはなってきたわね」
「だめかなあ、これじゃ?」
「インパクトがないのよね」
「そっか?」
「Edison Europe、以上、ってのは?」
「ひょえ~、Edison Europeか」
「カッコいいじゃん」
「や、でも、電子デバイスしか扱ってないのに、Edison全事業のヨーロッパ支社みたいのは、怒られるよ、絶対」
「そうかしら」
「そうだよ。だって、そのためにオランダに支社があるんだから」
「だって、あそこが扱うのってプリンターだけでしょ?」
「いや、そもそもアムステルダムがサイコーエジソン株式会社の支社で何でも扱っていて、ミュンヘンは半導体だけの特殊現法だったんだから」
「でも、今度は半導体だけじゃなくて電子デバイスを全部扱うんでしょ」
「ま、そうだけど、流石にそのお名前はねえ」
「じゃ、分かった、Electronicsだけは入れてあげるわ」
「じゃ、やっぱ、Edison Electronics Europe GmbHでいいか舞衣子?」
「私が決めていいの?」
「いや、原案を提出って事で」
「だったら、インパクトよ」
「でも、さっきと同じ議論になっちゃうんじゃ?」
「トム君、バシッと行こう」
「は、はい」
というような会話の末、少しでもインパクトをという私のサジェスチョンを受け、Europeを先に押しだして原案はこのようになりました。
Edison Europe Electronics
ううん、カッコいい。何てったってEdison Europeと謳った上でのElectronicsですから、うふふ。しかも、Eが3つ並んで韻を踏んでいるし・・・。
この原案を電子デバイス営業本部を通じて本社に提案し、良ければそれで決まりとなります。どうだ、まいったか。あはは。という感じで本社の承認をお待ちしたのでしたが・・・。
我々の原案通りで決裁はおりず、あっけなく却下されました。あはは。
残念ながらEx3だけでは収まらず、GmbHも付ける事になったのでした。すなわち、
Edison Europe Electronics GmbH
です。
ドイツで法人登記する以上GmbHは外せないのでした。あちゃ。
Ex3+Gとなったのですが、ま、いいでしょう。私の主張したインパクトは、ほんの少しですがその名に刻まれる事になったのでした。Europeを先に言っちゃうというどっちでもいいような話でしたけどね(笑)。そして、そんなこんなで、私たちはこの現法をEEEと略して呼んだりもしていました。
さてさて、そうこうするうちに、新社長の横山さんも3月には赴任していらっしゃり、新生Edison Europe Electronics GmbHが誕生しました。
横山社長は着任早々、お父様のご不幸があり、一週間もしないうちに一時帰国されるという事になりました。そのため、1996年4月1日という記念すべき初日に横山社長がミュンヘンにはいらっしゃらなかった、というのはちょっと残念でしたが、無事に新会社はスタートしました。
5月には改めてEEEのオープニングセレモニーを行う事になり、ミュンヘン日本領事館の総領事や主要顧客の方などをお招きし、ドイツ語、英語、日本語を交えながら和やかにセレモニーが行われました。
司会を務めてくれたのが、横山社長の秘書であり、我々日本人赴任者のお世話係でもあったマユミ・ハーガーベルクさんでした。マユミさんは東京に生まれ育った日本人で、たまたまドイツ人男性と巡り会って結婚し、ドイツに移住しました。すでに一児の母親で、ミュンヘンで暮らしています。ドイツ語も英語も堪能なので、このような場では大変活躍してくれます。
こうして、オープニングセレモニーも無事に執り行われ、内外にも正式に認知され、Edison Europe Electronics GmbHは順調に滑り出しました。
事業もそれぞれ順調で、売上げ、利益ともに右肩上がりです。会社としても健全な経営状態でしたので、あんまり悩みはないのかなあ、と思っていましたが、従業員の中に少々不満が溜まり始めていたのでした。
どんな不満だったかですか?
それは、また次回お話ししたいと思います。