連載小説 第54回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。食生活の変化で私の見事な肉体は更に水平方向へ成長しつつも、同期の工作君とトム君とも一緒に毎日忙しくやっています。Appleの青井倫吾郎さんとは、メキシコ料理の情熱ナイトを経て・・・。

 

 

第54話 ハードディスクとPCと私

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の11年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。美味しい食事の連続で、私の見事な肉体(笑)は水平方向へ更に見事な成長をとげつつありましたが、アップル・コンピュータにお勤めの青井倫吾郎さんとはメキシコ料理の情熱ナイトを経て、婚約発表も間近?マジか?

 

 

「舞衣子ちゃん、マーケティングのRobertから聞いたんでけど、SS-SystemsがAppleへの売り込みに成功したのは、舞衣子ちゃんがAppleの友人を紹介してくれたからなんだって?」

アドミ担当の副社長である海藤さんが話しかけてきました。ちょっとドキドキしました。だって、ねえ、うふっ。私がロバートに紹介した青井倫吾郎さんは、その当時は「ちょっと気になるけど単なる知り合い」的な方だったのですが、つい先日のメキシコ料理情熱ナイトを経て、今では私の特別なお方になっているのですから。

「ありがとうございます。紹介したのは昨年ですからもう大分経ちましたけどね。でも、ビジネスが取れて良かったです」

「どうしてAppleの人を知ってたの?」

ますますドキドキします。

「あ、えっと、母の同級生なんです」

「え、お母さんの同級生? じゃ、かなり年配の人なの?」

「あ、間違えました~(笑)。母の同級生のお子さんです。私より二つ上です」

「ああ、そうなんだ。でも、日本人でApple本社って珍しいね」

「ええ、でも青井さんは、あ、青井倫吾郎さんっていうんですけど、UCバークレーを出ていて、ロバートと同級だったんですよ」

「あ、そうだったの。それは素晴らしい。今度紹介してよ」

「え、興味あるんですか?」

「そりゃ、シリコンバレーで活躍してる日本人ならねえ。ま、いつでもいいけど」

「はい・・・」

ドキドキです。紹介しなくちゃいけない? 何て紹介すればいいんだろう? ま、いつでもいいらしいけど・・・。

その当時、シリコンバレーには相当数の日本人がいました。私も青井倫吾郎さんもその一人ですが、多くは、日本企業からの赴任者かアメリカ人と結婚した女性です。倫吾郎さんは、アメリカの大学を卒業して、自分の力だけでアメリカ企業に入った人なので、それだけでも尊敬します。我々のように日本企業の庇護の下でアメリカ企業に入っている訳ではありません。

その頃は数多くの日本の電機電子メーカーがシリコンバレーに進出していたので、日本人赴任者はかなりの数に上っていたと思います。時には横の繋がりで同じ日本企業の赴任者同士、交流を深めましょうなどという活動もありました。

サイコーエジソン株式会社のSister companyであるサイコーインスツルメンツの日本人赴任者とテニスの対抗試合をして、懇親会で乾杯した事も思い出します。SS-Systemsの日本人赴任者は沢口治虫君をはじめとして、黒沢賢人君などテニスの上手な赴任者が多かったので、結構いい試合をしていました。トム君やニックも頑張ってましたね。

海藤副社長からの、倫吾郎さんを紹介してくれという指令は、まあそんな機会があったら、という事のようなので、すぐにアクションが必要という事ではないようです。

SS-Systemsには倫吾郎さんと同じような現地採用の日本人もいて、そのうちの一人の三木一郎さん(Mike Miki)は物流の責任者です。日本への発注を行う私の部門とも協力関係にあるので、とても親しくさせて頂いていました。三木さんは神戸出身ですが、高校卒業後アメリカへ渡り、ボストンの大学を卒業して、色々な仕事をしてきたそうです。シリコンバレーに移ってきてからアメリカ人女性と結婚し、今は二人の男の子のパパです。日本人の女性がアメリカ人男性と結婚して、アメリカに住んでいるというケースは数多くありましたが、日本人男性がアメリカ人女性と結婚しているケースはそれ程多くありませんでしたので、それもかなり尊敬に値する事でした。

その三木さんが話しかけてきました。

「舞衣子さん、M社向けのSRAMなんだけど、納期大丈夫でしょうか。ハードディスクが売れて売れて仕方ないみたいなんですよね」

「ええ、分かってるんですけど、なかなか納期が確保できなくて」

「あと、W社もC社も同じこと、言ってるようなんですよ」

「ええ、すみません。今日の夕方も日本と電話会議します。三木さんも一緒に話して頂けると助かるんですけど」

「何時からですか?」

「5時です」

「OK、ジョインします」

日本でバブルがはじけたと言っても、世界的には技術革新が進んでいて、PCやプリンターなどのIT機器がオフィスにも家庭にもどんどん普及していました。この頃の大容量記憶装置と言えばハードディスクドライブ(HDD)です。最初は8インチでしたが、5.25インチになり、3.5インチになりして小型化が進み、記憶容量もどんどん増えていきました。PCの性能が年々アップするのには不可欠なデバイスでした。

その中にサイコーエジソン株式会社のSRAMも使用されていました。半導体市場はシリコンサイクルといわれる需給状態の変化の中にありましたが、長期的には総じて需要が供給を上回る状態にあったので、納期問題は頻繁に起こっていたのです。

サイコーエジソン株式会社の半導体はHDDに限らずIT機器に数多く使われていましたので、その需要の波に大きく影響を受けていました。

物流関係の責任者であるMike Miki こと三木一郎さんには、本当にお世話になりました。日本との交渉においても、サイコーエジソン株式会社の皆さんともすぐ仲良くなれる三木さんの影響力は大きく、とても頼りになる存在でした。

まだ、日本ではPCの普及率が10%程度の時代でしたが、先行するアメリカではPCがどんどん普及して一人一台の時代へと突き進んでいきました。インターネットの時代ももうすぐです。半導体の受注が多くて嬉しい悲鳴をあげていた頃の事。懐かしく思い出します。

 

では、また次回。

 

 

第55話につづく

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