連載小説 第8回             4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

ItohTakamitsu
ペンネーム    桜田ももえ

<これまでのあらすじ>1980年に上諏訪時計舎に就職した詠人舞衣子(よんびとまいこ)。わけあって4ビットAIを内蔵している新人OLです。心理学科卒の文系女子なのに、半導体営業課マイコンチームに配属。4ビットマイコンを売り始めました。家電もゲーム機も電子化が進み、多くの機器にICが使われるようになっていった頃です。

 

 

 

第8話  4ビットマイコンが売れちゃいました!

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが半導体営業課マイコンチームの2年目社員です。当社で開発した4ビットマイコンが売れ始めました。

技術に詳しい訳でもないのにICを売るっていうのは簡単ではありません。しかし、いっぱい勉強して、どうにかこうにか営業メンバーとして活動出来るようになってきました。同期のトム君も島工作君も一応ひとり立ちして、最近では自分一人でお客様のところへ出かけています。私もなんとか一人でアポをとって一人で出かけます。時には代理店の営業の方と一緒に行く場合もあります。入社して1年が経ち、営業部にも後輩が入社してきた1981年の頃です。

1981年といえば、一大ブームだったピンクレディが解散し、ロッキード事件が明るみに出た頃です。貸しレコード店が大流行したのもこの頃で、歌が大好きだった私はレコードを借りまくっていました。それをカセットテープに録音してウォークマンでいつも聴いていましたっけ。ピンクレディの曲は大抵踊れましたよ。私はケイちゃんで、ミーちゃんはその時によって変わりましたが、同じ寮に入った同期入社の青木ミキちゃんと踊るとバッチグーでした。

懐かしい思い出です。

あ、因みにバッチグーという言葉はその当時には存在していませんでした。1990年代に入ってから出来た言葉でしたね。

もう一つ、因みになんですが、青木ミキちゃんは、その後、三木さんという男性と熱烈な恋に落ち、ミキミキちゃんとして残りの人生を過ごす事になりました(笑)。

閑話休題、私と同じマイコンチームのトム君は主に海外の顧客担当。私は国内を中心に活動していました。私は、子どもの頃、父の仕事のためにカナダに住んでいた事があり、英語は得意です。一方、トム君という呼び名の割には純ジャパ(笑)の本名富夢まりお君は、東大経済学部卒といいながら、東大の落ちこぼれなのか、最初英語は喋れませんでした。その得手不得手からいったら、私が海外担当、トム君が国内担当となるのではないかなあ、と二人で話していたのですが、あにはからんや、英語を喋れないトム君が海外担当となりました。

ただでさえ技術的に難しいマイコンICを海外で売ろうというのですから、簡単にはいかなかったようです。でも、何だかんだいいながら、トム君は香港の現地法人の人たちをその気にさせ、4ビットマイコンの拡販を始めました。最初はうまくいきませんでしたが、香港でも液晶ゲームがブームになり、多くの引き合いが来るようになりました。香港のメーカーは雨後のタケノコのように現れては消え、また新しいメーカーが現れ、一発当てたところだけが生き残っていくというような感じでした。それと、正確に言うと香港の一般消費者に向けて液晶ゲームがブームになったという事ではなく、香港で欧米市場向けにゲームを製造する事がブームになったのです。当時は、先進国のみに経済的な余裕があって、生活必需品以外のエレクトロニクス製品が売れるのは殆ど欧米と日本に限定されていました。

私は、色々なお客様に出かけて4ビットマイコンの売り込みをしていました。家電メーカーを回り、計測器メーカーを回り、おもちゃメーカーを回りと活動しているうちに、浅草橋の近くにあるヨネットイ株式会社という玩具メーカーで、ゲームウォッチ向けに4ビットマイコンを採用してもらう事に成功しました。その玩具メーカーは元々ブリキのおもちゃなどを作って大きくなり、その頃はプラスティック製のミニカーが大人気となっていました。

それが急にゲームウォッチを作る事になって何かと大変だったようですが、エレキに強くないおもちゃ開発陣の方々が頑張って4ビットマイコンを使いこなし、なんとか液晶ゲームに仕立て上げてしまうのです。私は見ていてスゴいなあ大人はと敬服していました。あ、一応自分もその頃には大人の仲間入りはしていた訳ですが、世の中の先輩方は馬力にあふれていて、必要であれば24時間働いちゃうという企業戦士ばかりの時代でした。

私たちが手掛けていたマイコンICは2個や3個売って儲けるという品物ではありません。秋葉原で売っているような標準部品ではないので小売りする事は殆どなく、企業様向けにB to Bビジネスとして受注すると、一度に大量製造して販売するのです。当時の目標は1機種あたり数十万個を販売し、1億円以上を売り上げるというレベルのビジネスでした。

しかし、いくら液晶ゲームが一大ブームになっているからといって、ヨネットイ株式会社がそれほど大量に販売出来ると最初は思いませんでした。基本的にN天堂の二番煎じですから、何か特別な事でもなければ難しいのではないかと思ったのです。

放課後、トム君と島工作君に相談してみました。あ、会社では放課後とか言っちゃいけないんでした(笑)。就業後、久しぶりに三人でご飯食べに行って、というか、ビールしに行って、仲良しのお二人にお聞きしましたの、うふ。

「ねえ、昨日ヨネットイさんへ行って色々聞いてみたんだけどさあ、うちのマイコンを使ってくれるのはいいんだけど、そのゲームの内容が何か単純っぽいんだよね。こんなんでN天堂に勝てるのかなあ、って思ったの」

「へえ、舞衣子、ゲームのシミュレータとかやらしてもらったの?」 とトム君。

「うん、少しやらせてもらったんだけど、私には簡単過ぎたの。単純なゲームなので、色々考えなくてよくて、反射神経だけの勝負みたいな感じなのよ」

「そっか。舞衣子は液晶ゲームでも頭使いたいんだな?」

「うん」

「じゃ、頭でスイッチ押したらどうだ?」

一瞬、空気の温度が変わった気がしました。

「・・・あのさあ、トム君、つまんない事言ってないでいいから、ちゃんと相談に乗ってよ」

「や、わりーわりー、自分では結構頭使ったジョークのつもりだったんだけどな」

「あっそう。おかしくて、涙も出ませんことよ」

「え、舞衣子っておかしいと泣くの?」

「何言ってんの、もういいわ、トム君は」

あああ、またトム君はつまんない事言ってる。もう少し、私の気持ちを分かって欲しいのよね、と思いつつ、私はイケメンの島工作君に話しをふってみました。

「工作君はどう思う?」

「そうだなあ、舞衣子にしてみたら、ヨネットイさんのゲームが沢山売れなかったら、うちの4ビットマイコンも沢山売れないから、一大事だよな」

「そうなの。だから、どうしたいいのかなと思って聞いてるわけ。トム君には理解出来てないみたいだけど・・・」

「え、俺は分かってるよ、舞衣子の気持ちくらい」 とトム君。

「分かってないわよ、べーっだ」

私は、あっかんべーをしてみせました。

「や、や、や、ゴメン、舞衣子。そんなつもりじゃないんだよぉ・・・。俺も舞衣子の力になりたいっていつも思ってるんだよおおお。うっうっうっ・・・」

「もう、いいから、トム君は静かにしてて!」

トム君はしょぼくれて黙りました・・・。むふむふ、今日も私の勝ちって感じです、うふ。

え、私って意地悪? そんな事ありませんよ。ちょっとじゃれ合ってるだけなんですから(笑)。

「工作君、わたし、どうしたらいいの?」

島工作君に意見を求めると、彼の意見はやはり秀才でした。

「舞衣子さあ、この商品のターゲットって誰なの? 大人?子ども?」

「うん、まあ、子どもかな?」

「だとしたら、君にとって面白いかどうかが鍵とは限らないよ」

「え、・・・そっかあ、そうだよねえ」

「それに、君には知らされていない何かがあるのかも知れない。N天堂の商品とは違う秘策があるのかも知れないよ。これだけ業績がいいおもちゃメーカーなんだから、液晶ゲームにしたって何かあるんだと思うけどなあ」

実際、島工作君の推測のとおり、ヨネットイ株式会社は私には思いつかない差別化戦略を持っていました。

どんな戦略だったかって? それは次回お話しますね。

 

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