<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社IC海外営業部の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。わけあって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを海外に売っています。時は1989年。昭和が平成へと移り変わる年。バブル真っ盛りです。青井倫吾郎さんとお会いする事になったのです。もしかしてもしかする?
第32話 青井倫吾郎さんとお会いしたのですが・・・
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC海外営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。お正月休みで実家へ戻ったら、母親からマッチングを勧められ、原宿で青井倫吾郎さんとお会いしました。
「青井さん、初めまして、詠人舞衣子と申します。実は初めましてではないらしいですよね。ご一緒したのは随分と昔の事なので、ちょっと記憶が曖昧ですが、何となく覚えています。ただ、子どもの頃の事なので、今の青井さんを街で見かけても絶対分かりませんね(笑)」
「いやあ、舞衣子さん、ボクもね母から、あのBBQの時の可愛い女の子よ、とか言われたんですけど、はっきり覚えていなくて申し訳ありません。でも、こんなにステキな方とお会いできて光栄です」
「うふ、ステキだなんて・・・」
「ステキですよ、舞衣子さんは。オモテになったりするんでしょ?」
「いや、それ程でもないですが、まあ結構オモテになったりもします。うふ」
「ですよねえ(笑)」
「ですう(笑)うふ」
「・・・・」
「・・・・」
何だか、ひとしきりの沈黙が・・・。
そこで、私は思い直しました。こんな幼稚な挨拶をして薄ら笑いをしている場合じゃないです。シリコンバレーです。アップルコンピュータです。そっちが大事なお話です。
「あの、青井倫吾郎(りんごろう)さん、倫吾郎さんは倫吾郎さんなので、アップルに入ったのですか?」
「え?」
「ですから、その、林檎の倫吾郎さんかなって、つい(笑)」
「ああ。それね。時々言われるんですよ。倫吾郎は倫吾郎だからか、とは(笑)」
「倫吾郎さんですものね、うふふ」
「ええ、まあ・・・(笑)」
「・・・」
「・・・」
何だか、ひとしきりの沈黙が・・・。
そこで、もう一度思い直しました。こんな幼稚な会話に終始していてはいけない。シリコンバレーです。アップルコンピュータです。
「あの、倫吾郎さんは何故、」
「あ、それはですねえ、たまたま父方の祖父が青森県の出身で、リンゴ農家だったんです。その関係でリンゴに因んで倫吾郎という名前を付けたらしくて、ボクは次男なんですけどね」
「そうだったんですか、うふ・・・」
「・・・」
「・・・」
「それで、アップルに就職したんですね?」
「あ、いや、そこはそういう因果関係じゃなくて」
「そうですよねえ(笑)。ちょっとおトボケしてみただけです(汗)」
「あ、はい・・・。それで、たまたま、UCバークレーへ留学する機会を得たので」
「え、UCバークレーってあのバークレーにあるUCバークレーですか?」
「あ、ええ。カリフォルニアのUCバークレーです。サンフランシスコのそばです」
「ステキ。私、一度行ってみたいって思ってるんですけど、サンフランシスコからサンノゼには行くんですが、バークレーへ行く機会はなかなかなくて」
「そうですか、サンノゼにはよく行くんですか?」
「あ、ええ、私、4ビットを内蔵しておりますの」
「え、4ビット?」
「あ、いえ、それは置いといて、ワタクシ、ICのセールスレディなのです、うふ」
「I seeのセールスレディですか。それも、おトボケですか?」
「いえいえいえ、それは本当なのです」
「あ、本当なのですね。I seeなのですね?」
「ICです」
「・・・」
「・・・」
「あの、I seeってまさかのI sseですか?」
「はい、ICです」
「例のI see?」
「ええ、例のIC」
「・・・I see・・・?」
「はい、Integrated Circuit」
「あ!セマイコンダクター?」
「え、狭い?」
「あ、狭いじゃなくて、セマイコンダクター」
「・・・あ、はい、そうです、SemiconductorのICの」
「そうですか、ようやく分かりました。セマイコンダクターのICのセールスのレディさんですね」
「え、ええ・・・」
「・・・」
「・・・」
何だか、ひとしきりの沈黙が・・・。いけないいけない。こんな幼稚な会話をしている場合じゃない。シリコンバレーです。アップルコンピュータです。
でも、どうしてICが通じないの? それに、Semiconductorの発音ってやっぱセマイなの?
少しは弾んでるような全然弾んでいないような会話がいくつか繰り返されているうちに、肝心の事は何も聞けないまま、目的地の明治神宮お賽銭箱前まで到着してしまいました。
「あの」
「あの」
二人同時にあのと言ったきり、人混みに押され押されて、あわてて105円を投げこんだのですが、当時はバブル絶頂期の大賑わい。手を合わせる間もなく押され押されて、気がついたら私は一人だけで人混みの中を出口へと行進していたのでした。
倫吾郎さんはどこ?
翌日のフライトで倫吾郎さんはアメリカへ戻って行ったそうです。
私は一人ぽつんと原宿駅に立ち尽くしていましたが、とうとうお会い出来る事はなく、私の、もしかして、もしかしたら、もしかする?の倫吾郎さんとの人生二度目の出会いは、あえなく終了してしまったのでした。
はぐれたら、なんでLINE送らないの?と素朴な疑問をお持ちになる方もいらっしゃるかも知れませんが、何てったって1989年の元旦です。携帯電話という優れものはどこにも存在しておりませんでした・・・。
私って薄倖の女?