連載小説 第160回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しですが、台湾や韓国などの新興勢力も台頭してきて、日本の電子デバイス業界は激変の連続でした。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第160話 日本が発明したフラッシュメモリー

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の25年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況はめまぐるしく動いていきます。電子デバイス営業本部にも毎日のように変化が起こり、とうとう液晶事業は分離され、各事業ともに大きな変化が。2004年10月、私もトム君も再び、半導体事業部に所属する事になりました。思ったように売上げは上がらなくなっていきました。

 

時は2005年へと移り変わって行きました。2005年といえば・・・。

京都議定書が発効された年です。地球環境問題が段々とクローズアップされてきて、COP3と称される第3回気候変動枠組条約締約国会議が京都で行われました。非常に簡単に言えば、温室効果ガスの削減を各国で取り決めたという話ですが、中国を含む当時の途上国が数値目標を持たなかった事と、アメリカが賛同しなかった事で、実効性の低い条約になってしまいました。

しかしながら、今振り返れば、画期的な事ではあったのです。何も対策を取らなければ、地球環境は悪化の一途をたどったのでしょうが、その後の国際社会に対して、少なからずプラスの影響を与えたという事だと思います。

人類発展の歴史は輝かしいものですが、急速すぎて行きすぎた発展は大きな代償をもたらします。将来にわたって持続可能な発展でなければなりません。

そのような世相を反映してか、この年、クールビズというファッションが流行し始めました。夏の暑い時期にわざわざネクタイをするのは環境問題に反しているというコンセプトで、政府肝いりの施策でした。実際、ネクタイをする事で、冷房はその分強くする事になり、環境には悪影響があります。また、寒すぎるのは身体にこたえると、強冷房を嫌がる人も少なくありませんでした。強い冷房がきいたオフィスで、寒くてカーディガンをまとい、膝掛けをしている状況って、ナンセンスですよね。それに、暑いからこそビールが美味しい訳で、寒い居酒屋では、ビールはイマイチかと私は思います(笑)

この年、日本では「愛・地球博」と称して、愛知万国博覧会が開催されました。万博というのは、上述の人類発展の象徴のようなイベントですが、確かにこの頃から、地球環境問題も意識されるような展示が多くなっていったように思います。

ご家族がまだ名古屋に在住だったトム君は、ご一家で「愛・地球博」を見学にいったそうです。その年のトム君の年賀状には、一家4人で読売万博記念新聞に載ったというような写真がありました。

2005年のヒット商品は何だったのか、振り返ってみましょう。日経トレンディによれば、以下のようになっていました。

1 iPod nano&ITMS

2 愛知万博(愛・地球博)

3 ブログ

4 ニンテンドーDS

5 ウィルコム定期プラン

 

また、2005年ヒット商品番付(日経流通新聞)は以下の通りでした。

【東横綱】iPod&iTunes Music Store    【西横綱】該当なし

【東大関】株式ネット取引口座             【西大関】クールビズ

【東関脇】お手ごろ液晶テレビ             【東関脇】愛知(万博&中部国際空港)

【西関脇】大容量HDDレコーダー        【西関脇】ディープインパクト

【東小結】震災時帰宅支援マップ         【西小結】セキュリティ便

それまで、音楽はレコードや磁気テープやCDなどを媒体として聴くものという時代が続いていましたが、音楽は電子データが入ったiPodなどの小型機器をイヤフォンに繋いで聴くという時代へ急速に変わっていきました。しかも、それ以前のiPod mini は小型のハードディスクを媒体としていましたが、2005年に発売されたiPod nanoはついに半導体のフラッシュメモリーを媒体としたのでした。

これにはフラッシュメモリーの高集積化と容量単価の低価格化が一役買っています。今では、手頃な記憶媒体といえば、当たり前にUSBなどのフラッシュメモリーという事になっていますが、その当時はまだ高価な半導体でした。

そもそも、フラッシュメモリーを発明したのは、東芝にいた舛岡富士雄さんです。随分と時を遡る1987年の事でした。しかし、時代が発明に追いついていなかったという事だったのかも知れません。まだスマホもなかった時代。コンパクト、かつ大容量のメモリーを作っても、売れる市場がなかったのでした。

1994年に舛岡さんが東芝を去って何年もたった2001年に、東芝はDRAMを捨ててフラッシュメモリー事業に絞る事を決め、フラッシュは一大事業になっていきます。ただ、韓国のサムソンや米国のマイクロンなどもフラッシュメモリーに力を注いでいき、厳しい競争に突入していく事になります。

折角の日本の発明も、日本だけがその果実を享受する事はできなかったのでした。

 

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