連載小説 第162回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しですが、台湾や韓国などの新興勢力も台頭してきて、日本の電子デバイス業界は激変の連続でした。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第162話 大聖堂制覇

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の26年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況はめまぐるしく動いていきます。電子デバイス営業本部にも毎日のように変化が起こり、とうとう液晶事業は分離され、各事業ともに大きな変化が。2004年10月、私もトム君も再び、半導体事業部に所属する事になりました。思ったように売上げは上がらなくなっていきました。

 

 

大聖堂と聞いて、あ、あれね、と思い浮かぶ人は、かなりのヨーロッパ通ではないでしょうか。しかしながら、大聖堂って世界中にあって、あれも大聖堂、これも大聖堂だったりします。

今回、私が制覇(笑)したのは、ケルンの大聖堂でして、ドイツの世界遺産なのでございますよ。オホホ。

リスボンでの代理店会議を終えて、私はトム君と工作君と、その他多くの皆さんとミュンヘンのEEEGオフィスへ戻り、翌日ケルンへとやってきたのでした。ケルンでは、私たちの大事なお客様である車載向け電装メーカーを訪問し、今後の市場見通しや、製品に関する要望などをディスカッションしました。我々の液晶ドライバーICは当時は車載向けに沢山売れていたのです。それも、今は昔の物語りでありますが、かつてのインパネ(インストゥルメント・パネル)やカーオーディオの表示の多くには、白黒液晶が使われていました。今は昔なのでございます。

ほぼ全てのスマホやPCがカラー液晶(または有機EL)になった世の中において、白黒液晶って何?という疑問を自然に持つ方は多いでしょう。そうです。白黒テレビの時代から世の中に生息し、モノクロが当たり前の時代を長く生き抜き、白黒液晶がどのように進化してカラー液晶になったかを知る者たちにとって、「白黒液晶って何?」 という天然な質問は、何か、自分たちの歴史を否定されているかのように感じてしまう、酷な質問なのです。

しかし、いまだに、皆さんも白黒液晶のお世話になってはいるのです。Z世代とか何とかの皆さんには分からないかも知れませんが、ご自分の部屋を見回してみてください。血圧計の表示は白黒ではありませんか? え? 血圧計なんて必要ないので持ってない? 失礼しました。

では、電卓の表示は白黒ではありませんか? え? 電卓ってスマホについてるアプリ? 失礼しました。

では、時計は白黒ではありませんか? え? スマホが時計ですか? 失礼しました。

となると、リモコンはいかがでしょうか? え? スマホがリモコン? 失礼しました。

とうとう、世の中から白黒液晶は消滅していくのでしょうか。

車の表示に目を転じてみましょう。白黒っぽいところありませんか? もうなくなりましたか。 そうですか。

というような状況で、2005年にはまだ白黒液晶が当たり前のように使われていて、我々の白黒液晶ドライバーICも安定的に売れていたのですが、カラー表示が当たり前の世の中に変化して行くに従って、売上げはすっかり消えて行く事になります。

だったら、カラー液晶用のドライバーICを開発すればいいではないかという議論になるのですが、いくつかの技術要因によって、我々はそれができないまま時代に乗り遅れていく事になってしまいました。

そんな未来を知ってか知らずか(知らなかったのですが汗)、私とトム君は世界遺産ケルンの大聖堂の尖塔に登っていったのです。おバカすぎますねえ(トホホ)

尖塔の階段は恐ろしく長く、ぐるぐる回っていきます。案内をしてくれたのは、当時EEEGへ赴任していた薄井清太郎君です。我々の4年後輩で東京、大阪、台湾、ロンドンと営業活動を重ね、この時期ミュンヘンに赴任していました。薄井君はその後の私たちに結構大きな影響を与える事になるのですが、そのお話はまたおいおいしていく事にします。

「舞衣子さん、トムさん、もう少しですから、頑張りましょう」

「うん・・・」

結構、最後はキツかったのですが、随分高い尖塔の窓から見えるケルンの光景は格別でした。ライン川を見下ろし、半導体事業はまだ何とかなると根拠のない希望を抱いていました。何も有効な手を打てていないのに、ま、景色も良いし、この調子でいっか、と思ってしまっていたあの日々を苦々しく思い出します。

それでも、ケルンの街はステキでした。因みに、ステキな香りの「オーデコロン」とは「ケルンの水」という意味で、1709年にケルンで製造開始となったそうです。その由緒あるお店が大聖堂の近くにあって、伝統のオーデコロンをお土産に購入した事は言うまでもありません。

それにしても、恥ずかしいくらい能天気でした、私たち・・・。

 

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