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前回が昨年クビになったインテルのCEO様がお書き(共著)になった386本。そこで今回は486本です。80486は平成とともに市場に登場したデバイスです。昭和の御代から外れますが、前世紀のご本ということで本シリーズの古文書の定義には合致します。でもね時代の空気を思い起こさないとちょっと何言っているか分からない?
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1994年、平成6年という時代
表題の御本は主として「ソフトウエア的な視点」から見た486について解説されてます。「読む」という動詞からして、読むのはソースコードでしょう。しかし486が登場したのは平成元年です。今にして振り返ってみると、ちょっと登場から間を置き過ぎている感を持ちます。それどころか、このご本がかかれた前年1993年には486の先の一歩が既に踏み出されているのです。
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- インテル Pentiumプロセッサ
- マイクロソフト Windows NT 3.1
一方、この本が主に解説している「ソフトウエア的な視点」から見た486というものは、実は386と変わりませぬ。つまり前回の御本で説かれていたものと内容的にはさほど変わりないということになります。なぜそうなのか、と考えれば、この時代を思いださんとなりませぬ。まだMS-DOS(8086以来の16ビット・リアルモードの世界)が幅をきかせていた時代。486といっても「速い386」、それどころか「凄く早い8086」として使われていた時代から抜け切れてないのです。ソフトウエア的には、MS-DOS上でWindows 3.1を併用(Windowsは限定的なマルチタスクができるGUI的扱い)しているのが主だった時代。前々回の286本から、前回の386本を経て、このご本まで実に10年以上もたっているのに「プロテクトモード」の世界の活用はまだまだだった、ということです。ここを通り過ぎると一気にフラットでリニアな32ビット世界が開けてくるのですが。その直前の時代っす。
ハードウエア的視点からみた486の凄いところ
「ソフトウエア的な視点」では「ほぼほぼ速い386」な486ですが、ハードウエア的には前時代の386とは大きな一歩を踏み出してました。
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- 1命令を最速1サイクルで処理できるような内部パイプライン
- キャッシュ登載
- FPUを集積
286も386も1命令は最速2サイクルです。386は32ビット命令を備えたので286に比べると命令数は大幅増ですが、同じ16ビット幅の命令を同じクロック周波数で実行させた場合、性能は変りませぬ。一方、486は命令セット的には386とほぼほぼ同じに見えますが、同じクロック周波数でも倍近い性能を出すことができます。内部のパイプライン構造が大きく異なっておるのです。これは、当時「これからはRISCだ」と押せ押せだったMIPSやSPARCのワークステーションどもに一矢を報いるということも理由の一つだったと思います。
また内部の速度があがると外のバスとの性能差が大きくなるので86系としては初のオンチップ・キャッシュを登載。今からすると高々8Kバイトのライトスルーキャッシュですが、大きな一歩でした。
さらに、486(80486および486DX、486SXは除く)ではFPU(80387に相当する)を集積。1個のCPUで高速に浮動小数点演算を行えるようになってました。お高いコープロセッサを買わずとも済むのです。
さらに言えば、486においてインテルはクロック速度の向上にも取り組みました。回路のチューニングのために、100人以上の回路設計者を1年以上酷使して、最速100MHzの製品まで実用化しています。これによりCISCのx86は遅い、という評判を少しははねのけることができるようになっていきます。
ハード的にはなかなか見るべき点が多い486っす。
DPMIなどについて書かれていた
今回の御本は、ハード的な視点はさらっと流して、「ソフトウエア的な視点」で「速い386」的な解説をしています。しかし、DOSの世界から本格的な32ビット世界の橋渡しの平成初期の時代に書かれたご本である意義があるのです。
DOSイクステンダーやDPMIについて書かれていた
MS-DOSの1Mバイトのメモリ空間から、踏み出していきたいけどDOSの16ビットソフトは捨てられない、という苦しい時期の書物なので、そこを「いろいろ」やって打破する方法について詳しいです。この辺書かれているご本はあまり見当たりませぬ。DPMI(DOS・プロテクトモード・インタフェース)など、今となっては忘れ去られてますが、当時としては苦しい中の必死の解決策だったじゃないかと思います。
今度、FreeDOSの上でDPMIしてみるじゃん、などと考えているので、ここでこのご本を掘り起こせたのはラッキー。