L.W.R.(60) 実践コンピュータグラフィクス 山口富士夫監修 1987、日刊工業新聞社

Joseph Halfmoon

前世紀に出版されたご本を古文書(尊敬を込めて古典と唱えるべきか)と称して振り返っております。今回はコンピュータグラフィクスの御本です。汎用GPU以前の世界ね。丸描いたり直線引いたりするところから、クリッピング、陰線消去、レンダリングと基本アルゴリズムを網羅。今どきそんな下層のアルゴリズムを気にしたりしないか。。。

※『Literature Watch Returns (L.W.R.)』の投稿順 index はこちら

実践コンピュータグラフィクス-基礎手続きと応用-

御本自体は、1985年にMcGraw-Hill社から出た Procedural elements for Computer Graphics (David F. Rogers著)というご本の日本語訳です。原著者は当時アナポリスの米海軍兵学校の教授であらしゃったということです。翻訳は山口富士夫先生(早稲田大のセンセ)の御監修のもとセイコー電子工業の人たちが実働部隊で翻訳された模様です。日本語版出版は昭和の御代、昭和62年(1987年)であります。なお、セイコー電子工業は、現在のセイコーインスツル社です。

まあざっくり言うと、1980年代は既に「コンピュータ・グラフィクス」が金になっている(つまり工業化された)時代っす。ただし市場は出来つつあるけれども、まだまだ結構「低レイヤーの開発」が必要な時期でもあり、このご本のような直線引いたり、色塗りつぶしたりするところからアルゴリズムを説いていくご本が必要とされたもの、と勝手に推察しております。このごろだったらテキトーにライブラリ呼ぶだけだもんね。

CAD、CAE分野

そんな中、当時のセイコー電子工業殿は、各種のCAD、CAEツールなども事業展開されてました。そういったCAD方面の需要からこのようなご本の翻訳をされたのだと思います。お惚け老人が振り返るに、当時のセイコー電子工業殿の「商材」の一つであった米国Daisy社のCADツールにお世話になった記憶あり。当時は現在のLCDのような大画面だけれども軽いモニターが無く、CAD用の高精細、大画面のディスプレイは皆CRTです。巨大でとてつもない重さデス。とても一人では持てなかった記憶。以下は80年代当時のCAE「新御三家」について述べている米国記事へのリンクです。

Daisy、Valid、Mentor Graphics

まあ、CAD、CAE分野は「コンピュータ・グラフィクス」がいち早く「金になる」ことを証明した分野じゃなかろうかと思います。プロユースね。お高くて高性能のハードに何を実装しているのか黒魔術のごときお高いソフト。その辺は同時代に発展したとは言えコンシュマー相手のゲーム分野とは違うね。

「新」御三家というからには、その前の「旧」御三家もあり。その登場は1970年代に遡る筈。忘却力の老人の朧気な記憶では「旧」御三家は以下の通り。

Applicon、Calma、TeleVideo

「旧」御三家のどこが勝つかと思っていたら、勝ち残った会社は一つもなくて、1980年代登場の「新」御三家の3社にとって代わられてしまったです。そして「新」御三家の場合は、Daisy、Valid、Mentorのうち、Daisy、Validの2社が脱落。Mentor社のみ生き残り、Cadence、Synopsysという90年代に勃興した(当時の新興勢力、今じゃ老舗)を加えて、「新々」御三家となってようやく安定したように思われます。お惚け老人の勝手な見解だけど。

当時の様子は、『日本半導体歴史館』様の

1970年代 CADツールの登場

などご覧くだされ。「旧」御三家の中で、老人(当時は老人でなかった)が実際に使ったことがある Applicon(日本では丸紅ハイテク殿がかついでいた。)については、『IEEE COMPUTER SOCIETY』様の以下記事が詳しいっす。

Applicon: The Early Days of Computer-Aided Electronics Design

AppliconのCPUはPDP-11で、リアルタイムOS RSX-11でマルチユーザー化してました。そしてスタイラスペンでジェスチャー入力という過激なUIを備えてました。ジェスチャーでエッジを選択して、ジェスチャーで動かしたりできたんだなこれが。その後、マウスで操作するグラフィック端末を触るようになったですが、Appliconのスタイラスに比べたらヘボじゃん、とか不埒な感想を持ちました。しかしApplicon滅亡。まあ、Calma社のGDS II フォーマットみたいに、いまだに業界標準として使われているものもあるので、その時代にルーツがあるものも残ってはいるみたい。知らんけど。

ちなみに古い時代ほど、自社でいろいろハードウエアを作り、その上で動作するCADソフトウエアを組み合わせて販売する形であったような。多分、これはCADできるような高精細のグラフィクスをサポートするハードウエアがなかったので、自分らでつくるしかなかったからかと想像。それが「新御三家」あたりでは、出来合いのPCやらWSやらの性能が上がってきたので、ベースマシンは汎用品、グラフィクスボードは専用という雰囲気になり、「新々」になるとハードは全て汎用、CAD/CAEの実際のお仕事をこなすソフトウエア部分のみが自社製品というスタイルになるかと。お惚け老人の個人の感想デス。

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