<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、日本勤務中。電子デバイス業界の勢力図は大きく変化していきました。台湾や韓国などの新興国が台頭してきたからです。我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)、そして日本の産業はどうなっていくのでしょうか。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第142話 2002年日韓ワールドカップ
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の23年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て日本勤務中。家族はラブラブですよ。うふっ。世界はITバブルの真っ盛り。半導体の売上げもサイコー!だったのですが、20世紀と21世紀あたりを境にして状況は変化していきました。
2002年がどういう年だったか振り返ってみましょう。
そうです。サッカーの日韓ワールドカップが開催された年ですね。それまでの世界サッカーの歴史をたどると日本でワールドカップが開催されるなどとは夢にも思わない時代が長く続いており、いよいよワールドカップかあ、と思うとスゴく感動的だった事を思い出します。日本のレベルは当時、世界50位くらいだったと思いますが、予選グループリーグ初戦でベルギーと引き分け、その後、ロシア、チュニジアに勝利してグループを何と1位通過。ベスト16でトルコに0-1で敗れましたが、日本中が熱くなりました。
試合は生中継で観たいと、サッカーファンは仕事をやりくりしたりしていました。トルコ戦の時間は15:00くらいだったと思いますが、普通でいうと仕事時間中なので、休まない限り観戦はできません。私も、その日は家へ帰ってから倫ちゃんと一緒にビデオ録画を観たのですが、トム君は違いました。
何だか、電機設備関係のお客様との打合せが13:00-14:00にあったので、その後、打合せで同行したメンバーたちと、近くのテレビを観る事のできる場所を探したそうです。
一体全体、それで商談が成立したのか、という事ですが、その時のトム君たちにとっては、商談成立よりも日本代表の方が大事だったというのですから、あきれてしまいます。ちっとも、注文が取れていなかった頃なのにね。
お客様の所在地はC県S市で、その周辺には最寄りのJR S駅の近くに、やっているかやっていないか分からない商店が2~3あるだけで、カラオケも何もありません。
「トム課長、これは困りましたね。トルコ戦の観戦は無理でしょうか」
「いや、まだ無理と決まった訳ではないよ。大事な試合だ。探そう」
「でも・・・」
「最初から無理だと思えば、何だって無理になっちゃうよ、福ちゃん」
「はあ・・・」
トム君は営業部の部下の福ちゃんと、設計エンジニアたちと一緒でした。
「こんな時、君ならどうする?」
「はあ・・・」
「Be creative」
「あの、英語は得意ではないので・・・」
「創造的に考えろという事だよ、福ちゃん」
「創造的に?」
「そう、創造的に」
「想像ですか、創造ですか?」
「創造だよ」
「はあ・・・」
「いいかい。ここはC県の田舎だ」
「はい」
「田舎だと駅の周辺には何もない」
「はい」
「どちらかと言えば、車社会だ」
「はい」
「普通は幹線道路の方にこそ、何かがある」
「おお」
「しかしながら、よく見て欲しい」
「何をですか」
「あそこにホテルがあるではないか」
「あ、ありますね」
「そう、何故かホテルが一軒存在する」
「おお、流石トム課長。目の付け所が〇〇いです。その手のホテルでしょうか?」
「何を言っているんだ、福ちゃん。見るからにあれはこっちの手のホテルだよ」
「こっちの?」
「そう、ビジネスホテルだよ」
「という事は、男同士お泊まりでしょうか?」
「それも可能性はある」
「はあ」
「だが、Be Creative!泊まる必要があるのであろうか?」
「そうですね。目的はトルコ戦観戦でしたね」
「そう。であれば、観戦のみでOKだろう」
「そうでした。明日も東京で仕事。何もこのC県S駅周辺で泊まる必要はないです」
「という事は、福ちゃん?」
「素泊まりではなく、クリエイティブに休憩という事でいかがでしょうか」
「その通り。休憩だ」
「分かりました。ビジネスホテルで休憩OKか聞いてきます」
「いけ、福ちゃん」
「行ってきます」
というような会話がありまして、トム君の部下の福ちゃんは、S第一ホテルへひとっ走りしたのでした。果たして、福ちゃんは交渉し、宿泊よりも安価で休憩契約をゲットしてきたそうです。
しかしながら、自販機でビールを買い込み、真っ昼間から酔っぱらって応援観戦した日本–トルコ戦は、コーナーキックからのヘディングで一点を失い、あえなく敗戦したのでした。
日本は開催国ながらベスト16までで力尽きましたが、簡単ではないと言われていた予選リーグを首位通過し、それまでの歴史を塗り替えたパフォーマンスには拍手喝采を送りました。
しかし、同時開催国であった韓国がイタリアやスペインを下してベスト4まで進出した事を考えると、もう少しやれたのではないかと、つい思ってしまうサッカーファンも多かったようです。
日本がベスト16の壁を破るのはまだまだ先のお話です。
それにしても、トム君たち、よっぽどサッカーが好きだったんでしょうね。クスッ。
さて、2002年はワールドカップだけの年ではありませんでした。
日朝首脳会談で北朝鮮「拉致」問題が明るみに出た年でもあったのです。それについては、少々思うところもありますので、次回お話しさせて頂きたいと思います。