「発明の本質」
クレーム(特許請求の範囲)は特許担当者にとって最重要なアウトプットです。上手いクレームができると仕事の達成感があり、特許出願に続く特許権利化や特許権活用に期待できます。上手いクレームとは、特許法の特許要件を備え、必要十分な最小の構成要素で、瑕疵が無く、かつシンプルなクレーム、であると考えます。その前提として「発明の本質」を捉えねばなりません。発明者のみならず、特許担当者や担当弁理士も「発明の本質」が何かを考えます。ところが優れた発明は「発明の本質」が解明しがたいことがあります。後年の実施製品を見て「発明の本質」に気が付いて後悔するという失敗は「特許あるある」でしょう。
電卓の特許
キヤノンの知財・技術経営(MOT)で著名な「丸島儀一氏」の著書『キヤノン特許部隊』には、丸島氏が知財担当として駆け出しの頃の特許出願のエピソードがあります。1963年、キヤノンは画期的な電卓を開発しました。
『Wikipedia 電卓』
キヤノンには社内にレンズの光学計算という需要があった。前年に試作機を完成し、展示会で好評のため商品化に踏み切り、64年秋からCanola 130を販売した。同機は販売された電卓としては初となるテンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。
キヤノン:電卓 50周年記念サイト | キヤノン電卓年表
この電卓(Canola 130)の特許出願にあたり、開発者、弁理士、丸山氏(弁理士登録前の知財担当者)が画期的な製品を見ながら徹夜で検討しますが、どのような特許出願をすべきかわからず、不満足ながら電卓の動作を記載した特許を出願したそうです。「テンキー式モバイル機器」の特許が取れたかもしれないというのが丸山氏の後悔でした。
「な~るほど、キヤノンの設計者が世界最初のテンキー式電卓を開発したんだ。でも、どうしてテンキー式電卓として特許出願をしなかったんだろう」と、よく調べもせずに10年前のArahaは考えていました。
テンキー式計算機
実は「キヤノン Canola 130」が「世界初のテンキー式電卓」というのは、『テンキーを搭載しトランジスター回路を採用した卓上電卓』という条件付きでした。テンキー搭載のリレー式計算機「カシオ14-A型」は1957年の完成でした。更には、テンキー式計算機は既に1914年にUS特許出願がありました。キヤノンの開発者は、テンキー式電卓だけでは新規性が無いことを理解していたのでしょう。
◆電子式卓上計算機技術発展の系統化調査
http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/021.pdf
リレー(継電器)をスイッチング部品として使用することを考え、昭和32年(1957年)6月、モーターや歯車類を一切使わないリレー式計算機カシオ14-A型を製品として完成させた(写真2.14)。この14-A型はリレーを342個使用したもので、演算桁数14桁。表示には初めて小さな豆ランプを使った。5桁3組の定数機能を備え、数値の入力は初の10キー(テンキー)方式とした。
◆数字キー配列の歴史的変化に関する図版
http://www.sanosemi.com/biztech/document/numerical-key2011-ver1-2.pdf
現在の電卓やパソコン用10キーボードに見られる数字配列の歴史的起源は、1913年にグスタフ・デイビッド・サンドストランド(Gustaf David Sundstrand)が発明した手動の歯車式卓上計算機(アメリカ特許第1198487号,1914年出願)である、と言われている。US1198487A
God is in the details
丸島氏の「テンキー式モバイル機器」特許の内容は不明ですが、Araha が考えるテンキー式電卓の「発明の本質」は「キーを押すシーケンスまたはタイミングに基づいて機器動作を選択することを特徴とする」です。「キヤノン Canola 130」は、各桁毎に1~9の数字が並ぶフルキー方式をテンキー式に変更し、トランジスタ回路を採用してテンキー入力の順序制御を行うことで電卓サイズの小型化を実現していたはずです。これを応用すると、今日のモバイル機器で使用される「ダブルクリック、キー長押し、キー操作順番のモード選択」などのキー入力を実現できます。
Afterword
テンキー式電卓について、後知恵の「発明の本質」を1963年当時に特許出願できたとしたら、天才か預言者でしょう。1960年代に始まる電卓の熾烈な開発競争は、ビジコン社の嶋正利氏による世界初のマイクロプロセッサ4004の開発に繋がりました。そしてマイクロプロセッサはICT革命の起点となりました。しかし、ビジコン社はもとより、4004を委託開発したインテル社ですら当初はマイクロプロセッサのイノベーションを理解できなかったのでした。
「4004」開発回顧録 | 日経クロステック(xTECH)