前回、NEC Vシリーズの集積チップ(遡ってSoCというべきか?)のデータシートを眺めていてお惚け老人は引っかかりました。「EMSのサポートをすることも可能で」懐かしいデス。EMS自体は「API規格」というべきですが、V41/V51には「サポートのためのハードウエア」を搭載していたようです。一応LSIの一部ってことで。
冥界のLSI(10) NEC(大昔の)Vシリーズ、シングルチップおまとめ
20世紀のチップ共の記憶が薄れゆく中、いくらかでも記憶にとどめるべく取りとめないこと書き連ねてます。今回は第7回「V41/V51、NEC版PC/XTワンチップ」の補足。NEC V30は「いろいろあって」多くの人が記憶にとどめているけれど、VシリーズにはMCUもSoC(当時はそういう名前はなかったけど)もあったのだよね。
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冥界のLSI(9) TMPZ84C015BF、Z80複合チップ、1993年7月時点国内最速
ボードの販売が続いており、そして目の前で動作しているデバイスを「冥界」のお仲間にリストしてしまうのはちょっと心苦しいのであります。ま、メーカサイトで型番検索してもヒットせず、入手したボードも「保守部品」扱いということです。許してね。今回は年寄りには懐かしいZ80系チップであります。
冥界のLSI(8)VM863C110、日本語ワープロとともに
冥界のLSI(7)V41/V51、NEC版PC/XTワンチップ
SoCという言葉が一般化する以前のSoC話、x86系をほじくり返すのを止めて他に行っておりましたが、もう少しx86系を掘り進んでおこうという気になりました。本日、取り上げさせていただくのはNECのV41/V51でございます。1980年代にNECが立ち上げたVシリーズの8086互換プロセッサのシリーズ中の集積プロセッサの後期の製品です。時代的には冥界のLSI(3)PC/Chipとちょうど同時代の1991年ごろに遡ります。
(「黄昏のSoC」改題)
冥界のLSI(6) Motorola、DragonBall PDAを先駆ける
SoC以前のSoCプロセッサ話、どうもx86側に引きづられ過ぎたようです。登場したてのx86の対抗馬と言えば68K(MC68000)でした。そしてx86側にPC/AT互換のSoC(まだSoCという言葉は一般化していない)が登場した1990年代中盤、68KにもSoCプロセッサが登場し、「一山あてる」ことになるのです。市場はPDA、これまたPDAという言葉以前にApple社がARMプロセッサを使ってNewtonという装置を出したけれど「あてられなかった」市場です。その市場を本格的に立ち上げたのは、Palm社でした。そしてそのプロセッサこそ、DragonBallの名で知られるMC68328とMC68EZ328でした。
(「黄昏のSoC」改題)
冥界のLSI(5)ALI、M6117 組み込み向けPC/ATシングルチップ
前回「1995年から1996年くらいにかけて実は何社かほぼ同時期にこれ(PC/AT互換のSoCプロセッサ)に取り組むのです」などと書きながらちょっと間が空いてしまいました。今回は、同時期のPC/AT互換SoCプロセッサ(何度も書きますがまだその時期にはSoCという言葉は一般的ではなかったのです)、ALI社のM6117をとりあげます。ALI社は、パソコンメーカのAcer社の子会社として出発しており、当時は Acer Laboratories Inc. が正式名称です。チップセット業界では「アリ」と呼ばれており、親会社のAcerに限らず、台湾のマザーボードメーカ各社にチップセットと供給していました。マザーボード用のチップセットだけでなく、グラフィクス、I/O、ストレージなどパソコン関係のチップセットをほとんど網羅するような台湾チップセット大手の一角であったのです。後にマザーボード向けのチップセットはインテルとAMDの寡占化が進み、ALIは本業であったパソコン用のチップセット部門を切り離して売却し(UMCに売ったのでULIという名になった)、組み込み市場に舵を切ることになります。M6117は、組み込み市場向けにALI社が初めてプロセッサコアまで集積したSoCプロセッサであったのです。
(「黄昏のSoC」改題)
冥界のLSI(4) AMD、Elan SC300/400 Single Chip PC/AT
さて黄昏といいつつ、SoCという言葉以前の夜明けの時代の高集積プロセッサを経めぐっている本シリーズですが、今回はx86でしぶとく生き残ってきたAMD社の高集積プロセッサへの過去の取り組みを振り返りましょう。前回は、C&T社がせっかくPC/XT互換の「シングルチップ」を作ったのにあえなく立ち消えになった話でした。であれば、次はPC/AT互換の「シングルチップ」でしょう。C&T社のPC/Chipよりは数年あと、1995年から1996年くらいにかけて実は何社かほぼ同時期にこれに取り組むのです。ただし、この時代、既にスーパスカラーのPentiumプロセッサが登場しています。そしてOSはWindows 95の時代。
(「黄昏のSoC」改題)
冥界のLSI(3) PC/Chip: The First True Single-Chip PC
1980年代、80186の登場後、Intelは何度か80186を超える高集積タイプのx86プロセッサを作ろうとした形跡があるのです。しかし結局市場には登場しません。それには1980年代中盤からIBM-PC/AT互換の「チップセット」メーカー各社が大量に(一時200社もあると言われた)登場したという時代背景も影響していると思います。当時チップセットメーカーの一番手といえば、Chips and Technologies社でした(以下C&T社と略します。)そのC&T社は90年代初めにはチップセットに留まらず、CPUにも進出しインテルと争いになるのです。自社のCPUを作った彼らは、当然、自社のチップセットとCPUを結合し、「シングルチップ」PCというコンセプトでチップを打ち出してきました。外部にメモリとクリスタルをつければ「パソコン」ができるという触れ込みでした。まだSoCという言葉以前の1991年。
(「黄昏のSoC」改題)
冥界のLSI(2) ARM250、ARM最初期のSoC
今日、Armコアのプロセッサというとまず間違いなくSoCプロセッサです。主要部品として、その外側にメモリをとりつければ「だいたいのシステム」が出来上がるという意味で。一方、x86プロセッサでは主流は単体のプロセッサ(現代的にはメモリコントローラやGPUのような「周辺」も取り込んでいるのでSoCと言えなくもないのですが、必ずお供のチップセットなど周辺チップを必要とする構成なのでSoC分類にはいれません。)で、x86コアのSoCプロセッサは傍流であり続けました。両者の使われ方はかなり大きく異なると言わざるを得ません。しかし、最初からArmもSoC主体だったわけじゃないのです。出発は単体プロセッサであったのです。今回も「黄昏」というタイトルに反して、「夜明け前」の時代、”ARM”がまだ単体プロセッサとして使われていたころに戻り、黎明のSoCプロセッサを振り返りたいと思います。
(「黄昏のSoC」改題)