特許の失敗学[0] 私の知財歴


「あなた、最近どんな失敗しました? 」
2019年末のNHKドラマ「ミス・ジコチョー~天才・天ノ教授の調査ファイル~」のヒロインが初対面の相手に尋ねる質問です。初対面でこの質問はドラマ演出と思いきや、最近の就職面接の定番の質問のようです。このドラマは「失敗学会」の監修とのことです。
NHKTVドラマ「ミス・ジコチョー」 – 失敗学会
http://www.shippai.org/shippai/html/index.php?name=news1078

「特許の失敗学」
は、私の経験から特許に関連する失敗を開示することにより、発明者の皆さんの他山の石としていただくことを目的としています。

私の仕事人生は、失敗と幸運の繰り返しでした。

第1の会社
大学の物理学科の私は、月刊アスキーの記事で知ったH社の就職学生向けのセミナーに参加しました。H社の最終面接に遅刻したにも関わらず、なんとか採用され、他社の内定もなかった私はH社のマイコン設計の仕事に就きました。
H社の入社後に上司のS氏から「面接では『フェルミレベルを説明して』と訊くことにしている」と言われました。恥ずかしながら、未だ不勉強でフェルミレベルを説明できません。最終面接の遅刻で動転していたためか、どんな面接内容だったのか記憶がありません。上司のS氏は最終面接のときに同席していなかった、あるいはS氏は私に「勉強せい」と言いたかったのかもしれません。
H社では、USで仕事をする機会を与えられ、2件の特許出願を行いました。この2件の特許権は存続期間満了しましたが、この2件の特許権の市場価値は私の特許出願の中では最大です。その当時のH社は知財活動には、さほど注力してません。発明提案を提出すると社内審査され、認められると社外の知財弁護士が派遣され、発明を説明して出願するというプロセスでした。H社はその後の特許交渉でいろいろ痛い目にあって、現在は立派な特許ポートフォリオを築いています。
USで驚いたことは、H社の設計者はプロジェクトが終了すると社内失業状態となりました。設計者は次のプロジェクトのマネージャーに自分を売り込んでチームに参加しない限り、社内失業を解消できません。H社の日本法人は、組織が小さいためか、上司が次の仕事をアサインしてくれる日本型システムでした。

第2の会社
さて、時は経過してH社のリストラで失職した私は、S氏の斡旋でR社に再就職しました。R社の面接では、自己アピールのつもりでH社で2件の特許を取得したことを話しましたが、R社の面接者の反応はなく特許内容も訊かれませんでした。後に知ったのですが、R社は強力な知財部門を有する会社で、規模の大きい他社に負けない知財重視の会社でした。毎年10件以上の特許出願を行う社員は珍しくなく、「ふーん特許2件しかないのね」といった感想だったのでしょう。
R社ではマイコン設計の経験者として、新規プロジェクトのCPU設計を担当することになりました。 H社では回路設計の経験しかないのに、論理設計を任されました。しかし、同時にプロジェクト推進のため、LSI設計システムが導入されました。このWebサイトの団員1号が「丸描いて、四角描けば、LSI設計できる」と称するようなLSI設計システムの先駆けでした。おかげ様で、論理設計未経験でもCPU設計を行い、完成したマイコンはR社の売り上げに貢献できました。

知財部門に異動
また時は移り、組織構造改革でリストラされた私は、上司に知財部門を紹介され職場を移りました。新しい仕事は特許技術担当です。昔のH社にはこの特許技術担当はいませんでした。特許技術担当は、発明発掘、出願、権利化、権利活用、ポートフォリオ管理などの特許に関わる業務を行います。R社の知財部門には意匠・商標やライセンス交渉、訴訟を担当する部署もあり、特許部門には特許調査や特許明細書作成の担当者もいました。
R社の設計者として出願した自分の発明の特許権利化を担当することがあり、過去の特許出願の失敗を知ることになりました。特許実務の世界は毎年のように進化しており、変化しないものは淘汰されます。

そして今
現在は、R社を退職し発明者として特許明細書を自筆作成中です。R社でお世話になった弁理士の先生に明細書のコンサルタントをお願いしています。ご指導いただいた内容について弁理士の先生からHPでの開示許可を頂きましたことを感謝いたします。特許に関心がある発明者の皆さまに「特許の失敗学」シリーズがお役に立てれば幸いです。元特許技術担当者の私見ですので「信じるか信じないかはあなた次第」です。