連載小説 第1回!            4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

ItohTakamitsu
ペンネーム    桜田ももえ

 

 

 

 

 

私の名は詠人舞衣子(よんびとまいこ)。4ビットマイコンが埋め込まれている女子です。4ビットなんかでAIになるか!とお叱りを受けるかも知れません。そうです、かなりポンコツです。しかし、エレクトロニクス産業の栄光は4ビットから始まりました。この世界で奮闘努力してきた私舞衣子と一緒に涙と笑いの時代を旅して下さいね。うふ(笑)

第1話 4ビットAI

私の名前はちょっと読み方が難しいと言われるのですが、詠人舞衣子(よんびと まいこ)と申します。本名はホントの事を言うと違うのですが、この小説ではこれでいきます。なにゆえそんな名前なのかと申しますと、私の体には4ビットマイコンが埋め込まれているからです。人間なの?アンドロイドなの?と聞かれれば、れっきとした人間です。性別で言えば女性です。けれど、ちょっとだけメカ的なものが入っているので、サイボーグとも言えます。

それにしても4ビットAIって何?とどなたも思われるでしょうが、そこが、小説のおかしなところですね(笑)。4ビットなんかでAIになるか!とお叱りを受けるかも知れません。そうです、かなりポンコツです。やれる事は非常に限られています。しかし、4ビットでも多少はできる事があるんです。

まあ、広い意味で言えば人工知能(AI)と言ってもいいでしょう。そもそも、人類最初のマイコンは4ビットでしたしね。え、2ビット? ま、いいや。

それにしても、もう一つの疑問、何故に4ビットAIなんかを内蔵したの?と思われるでしょうが、それはですねえ、当時は4ビットしかなかったからです。

その後10年ほど経ってでしょうか、「部長は4ビット!」という題名の漫画が連載されていた事を覚えていらっしゃる方もおいででしょうか。当時はその題名が衝撃的過ぎて、大笑いしたものでしたが、自分が4ビット内蔵なんだから自虐ネタだなあ、と思いつつ、4ビットがすたれて8ビットや32ビット等に主流が移行し、更に電子デバイスが桁違いに性能を上げていった時代を生き抜いてきました。今、何歳かって? うふふ、それをレディーにお聞きになってはいけません。

更に、なんのために4ビットを内蔵したのだろう?と疑問を抱かれる方もいらっしゃるでしょうが、その辺はおいおいお話しする事にして、物語りを進めて参りましょう。

 

 

 

その頃、私は早慶大学文学部心理学科の4年生。翌春の卒業を控え、就職活動をしていました。早慶大学は明治時代からの伝統ある私立大学で、有名な創立者の銅像がキャンパスのシンボルにもなっており、私学の雄を2つ足して2で割ったような大学でした。私は渋谷区のマンションに両親と妹と暮らしていまして、経済的にも何不自由なく恵まれた学生でした。地方から進学してきた学生たちは大抵一人暮らしで、結構切り詰めた生活をしていたようですので、少々申し訳ないのですが、就職にあたって私は一つの方針を固めていました。それは、地方へ就職するという事です。

なにゆえわざわざ地方にと思われる方々も多いかも知れません。確かに、多くの大手企業や公的機関は東京に集中していて、渋谷区に居住していれば、東京の就職先へ通勤するには便利です。しかし、あえて地方へと考えた理由は2つありました。

一つは、周囲の東京育ちの学生たちとは何か違うチャレンジがしたかった事。そして、地方への就職であれば、必然的に両親のもとを離れてどこかに居住しなくてはならない事。そうする事によって、多くの東京の友人たちが送るであろうぬくぬくとした生活から離れる事ができるという事でした。

もう一つは、私の子供時代の経験が影響しています。4才から9才までの5年間、私たち家族はカナダのバンクーバー郊外に住んでいました。広々とした場所でちょっと足を伸ばせば大きな森があるようなところです。東京の密集は便利ではあるものの、子供時代に目にしていた豊かな自然とは無縁で、人々が豊かな心をもって過ごすには不適切な環境に思えたのです。

あ、それと、もう一つありました。早慶大学時代につきあっていたボーイフレンドはいい人でしたが、少々根性のないヤツでして(笑)、親元から通勤できる東京での就職がいい、とか言っているので、いい加減見限ってやろうと思った、という事情もあります。色々リセットして新しい自分としてチャレンジだ!と決め込んでいたのでした。

 

1979年といえば、ソニーのウォークマンが発売され、オムロン(当時は立石電機)が日本初の電子体温計を発売し、江川選手がちょいちょいイカサマ気味にジャイアンツへ入団した年です。ウォークマンと言っても、当時のウォークマンはカセットテープで、今時の若者には分からない代物かも知れません。

そうそう、江川投手といえば法政大学のエース。六大学野球でスゴイ成績を残していましたので、早慶大学の宿敵として何度か神宮でその姿を目にしたものです。懐かしいですねえ、神宮球場。

 

その年、就活が佳境に入る頃、私はとある地方都市の駅に立っていました。地方企業の就職面接に臨むためです。地方にある面白そうな企業の中で結構人気だったその会社は、腕時計の製造で業績を伸ばし、利益率も高く、将来性も高いと言われていました。「上諏訪時計舎」です。その地域は大きな湖を囲むように工業地帯と街があり、更にその周りを山並みが取り囲んだ盆地になっており、風光明媚な環境と時計産業の発展が似ているとして、東洋のスイスなどと呼ばれておりました。

上諏訪時計舎へ新卒入社する事になった私は、心理学とはほぼ無縁の精密機械産業のメーカーで、全くなじみのない半導体事業に関わる事になっていくのでした。そもそも文系女子がメーカー就職?というような時代。それがこの物語りの始まりです。

 

第2話につづく