連載小説 第16回
4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

ItohTakamitsu
ペンネーム    桜田ももえ

<これまでのあらすじ>上諏訪時計舎6年目のIC営業部海外営業課の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを売っているんです。同期のイケメン島工作君もオチャラケ富夢まりお君も、私との恋愛スイッチをオンしないまま、別のトランジスタを形成してしまいました。ちょっと残念だけど、ま、仕方ないですね。私もそろそろしちゃおっかな(うふ)。

 

 

 

第16話  恋のスイッチ

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、文系ですが技術製品(半導体)を販売するIC営業部の4ビットAI内蔵営業レディです。私は同期の富夢まりお(トムマリオ)君とともにアメリカ市場を担当しています。なお、トム君は名前の割に純ジャパです(笑)。米国法人へ赴任した島工作君はみゆちゃんとご結婚なさってしまい、私と机を並べる同期のトム君は彼女できちゃったみたいなんです。もう、私だけ取り残されちゃったみたい? いや、そんな事言ってる場合じゃありません。私が担当しているHAL社向けのSRAMモジュールがガンガン売れ始めちゃったんです。

で、どうしてDRAMじゃなくてSRAMなのかって? それはですねえ、SRAMにはSRAMの良さってもんがあるからじゃないでしょうか。え、説明になってない? それはですねえ、私が心理学科卒業のバリバリの文系女子だからで~す(笑)。

でも、一つだけ知っている事があります。SRAMはデータを持出来るので~す。バックアップ電源が必要ですけどね。え、スゴイですか? うふふ、それ程でも・・・(笑)。え、フラッシュ使えばいいじゃん、ですか? うふふ、それはですねえ、現代人の若者さんには分からないかも知れませんが、当時は1985年ですよ、まだFlash Memoryは商品化されておりませんでしたの。今でこそ、フラッシュメモリは一大市場となってサムソンや東芝(キオクシア)、Western Digital(旧サンディスク)など大手半導体メーカーがしのぎを削っていますが、初めて市場に出たのは1988年頃だったと思います。

というわけで、大手コンピューターメーカーHAL社は、我が上諏訪時計舎からSRAMモジュールを大量に購入して下さった訳です。半導体事業部の売上げの中でも非常に大きなパーセンテージを占めており、とても重要なお客様でした。時代は大型コンピュータからミニコンへと移り変わり、デスクトップPCへと移行していく頃です。ハードディスクも14インチから8インチに、そして5.25インチへと主流が変わって行きました。

 

さて、恋のトランジスタのお話は前回申し上げた通りでしたが、同期の富夢まりお君は何とその年の12月、検査課の涼宮ハルミちゃんとご結婚にまで到達なさってしまいました。おい、おい、島工作君だけじゃなくて、トム君もかよ(苦笑)。ちょい、焦りますね。だって、私も28才です。因みに当時の平均初婚年齢は男性28才、女性26才でした。私、もう、超えちゃってるじゃん(汗)。

私は、そこで同期の男子二人に先を越されてしまった理由を考えてみました。

  • 学生時代の彼とは、就職を機に別々の道へ進んだ。私は地方企業に就職。
  • 上諏訪時計舎では思いのほか仕事が面白くて、結構エネルギーを注いだ。結果、恋愛への比重は相対的に弱まった。
  • 同期の男子二人がいいヤツだったので、何となく3人でつるむ事が多かった。憎からず思うところの二人であったが、微妙な力学バランスのせいか、二人とは恋愛の関係に至らないまま、気づいたら二人は別の方々と結婚。私だけノロマ(汗)?
  • 上諏訪時計舎は地方企業で、出会いのチャンスはあまりない。強いて言えば、会社の中にこそ、出会いのチャンスがある。そして、私はモテなかった訳ではない。でも、運命の人とは巡り会わなかった。以上!

あああ、「以上!」 とか言っても詮方ない事ですよねえ。

同期入社の女子は別の事業部に何人かいましたが、その頃になると一人抜け二人抜けと、なんらかの事情で退職していく人が増えていきました。結婚して夫さんの勤務先である地域へ移るなどして辞める方も多かった頃です。今ではもう死語になりましたが、寿退社(ことぶきたいしゃ)という言葉もあり、結婚したら仕事を辞めて主婦になる、などと真顔で言われていた頃です。今では、ちょっと信じられませんね(笑)。

 

さて、1985年も暮れようとしている仕事納めの日の夕方、私は特急あずさ号に乗り込みました。東京は渋谷区にある実家へたまには帰ってみようという作戦です。両親はあまり私のする事にはあれこれ言わない人たちなので、気が楽です。まあ、年に1~2回は実家へ帰っているので、適度にコミュニケーションもとれていますし、本当に困った時には助けてくれるので、感謝しています。

年が明けて1986年。元旦の昼過ぎに母親ととりとめもなく話しをしていたのですが、そこで私は母とともにその後の方針について考えてみる事になりました。

  • 仕事は面白いのでもっと頑張る。(うん、いいんじゃない、と母)
  • 島工作君と富夢まりお君の事はいったん諦める。が、先の事は誰にも分らない。彼らだってもしかしたらさっさと別れるかも知れない(笑)。

(馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ、と母)

  • だったら、私だってどこかで運命の人に出会う。(白馬の騎士なんていないわよ、と母)
  • そんなの知ってる、プンプン。(何をお餅みたいにふくれてるの笑、と母)
  • お餅じゃないよ、プンプン。(はいはい、と母)
  • どうしたらいいの、一体全体!(自分で考えなさい、と母)
  • もういいよ、分かったよ。(あらあら・・・、と母)

という訳で、ちっとも今後の方針がまとまらないまま、夜になって、またお餅を食べる事になってしまいました。

あああ、このままでは、まさかのお局さまになっちゃう? 上諏訪時計舎のIC営業部にはこの頃になると何人も後輩が入社してきて、6年目の私も結構な先輩になってしまっているのでした。海外営業課にも後輩が増えていて、私も同期のトム君もリーダーと呼ばれる存在になっていたのです。

 

お餅にも少々飽きてあずさに乗ったのは1986年1月4日でした。また、明日からお仕事です!

 

 

 

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