<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任していましたが、夫の倫ちゃんのドイツ転職を機に、私もミュンヘンにある現法へ異動しました。ヨーロッパでは携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ液晶表示体と水晶製品のビジネスも統合され、新会社としてEdison Europe Electronics GmbHがスタートしました。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第106話 新会社の舵取り
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の17年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。うふっ。そこへ、同期のトム君も赴任してきちゃいましたよ。そして我がEdison Semiconductor GmbHは業容も新たに新会社Edison Europe Electronics GmbHになりました。全て順調!かと思われたのですが・・・。
Edison Europe Electronics GmbH。おお、何と素晴らしい会社名。何てったってEdisonに続いてEuropeですからね。ま、ちょっとした拘りなんですけど。それで、GmbHですから、ドイツの会社って訳です。ゲームベーハーですよ。有限会社っていうような意味なんですけど、ま、日本的に言えば、株式会社みたいなもんです。
で、そのドイツはミュンヘンに設立されたEdisonの会社ですから、従業員はみんなドイツ語を喋るのかと思ったら、意外や意外、ドイツ以外の国からきている従業員も結構沢山いて、イタリア語、イギリス語、クロアチア語、ギリシャ語などが母国語の人たちも働いていました。
夕方が過ぎて、日本人しか残っていないような時間になると、お掃除をしてくれる人たちが入ってきます。その人たちの母国語もあれこれで、その彼はスロベニア語だとか言っていました。
あ、そう言えば、私たちも日本語が母国語で、その他は英語しかしゃべれません。ミュンヘンの会社なのにドイツ語も喋れないなんて、図々しいですよね(笑)。でも、色々な国の人たちがいる会社の中での公用語的なものは、英語だったので、ドイツ語は殆ど必要なかったのでした。
しかし、そこが問題なのです。つまり、仕事は会社の中もお客さんとの会話も殆ど英語です。ミュンヘンではそこそこ勉強しているドイツ人は英語を喋ります。ところが、一般のドイツ人は英語を使えず、ドイツ語しか話せない人が多いのです。
例えば、マルクトで野菜を売っている人はほぼドイツ語だけです。街で買い物をしてレジで支払いをする時には、ほぼドイツ語しか通じません。病院へ行きます。医師の殆どは英語を喋る事ができるので、殆ど困りませんが、看護師はほぼ全員ドイツ語です。
私の感覚では、ドイツ人の30%が普通に英語も話す事ができ、頑張れば英語でコミュニケーションできる人を含めると60%くらいいて、残りの人たちはドイツ語オンリーという感じでした。誰もが英語を話せるという国ではないのです。
そんな訳で、我々赴任者にとっては、何と言ってもドイツ語をペラペラ喋ってくれる日本人というのはリスペクトすべき方々で、とても頼りになる存在でした。
横山社長の秘書であり、私たちのお世話をしてくれるマユミ・ハーガーベルクさんには何度となく助けて頂きました。仕事の上でのコミュニケーションでは殆ど困りませんでしたが、ドイツの暮らしで困った時は、すぐに、マユミさ~ん、お願いします~。という感じでした。
自分たちも少しはドイツ語をできるようになろうと、マユミさんのドイツ語講座を開いてもらいましたが、あまり上達しませんでした。何故なのでしょうか。一番の理由は、やはりオフィスでは英語を公用語としたからでしょう。
日本人もドイツ人もまあまあ英語であれば意思疎通できるので、必然的に英語で話すのですが、日本人同士だと日本語になりますし、ドイツ人同士だとドイツ語になるので、そんな時はお互いの思っている事が分らなくなる状況が生まれました。それが高じて、日本人とドイツ人の間に疑心暗鬼的なムードが生まれてしまうようになりました。
ある日、副社長のトム君が、ドイツ人の急先鋒的なキャラを持っているカールハインリッヒ・ナーゲル君につかまり、二人でランチをする事になったそうです。トム君に聞いた話では、ナーゲル君が言うには、“日本人はローカルの意見を聞かず、勝手に全てを決めている。ローカルの彼らにも色々な考えがあるのに、それはおかしい。そもそも、現場で働いているのは彼らヨーロッパ人である。社長と副社長2名が全員日本人とはどういう事だ?我々ローカルのマネジャーとも意見交換する場をもつべきだ” との事だったそうです。
なるほど、彼らローカルのドイツ人にとっては、日本人に牛耳られているEdison Europe Electronics GmbHが許せないらしいのでした。まだ、ドイツ暦半年ちょっとで、ポット出のトム君(副社長)だの、更にドイツ暦短く、超ポット出の横山社長だの、梅野副社長だの、ますます許せないらしいのでした。
ローカルのトップはセールスダイレクターのヴォルフガングさんで、ドイツ人をまとめる力には長けていましたが、日本人に牛耳られるのは面白くないと、文句が先行する人でした。そもそも、誰が牛耳るかではなく、チームでどんな成果を出すかだと思うのですが、十分に目標が共有化されていないまま新会社が立ち上がって、ローカルと日本人赴任者の間に不協和音が高まってしまったようなのです。
その上、横山社長の英語は宇宙語で(笑)、なかなかドイツ人には真意が伝わらず、それを咀嚼してドイツ人に伝えるトム君はとても苦労しているように見えました。トム君が取った解決策は、ドイツ人の意見を聞いて意見交換する場を設けるという事でした。毎週月曜日の午後1時からはマネジャー・ミーティングと称して、数名の日本人と数名のドイツ人がああでもない、こうでもないと激論する会が行われました。私もオペレーションのマネジャーとして参加しましたが、かなり苦労しました。とにかく、かみ合わないのです。
ローカルトップのヴォルフガングさんも急先鋒のカールハインリッヒ君も文句や要求だけは一人前です。英語力だけではトム君も私も負けてはいませんが、文句の力ではかないません。それまで、前任の金丸GMは力尽くでローカルを抑え込む、要求は殆ど聞かない、という政策だったので、新体制の経営陣とは正反対でした。横山社長もトム君もフレンドリーな性格で、ローカルを力で抑え込もうなどとは微塵も思わないトップなので、とりあえず言いたい事は言わせるという政策であり、それまで言いたい事が殆ど言えなかったローカルからはパンドラの箱のように色々な要求が出てきたのでした。
長くても1時間で会議を終えたいとトム君は考えていたようですが、時には2時間に及んでも終わらないという事もありました。
それでも、最初の数ヶ月のパンドラ状態は次第に落ち着いていき、夏が過ぎる頃からは、それなりにリーズナブルで前向きな議論が交わされるようになっていきました。これには二つの要因が効果をあげました。
一つは横山社長とトム君が中心となって、ローカルの要求を少しずつ取り入れるようにした事です。そもそも、そのお二人にとっては当たり前のようにやった事でしたが、前任の政策が政策だっただけに、ローカルにとっては随分と変わったように思えたようです。
もう一つは、要求の多いローカルのセールスのメンバーたちとは異なる立ち位置でのドイツ人がバランスを取ってくれた事でした。その彼はシュロイターさんといって、アドミ関係のダイレクターでした。日本人の間ではシュロちゃんと呼ばれていました。アドミの責任者ですから、金庫番であり、人事のトップです。私のオペレーション・デパートメントもシュロちゃんの傘下にいました。
ヴォルフガングさんを親玉とするセールスがありとあらゆる要求をしてきても、シュロちゃんは同じローカルであっても、正しい事は正しい、間違った要求は間違っていると判断してくれていたので、なんでもかんでも要求を聞かなくてはならないという風潮にはならずにすんだのでした。
そんなこんなで、日本人トップとローカルメンバーとの宥和が進み、我々のEEEも本来的な意味での力を発揮するようになっていったのでした。
まあ、それにしても、日本の会社が海外で仕事をするというのは、そう簡単な事ではありません。横山さんとトム君がいなかったら、問題は収束せず、EEEは永遠にバラバラの状態だったのではないかと思います。お二人の功績はとても大きかったのでした。