<これまでのあらすじ>
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の17年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。結婚7年目ですけど、うふっ。そこへ、同期のトム君も赴任してきて、Edison Europe Electronics GmbHとしてスタート。絶好調です。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第108話 超売れたLCDドライバー
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の17年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任し、今度はヨーロッパの現法へ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんとの新しい生活がスタートです。新婚さんみたい。結婚7年目ですけど、うふっ。そこへ、同期のトム君も赴任してきて、Edison Europe Electronics GmbHとしてスタート。絶好調です。
ヨーロッパでは携帯電話の売上げが爆発的に伸びていて、そこに使われる電子部品も飛ぶように売れていました。何が売れたかというと、サイコーエジソン株式会社の電子部品は全分野で売れたのですが、一番売上げを上げたのは液晶表示体です。その次は、その液晶を駆動するためのドライバーICです。これは我社の電子部品売上げを大きく引き上げてくれました。
初期の携帯電話の画面表示はほぼ数字だけでしたので、電卓の数字みたいな7セグメントと呼ばれる表示だけでした。アルファベットを表せる14セグメント表示が加わり、次にはもっと何でも表示できるドットマトリックスの時代がやってきます。
その昔、日本ではポケベルというガジェットが大流行して、JKを中心に爆発的に売れた時代がありました。
正確に言えば、ポケベル=ポケット・ベル(英語圏ではPagerページャー)、JK=女子高校生ですね(笑)
それでは、ここで問題です。
次の数字による会話はどのような意味でしょうか?
女子高生A : 724106
女子高生B : 4510
女子高生A : 106410
女子高生B : 114
不思議ですねえ。これで会話が成立しているというのですから。でも、賢明な読者さんならもうお分かりでしょう。
女子高生A : 724106 ナニシテル?
女子高生B : 4510 シゴト
女子高生A : 106410 TELして
女子高生B : 114 いいよ
これが全部分かっちゃった方は、JKの気持ちが分っちゃうんでしょうか? えっ?何か特別な訓練をしているんですか?(笑)
ま、いいでしょう。14106なんてのもありました。14106はアイシテルなのだそうですよ。
私は、ポケベルが流行った1992年から1998年くらいの間は、もう全然JKではなくなっていましたし、日本にいなかったので、ポケベルの事は肌感覚では分りません。その代わり、ポケベル衰退の一因ともなった携帯電話の事ならとてもよく分かります。
携帯電話向けに売れた半導体は、SED1530シリーズとSED1560シリーズいうICで、アルファベットはもとより、日本向けに漢字フォントも表示可能なドットマトリックス液晶駆動用ICでした。LCDドライバーとも呼ばれていました。漢字も含めて自由に字を表示できるようになると、携帯電話の応用範囲は大きく広がりました。
松永真理さんのアイデアからNTTドコモがiモードを発売し、、日本語テキストの送受信ができるようになるとポケベルが不要になっていくのですが、それはもう少し先の1999年の出来事ですね。広末涼子さんが宣伝していらっしゃいましたね。
更に時代は流れ、画面表示が進化して2007年のiPhone登場によるスマートフォン時代となっていくのですが、それはまたおいおいお話しましょう。ですが、何と1996年には、ノキアがスマホの先駆けとなる製品を出していたのでした。電話付きPDA端末です。あまり売れませんでしたが・・・。
PDAとはPersonal Digital Assistantの略で、アップルが1993年に発売したNewtonという機種が世界で初めてのPDAでした。PDA端末は、1990年代以降スマホが当たり前になるまで、多くのメーカーがチャレンジしたのですが、どれも大当たりせず、ナイストライという評価で終わっていきました。電話機能を内蔵したノキアのPDAはかなり進化した製品ではありましたが、あまり普及せずに消えていきました。
やはり、小型で軽いという携帯性がないと、携帯電話としては受け入れられないのでしょう。
我々のLCDドライバーICとドットマトリックス液晶を使うと、数字とアルファベットをかなり自由自在に表示できるようになります。7セグメント表示の時代は終わりを告げ、ドットマトリックス表示が携帯電話の主流になっていきました。
ヨーロッパの携帯電話メーカーの殆どが我々の液晶表示体を使用してくれるようになっていきました。ただ、携帯電話市場は日に日に過熱し、メーカーは乱立し、部品の奪い合いの様相を呈していくようになりました。
メーカーの殆どは、部品購入先を一社に絞らず、複数のメーカーから互換品を購買するようになります。複数購買の利点は必要数の確保という点において何かと有利になるという事に加え、価格競争をさせてできるだけ安価に部品を購入できるようになるというアドバンテージもあります。我々電子部品メーカーは携帯電話メーカーに対して相対的に弱い立場になっていくのでした。
そこから先は、携帯電話向けのビジネスは、ある意味ドロ沼化していきます。
大きな売上げをあげる事になる反面、数量の急な増減や納期、生産終了時の在庫問題、厳しい価格要求などで、大変な困難を背負う事になっていったのでした。これは我々に相当なインパクトをもたらし、ひいては、日本の電子デバイスビジネスの栄枯盛衰を大きく左右するようになっていきました。
いったん足を踏み入れたらもう後戻りできない、麻薬のような携帯電話ビジネスの幕開けでした。