<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、4月から久し振りの日本勤務です。20世紀も終焉に近づいていく中、我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶発振デバイス)はどうなっていくのでしょうか。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第126話 カーナビと美少女
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の20年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て日本へ帰任しました。家族は3人一緒でラブラブです。うふっ。
前回お話したカーナビについてですが、工作君の国内営業部がお付き合いしていたカーナビメーカーは、パイオニア、アルパイン、クラリオンといったメーカーでした。クラリオンと言えば、カーナビやカーオーディオで有名なメーカーで、一時はかなりの知名度を誇っていました。それというのも、当時のクラリオンの宣伝戦略は優秀で、クラリオンガールという素晴らしい広告塔を毎年選んでいたからです。
何と言っても、初代クラリオンガールは誰であったか、ご存知でしょうか?この名前を聞いた事がないという人は、その時代には一人もいませんでした。それが、アグネス・ラムさんです。え、知りません? アグネス・ラムさんですよ。ときめきませんでした、その頃? まあ、いいでしょう。
その後、烏丸せつこさんや、かとうれいこさんなどのステキな方々もクラリオンガールとしてその名を連ねています。
そして、極めつけ、第14回クラリオンガール(1988年)に輝いたのは、誰あろう蓮舫さんだったのです。そうです、東京オリパラの時の桜田五輪大臣がレンポウと言い間違えたあの蓮舫さんです(笑)。
それで、クラリオンガールと言うと、連想的に思い出すのが、カネボウキャンペーンガールですね。半導体や日本の電機産業とは全く無縁なガールですが、ま、いいでしょう(笑)
誰がカネボウキャンペーンガールかと申しますと、いまは亡き夏目雅子さんです。「クッキーフェイス」のCMで注目を集めました。カッコよかったです。しかし、白血病を発症し、27歳という若さでお亡くなりになってしまいました。1957年生まれで、私と同い年なのに、早すぎましたね。1985年のことでした。
白血病で命を落とした方といえば、本田美奈子さんも惜しまれる方でした。1985年にアイドル歌手としてデビューしました。その年デビューの同期には、斉藤由貴さん、南野陽子さん、中山美穂さんなどがいて、とても芸能界が華やかだった頃です。本田美奈子さんは、その後、ミュージカルの世界へ活躍の場を移していきます。代表作「ミス・サイゴン」など、多くの作品に出演し、スリムな身体ながら圧倒的な迫力で歌う姿は多くの人々の記憶に残っているかと思います。2005年に亡くなりました。
医療の進歩もあるのでしょうが、白血病を克服して活躍されている方々も多数いらっしゃいます。何と言っても水泳の池江璃花子選手は、発症の後、驚異的な回復をして、競技に戻り、東京オリンピックに出場するまでになりました。今でも日本を代表する選手として活躍しています。多くの方々を勇気づけた存在ですね。
これらのお話は、およそ日本の半導体産業の栄枯盛衰とは無関係なお話ですが、私と世代をともにする皆さんにとっては関心の高いお話だったのではないかと思います。
宮崎美子さんの水着CMには女性の私でさえ衝撃を受けましたね(笑)。あ、ご存知ありません?1980年にミノルタのCMが大ヒットしたのを? 当時大学生だった宮崎美子さんが木陰で水着になるという、サイパンで撮影された映像は今でも伝説ですよ。彼女も私とほぼ同じ年代なので、今でも活躍されている姿を見ると元気が出ます。あ、これも殆ど脈絡なく浮かんできた話でした。あしからずです(笑)
話を戻しますと、クラリオンがカーナビを作っていて、宣伝が上手だったという話です。
カーナビメーカーとしてはパイオニアも頑張っていましたね。元はといえば、パイオニアはオーディオメーカーでした。オーディオ御三家と言われてたのがパイオニア、トリオ、山水。トリオはJVCケンウッドとなり、山水は残念ながら倒産してしまいました。歴史を感じますねえ。
今では、オーディオセット(アンプ、プレイヤー、スピーカーなどのステレオセット)を住まいの中にわざわさ置く人々は少なくなりましたが、私たちが育った時代には、ステレオセットというのは一家の必需品のような存在でした。多分、Z世代の皆さんなどにとっては、「ステレオって何?」 だろうと思います。音楽はスマホからイヤフォンを通じて聴くものだというのが最も当たり前の感覚でしょう。しかし、かつては、音楽は大きなスピーカーを最低2台並べ、左右に音像を広げて聴くのがステキな聴き方だったのです。
とりわけ私と同年代の男子たちは家電やメカが大好きですから、オーディオにも一通り精通している方々が多いですね。例えばトム君なんかは、オーディオ大好きですし、自分で作詞作曲編曲レコ-デングなどもしてきた人なので、一般的なステレオセットに加えて、MTR(Multi Truck Recorder)なども持っていて、自作の曲を自分で演奏してCDにしたりしています。今時の若者なら自作の曲はYouTubeにあげたりするのでしょうね。トム君もいずれYouTubeデビューしちゃうんじゃないでしょうか。
最近では、アナログの針式のレコードも一部で復活しているそうです。CD等のデジタル音源に比べて温かみがあるだのと言われていますが、私にはあまりピンときません(笑)。それでも、一定のファンにはレコードが受けているそうで、どん底まで落ちてしまった売上げも最近では伸びているそうです。
因みにCDは、1965年にアメリカの発明家ジェームス・ラッセルが音楽用光学メディア・テクノロジーの発明に成功したことからその歴史が始まりました。その後、1979年になって、デジタルオーディオ信号処理技術のソニーと、光学方式のビデオディスクのリーダー的存在だったフィリップスが共同開発する事で世界に普及する商品化がなされたのでした。
CDは1990年代に入って急速に普及し、アナログレコード市場を一気にCD市場へ塗り替えてしまいました。1998年頃ピークとなりましたが、2000年代に入ってからは、売上げは減少の一途だそうです。
栄枯盛衰は世の習い。1877年にアナログのレコードという技術がトーマス・エディソンによって発明されてから、その基本原理は長らく変わらなかったのですが、音源がデジタルになるという一大革命によって1990年代にはレコードもカセットテープも駆逐されて殆どがCDに置き換わります。しかし、それさえも一時のことでした。デジタル音源の収納場所はCDではなくなり、スマホやPCまたはクラウドになっていったのでした。
祇園精舎の鐘の音が聞こえてきそうです。