<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しですが、台湾や韓国などの新興勢力も台頭してきて、日本の電子デバイス業界も大きな影響を受けていました。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第148話 オーディオの変遷
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の24年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況は変化していきました。もう2003年です。
前回、テレビの歴史について少々お話しさせて頂きましたが、今回はオーディオの歴史についても少し触れさせて頂きたいと思います。
音を伝えるテクノロジー的に言いますと、アナログとデジタルというところで大きな歴史的転換があったと言えるのではないでしょうか。一応、ピンクレディを歌って踊り、キャンディーズをハモってきた私としては、文系卒といえども、音に関しては少々の知識もございます(笑)
つまり、レコード、カセットテープというアナログの音源の時代から、CDやMP3プレーヤー、ネットミュージックなどのデジタル音源の時代へ世の中は一変したという事ですね。
電機電子産業に関わってきた者から見ますと、事の始まりはやはりエジソン先生の蓄音機という事になるでしょうか。1877年の発明だそうですから、今から150年近く前の事になります。これを日本に取り入れたのが、後に日本コロンビアとなる会社で1910年頃にレコードと蓄音機の製造を開始したという事です。
その後、レコードの音源は、アンプとスピーカーの進歩によって、美しく、大音量で再生できるようになっていきます。レコードの他にラジオも音源の一つで、特にFMは音質が良いので、それを録音するというエアチェックなる言葉も生まれました。FM fan なんて雑誌もありましたよね。
パイオニアやテクニクスがスピーカーなどの開発を進めました。トリオ(ケンウッドのブランド名)とかサンスイとかTEACなんてオーディオメーカーもありましたね。
1972年頃からシステムコンポという言葉が使われはじめ、庶民的な一体型オーディオ(家具調ステレオ)と、マニアが好きな「コンポーネント型」の区別ができていった頃です。
因みに、テクニクスというのは、パナソニックの音響ブランドです。この頃からオーディオブームがおこり、オーディオ専門メーカーだけでなく、多くの電機メーカーがこぞってこの分野に参入しました。
私の場合は、Victorのステレオに始まり、SONYのラジカセ、友だちから貰った手作りの3wayスピーカー、テクニクス(パナソニック)のアンプが、学生時代までの所有物で、その後社会人となってからは、テクニクスのターンテーブル(レコードプライヤーのこと)、Lo-D(日立)のカセットデッキを所有して、貸しレコードをカセットテープに録音しまくっていました。
その頃、カセットテープをヘッドフォンで聴く画期的な発明がされたため、普段音楽を聴くのがとても容易になった時代です。そうです、ウォークマンです。懐かしいですねえ(笑)
私の場合、SONYのウォークマンと同機能の三洋電機のヘッドフォンステレオを購入して使っていました。そちらの方が少々お安かったのでした(笑)。そういえば、三洋電機も今はなくなってしまいましたねえ。
小さくて軽いヘッドフォンステレオは手軽にどこでも持ち運べるので、出張も多かった私には素晴らしく有用な機器でした。行き帰りのあずさなどでは大活躍でしたね。テープがすり切れるくらいに聴いたLPも沢山ありました。大瀧詠一先生のロングバケーションとかですね(笑)。1980年代前半の事です。
実際、テープは擦り切れたり、伸びたりして、音源としての信頼度は少々低く、また、プレイヤーの回転数にはワウフラッター(モーターやベルトなどによる回転ムラ)があって、音程が上がったり下がったりという事もありました。更に、プレイヤーの個体毎に回転速度は微妙に異なるため、同じカセットテープを別のプレイヤーで聴くと、ほんの少しだけ、音程が違っていました。(これに気づく人は殆どいませんでしたが)
これらは、アナログ音源ならではのあるあるでしたが、それらを一気に解決する画期的なイノベーションがデジタル音源とその再生機器でした。アナログ音源はその保存いかんによって音が劣化する事がありますが、デジタル音源の音は原理的に劣化しません。また、デジタルの場合、回転数的な問題は殆ど起きません。厳密に言えば、機器の水晶発振周波数の精度に依存しますが、かなり無視できるレベルです。
デジタル音源機器が開発された当初は、音の解像度が不十分という問題がありましたが、半導体技術が進歩するに従って、アナログなのかデジタルなのかを人が聞き分けられないくらいの解像度に達してからは、アナログ音源と機器はデジタルによって殆ど置き換えられるに至りました。
CDとCDプレイヤーが市場に浸透していきました。日本で最初のCD音楽ソフトは1982年に発売され、1986年にはCDの音楽ソフトの年間販売枚数が約4500万枚となって、LPレコードの販売枚数を抜き去りました。
レンタルレコードは、1980年に「黎紅堂」(れいこうどう)というナイスなネーミングでLPレコードをレンタルするサービスを立教大学の学生が始めたのが最初だそうです。その後、レンタルCDへと変化していきます。更に、2000年頃になるとレンタルビデオ店などと複合化し、業態が変化していきます。
多くの人々がレンタルの恩恵を受けたのではないでしょうか。一時は街のあちこちにレンタルレコード、レンタルCDのお店があり、一大ブームになっていました。
ウォークマンも、媒体が、カセットテープから、CD、DAT、MD、更には、半導体メモリーへと進化し、それに合わせて機器の姿も変わっていきました。今では、スマホにとって変わられましたが、日本のSONYによる画期的な発明が一時代を築いた事は間違いありません。
2001年にアップルがiPodを世に出してからは、音楽も映像もインターネットの時代に突入していきます。オーディオ機器のブームは去り、わざわざ大きなシステムコンポをリビングに置くような時代ではなくなっていきます。音響技術の進歩によって、小さなスピーカーでも美しい音が聴けるようになり、30cmのウーファーを持つスピーカーなどは時代遅れになっていきました。私はいまだに、友だちから貰った30cmウーファーとスコーカーとツイーターの手作りスピーカーを捨てられずにいます。だって、青春の思い出すぎるし、いい音なんですもん(笑)。
かつてのオーディオ御三家の一角だった山水電気は2014年に破産する事になるのですが、残る御三家のパイオニアやトリオを含め、様々なオーディオブランドは、事業を縮小したり、社内の他の事業に注力したりしていきました。
オーディオの世界も、「祇園精舎の鐘の声・・・」の栄枯盛衰で、懐かしいオーディオブランドの名前は今では殆ど聞かなくなりましたが、記憶の中にはずっと残っています。
因みに、トム君はTEACのマルチトラッカーで自作の曲を自分で唄って演奏して録音していたそうです。マルチトラッカーって何?ですか? う~ん、トラックがマルチだったって事らしいです。良く分かんないですけど(アハハ)