連載小説 第81回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も半導体事業も絶好調ですよ。世界はネット社会への扉を開けつつありました。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第81話 とうとうインターネットと電子メール

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の15年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も絶好調です。半導体事業も絶好調です。我々の仕事にも変化が起こりつつありました。

 

「ねえねえ、トム君、ついにFaxじゃなくて、電子メールで日本とやりとりできるようになるんだって?」

「ああ、とうとうだよ、舞衣子」

「ようやくね」

「感慨深いものがあるなあ・・・」

そんな話をしたのが一週間前。ついに電子メールでの通信が始まりました。インターネットが使えるようになったためです。

「ねえねえトム君、感動的だよねえ、電子メールって」

「とうとう、この時代がやってきたなあ、舞衣子」

「いちいちFaxマシンの前に立って、間違いなく届くように、両手を合わせてお祈りしたりしなくて済むようになったわよね(笑)」

「おお、届いたか届いていないか分からないようなFaxとはおさらばだぜ」

「思えば、長い年月だったなあ」

「そうそう、Faxには随分と長い事お世話になったな」

「あの、テレックス以来ずっとだもんね」

「そうそう、懐かしいテレックス」

上諏訪時計舎の3階事務所の片隅で、諏訪湖に沈む夕陽に照らされながらひたすら打ち続けるテレックス、うふっ」

「そうだったよなあ」

「そして、仕上げは復帰復帰改行改行よ」

「だよな。復帰復帰改行改行」

「うふふ、トム君が言うとなんだかお経ね」

「あはは、復帰復帰改行改行」

「うふふ」

「それにしても何て手間のかかる事をやってたんだろうな」

「うん、でも、それしか方法がなかったしね」

「まあな。それに比べるとスゴい進歩だよなあ、電子メールってのは」

「ホント、助かります。うふふ」

テレックスから解放されたのが1981年頃で、それ以来、長らく私たちはファックスという手段で文書のやりとりを行ってきました。テレックスに比べたら格段に便利なシステムでしたが、少々煩わしい部分もありました。

我々がSS-Systemsでインターネットと電子メールを使えるようになったのは1994年頃の事でした。電子メールは電話回線を使っても技術的には利用可能ですが、実用的ではありません。だったら電話しろよ、ってとこですね(笑)。結局のところ、インターネットが通じたところに電子メールが利用されるようになったというのが実態でしょう。

インターネットが普及する事で、即座にできるようになった事は二つあります。電子メールのような通信をするという事と、検索して調べたい事を調べるという二つの事です。

標準的な検索エンジンとメールソフトが定まっておらず、何を選んでいいのか分かりません。とりあえずNetscapeのNavigatorと、日本の海外営業部が探してきた「なんとかメール」を使う事になりました。名前は忘れました。今はもう残っていないでしょう。1994年末か1995年頃のお話だったと思います。

ネットワークの世界はまだ混沌としていて、整備すべきこと、開発すべきことが山のようにありました。ということは、そこには大きなビジネスチャンスがあったという事です。実際、ネット社会に向かう大きな波の中で、大儲けした会社も少なくありません。ネットワーク関連のCiscoなどは典型的な例でしょう。株価は爆上げの連続で、この株で儲けた人も多かったようです。殆どのシリコンバレーの企業の株は上がっていました。私は大儲けには無縁だったので、残念な事をしましたが、まあ欲張ってはいけないでしょうね(笑)

 

「ねえねえ、トム君、注文書はどうしたらいいんだろ?」

そうです。次は注文書などの日米間トランザクションの利便性をあげるチャンスです。

「インターネットが使えるようになったんだから、それも、当然電子化だろ、舞衣子」

「でも、どうやって?」

「そうだなあ。個別のシステムになっちゃうかなあ」

「何か既存のシステムに乗っけるってのは無理なの?」

「ううん、知ってる範囲では思いつかないなあ」

「まだ、インターネットの利用が始まったばかりだから?」

「ま、そういう事かな」

「じゃ、どうしたらいいんだろう」

「そりゃ、システム部の彼に頼むってもんだろ」

「ピーター・ポンさん?」

「ああ、Peter」

「ま、そうね」

「だけど、どうせ、簡単に専用システムなんてできっこないから、当面は電子メールに必要事項を記入して送ればいいんじゃない?」

「とりあえずは、それでいっかあ」

「専用のシステムったら、スゴい開発費用かかるしな」

「うん。別に記載事項と言っても決まり切ってるから、フォーマット決めればすぐ運用できるよね、トム君」

「ああ」

「じゃ、決まり」

「ああ」

「先が見えたから、元気出てきちゃったよー」

「良かったな、舞衣子」

「元気出ちゃったから、美味しいものでも食べに行こうよ、トム君」

「お、おお、久し振りに行くか」

「行こう行こう!」

という訳で、私たちはチーバ君たちも誘って、お寿司屋さんへ行く事になったのでした。なんでアメリカのお話なのにお寿司や?とお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、そこはカリフォルニア州はシリコンバレーでのお話。お寿司屋さんの十や二十、選び放題の土地柄だからです。

その日はEl Camino RealにあるSeto Sushiへ行きました。生ビールでカンパーイとかやってから美味しいお作りやお寿司に舌鼓を打ったという幸せな時間を過ごしました。

我々のよく行くお寿司屋さんというのは、いくつかあって、どこも美味しいのです。なんてったって太平洋の海の幸がカリフォルニアではいっぱい流通していて、新鮮だからです。ラージサイズが基本の米国では、寿司ネタも余裕で大きくて分厚いので、日本で起こりがちな 「薄くて向こうが透けて見える問題」 はまず発生しません。

時にはイクラやハマチが、「お勘定!」 に間違えられるという問題もありました。え、なんでか? How much?みたいじゃないですか。ハマチ!気合い入れて発音してみてください(笑) 勿論、日系アメリカ人の好きなジョークですけどね(笑)

あ、因みに、倫ちゃんを運転手にチャーターしたので、ガンガン、ビール飲んじゃいましたよ。

カロリー問題は、忘れていました・・・(笑)

 

第82話につづく

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