<これまでのあらすじ>
サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。米国現地法人のSS-Systemsを経て、今はミュンヘンにあるヨーロッパ現地法人のEdison Europe Electronics GmbHに勤務しています。世界中で携帯電話の普及というビジネスの波が起こっていました。我々の半導体製品もその波に乗って大忙しです。そこへ液晶表示体と水晶製品のビジネスも統合され、更に大忙しです。
(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら)
第120話 携帯電話内蔵ウォッチ
私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の19年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。アメリカの現地法人SS-Systemsを経て、ヨーロッパの現法Edison Europe Electronics GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんと0歳の子どもと暮らしています。ビジネスは絶好調でした。
「おい、舞衣子、大変な事になっちゃったよ」
「どうしたのよ、トム君、また大げさに」
「いや、流石に今回は大変な事だよ」
「どうしたの、一体?」
「いいか、舞衣子、誰にも言うなよ」
「言わないわよ、トム君のヒミツなんて」
「いや、俺のヒミツじゃないんだ」
「じゃ、何よ」
「企業秘密だよ」
「企業秘密?」
「ああ」
「いいんじゃない、私たち、同じ企業にいるんだから」
「だから、Between You and Me だぞ」
「いいよ」
「じゃ、発表しちゃうぞ」
「いいよ」
「いいんだな」
「いいよ。もったいぶらなくていいから、早く言いなよ」
「分かった。心して聞けよな」
「だから、早く」
「うん」
「で?」
「我がサイコーエジソン株式会社は、とうとう世界初の携帯電話内蔵ウォッチを開発しちゃう事になりそうです!」
「へえ、スゴい!」
「だろ?」
「腕時計が電話かぁ・・・面白いね」
「うん」
「最近はネコも杓子も携帯電話って感じだけど、電話時計ってないよね」
「そうなんだよ、電話を時計に内蔵しちゃうんだよ」
「でも、どうやってお話するの?」
「どういう事だよ?」
「口と耳と両方に時計をくっつけるのかなあって」
「ま、それはどうにかするんだろ」
「話す時は口で聞く時は耳でしょ?」
「ま、その疑問はこれから解決するとしてだな」
「ふうん・・・」
「おいおい舞衣子、これがどれだけ大変な事か分かってんのか?」
「分かってるような、分かってないような・・・」
「そもそも、腕時計に世界で初めてコンピュータを内蔵したのは我社だぞ」
「うん、まあ、それは知ってるよ。テレビだって内蔵しちゃったでしょ」
「そうだよ。世界初のテレビウォッチを出したのはサイコーエジソン株式会社だよ」
「じゃ、携帯くらい、なんて事ない?」
「いやいや、舞衣子、甘く見ちゃいけないぞ」
「だって、テレビもPCも入れられるんだったら、携帯くらいお茶の子さいさいじゃないの?」
「いや、それは、うむむ・・・」
「そうでしょ、トム君?」
「うむむ・・・」
「やっぱ、そうなんじゃん」
「・・・」
トム君はとうとう黙ってしまいました。うふふ。私の勝ち?
ま、勝ちかどうかはどっちでもいいんですけど、流石はサイコーエジソンです。携帯電話内蔵腕時計なんて、面白いですよね。
でも、これまで、携帯電話は開発してきませんでした。じゃ、一から開発するの? という話になる訳ですが。
「いいか、舞衣子、これは、極秘事項だから、聞いたら忘れてくれ」
「聞いたら、忘れる訳ないじゃん」
「いや、忘れた事にしてくれ」
「なんでよ」
「このプロジェクトには某社が提携する事になってるんだよ」
「ふうん。某社って某社?」
「うん、某社」
「じゃ、某社ってどこの会社?」
「ドイツの会社」
「携帯やってるの?」
「うん、やってる」
「じゃ、ヒーメンスかポッシュじゃん」
「ま、そういう事になるな」
「私、大体分かっちゃった。ヒーメンスでしょ」
「何で分かったんだよ」
「だって、ポッシュはそこまで携帯電話に力入れてるようには見えないもん」
「ま、そうだな」
「ヒーメンスならやりそう」
「ま、そうだな」
「で、この話ってどっちが持ちかけたの。日本?ドイツ?」
「ドイツらしい」
「ふうん、携帯電話メーカーとウォッチメーカーのコラボって事ね」
「うん、そうなのだよ」
「それなら、メイクセンスだわね」
「スゴいだろ」
「うん、スゴいと思うよ。ドイツのNo1総合電機メーカーと日本のユニーク精密技術メーカーだもんね」
そうです。サイコーエジソン株式会社はスゴいんです。小さくて精密なものは得意です。
1998年のその頃にはプリンターと電子部品の会社になっていましたが、なんてったって元は上諏訪時計舎という精密機器メーカーだったんです。「東洋のスイス」と謳われた風光明媚、空気の綺麗な諏訪湖の周辺で腕時計を作ってたんですね。そして、ただの時計じゃなくて、テレビを内蔵したり、PCを内蔵したりと、チャレンジ精神旺盛でしたから。
ヒーメンスにしてみれば、そんな歴史も知った上でのお誘いだったのだと思います。
今では、スマホが何でもカバーしてしまっているので、わざわざ腕時計が電話になる必要もありませんし、逆に腕時計の画面の大きさでは役不足です。結局のところ、スマートウォッチはスマホと連動して初めて機能するというデバイスになっています。
しかし、時は1998年。思い描いた電話時計は、当時としては画期的な話でした。それは時期尚早だったかも知れませんが、現代のスマートウォッチの先駆け的なデバイスになるはずでした。
早速、社長同士のミーティングがセットされました。そこで手を組んでこの一大プロジェクトがキックオフされる予定だったのです。ところが、
「大変だ~!草比社長の乗るはずだったフライトがキャンセルになっちゃったらしい!」
トム君が大声で叫んできたのは、その大事なトップミーティングの日の朝でした。
双方、とても忙しい社長同士がミーティングを行う訳なので、いったんスケジュールが狂うと簡単にリスケジュールはできません。草比(くさぴぃ)社長も超忙しく、夜遅く成田を出てパリ経由でミュンヘンへ朝到着し、すぐにミーティングというタイトな予定でしたが、何らかの事情でフライトがキャンセルになって、すぐに代替えもできず、ヨーロッパへ来る事ができませんでした。
双方その後の予定も詰まっていたので、結局、社長同士のミーティングはリスケジュールなしのキャンセルとなり、それだけが理由ではなかったのかも知れませんが、結果、携帯電話腕時計のプロジェクトもキャンセルになってしまったのです。
タラレバでしょうが、もしもあの時、フライトが予定通りに飛んで社長同士のミーティングが行われていたら、アップルウォッチよりもっとスゴい携帯電話機能内蔵ウェアラブルデバイスを15年以上も前に出す事ができていたのかも知れません。そして、ヒーメンス・エジソンなどという合弁会社ができて、私たちもそこで大活躍~なんて未来があったのかも知れません・・・。
今では、知る人ぞ知る、の話になってしまいましたが、思い出すにつけ、あれは惜しかったなあ、と思う出来事だったのでした。