「巣ごもり特需じゃ」などと唱えつつ、昨日は部品を7800個ほど発注してしまいました。別に製造販売をおっぱじめようとはおもっておりませんのよ。発注代金3480円也。例によって秋月電子殿であります。これらは全て、トランジスタ技術2020年5月号の付録基板向けであります。ぶっちゃけ1608の表面実装の抵抗をリール買いし、これで7500個。他の部品は300個ほど。それにしても数が多くないかい。
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今回、買ってきてもらったトラ技の最新号の表紙を見て、実は「またか」と思ったんであります。特集『大解剖!CPUはこうやって動いている』。まあね、年度初めだし、新人さん向けの特集が組まれる時期だし、ありがちに、FPGAでも使って、HDLでCPU作ってみましょう的な記事じゃないの、と。
すみません、大間違いでした。
今時、珍しい、というべきでしょう。デスクリートでCPU作ろうというとても「遠大」な企画だったのであります。そして、そのお手本にするのが、米国加州マウンテンビュー市所在、
所蔵のアポロ宇宙船のコンピュータであります。ここ十年ほど行っていないのでありますが、それ以前に多分5,6回は行かせていただいております。毎度行く度、(今は分かりませんが、)ロビーに置いてあった、CRAY-Iに座り(その理由はご存知でしょう)、コンピュータ黎明期の「聖遺物」を参拝し、Apple I (多分ウォズニアック自ら作ったものか)に感動します。大きな倉庫に古びて大きな機械が置かれているような展示(今は綺麗になっているのか?)の中に、アポロのそれは置かれていました。よく日本の電子デバイス業界でいう「弁当箱」サイズの大きさのそれは、ガタイの大きな初期のコンピュータの群れのなかでは異常に小さく見えました。スマホになれた今の目でみてはいけませんよ。手元のお手製年表からその時代がどんな時代だったのかを紐解けば
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- 1946年、ENIAC。真空管17468本、170平米、消費電力180kW、重量30トン
- 1948年、ショックレー、点接触トランジスタ発明
- 1958年、キルビー、IC発明
- 1959年、ノイスとムーア、IC技術特許(今にいたる半導体製造をささえるプレーナ特許)
- 1961年、アポロ計画スタート
- 1964年、IBM System/360
- 1965年、コロナウイルス発見
- 1969年7月、アポロ11号、月面着陸
ENIACは黎明期のコンピュータとして、もっとも有名じゃないかと思いますが、そこから二十数年後に、弁当箱サイズのコンピュータができて月まで行っておるのであります。intelはアポロ着陸の前年に設立されてはいるものの、最初はまずLSIメモリを作ろうとしていて、世界初のマイコン以前の時代。また、この時代Apple社といえば、ビートルズが1968年に設立したレコード会社のアップルの方、iPhoneの方のAppleなど存在しない。Internetの前身のARPA Networkが始まったのもこの1969年、最初はたった4ノードであったと(多分、誰もIPv4アドレスが枯渇するなど心配していなかった筈。)アポロの開発スタートした時点では、マイクロプロセッサもメモリICも影も形もなく、ようやく「IC」というものが使えるようになったばかり。その「海山」の当時の最新技術を採用し、たった8年ほどでやった、と。今からみても、凄いスピード感じゃないかと思います。
それを模範に、全てディスクリートのトランジスタ(MOS-FET)と抵抗から、ICに相当する論理ゲートを「作る」ところからやり、それらを組み立ててCPUにすることで、「勉強しよう」という特集らしいです。いや、もしかすると、よく知っている新人さんなどは、そんなまどろっこしいことしなくても、ちょいちょいと言語設計すればそんなもの合成できてしまう、やるだけ無駄、と思われるかもしれない。けれど、年寄りには「ぐっと」くるものがあるです。nチャンのトランジスタ2つ直列でグランド、pチャンのトランジスタは並列で電源、これで2入力NANDゲートだあ、というところから、コツコツやる、と。ピンセットで。
トランジスタも抵抗も1608サイズの表面実装部品、基板両面に実装
というあたりは、大分近代的(新人教育を考えるならば、表面実装部品であるべきでしょう)ですが、まあ、なんとか老眼の年寄りでも半田付けできないことも無さそう(気力が続けば)。それで、ついつい、表面実装部品を仕入れてしまった、と。実際に半田付けするのは、300個ちょっとばかりだけれども本当に気力が続くのか?大きい虫眼鏡いるんじゃないか。