連載小説 第123回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICの営業に携わっています。米国現地法人のSS-Systemsを経て、今はミュンヘンにあるヨーロッパ現地法人のEdison Europe Electronics GmbHに勤務。携帯電話が爆発的に売れる中、我々の電子デバイスビジネスも絶好調。日本への帰任まであと3ヶ月です。広末涼子さんは早慶大へ入学?

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第123話 トム君も?

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の19年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)を販売しています。アメリカの現地法人SS-Systemsを経て、ヨーロッパの現法Edison Europe Electronics GmbHへ異動しました。ドイツのミュンヘンで倫ちゃんと1歳になった子どもと暮らしています。ビジネスは絶好調の中、日本への帰任が決まりました。

 

1999年が始まり、EEEGに出社したその日、横山社長が発したひと言に、ランチタイムをともにしていた皆がびっくら仰天してしまいました。

「大変だ。副社長が日本へ帰任する事になってしまった」

副社長というのは、私の最も親しい同僚であるトム君(本名 富夢まりお君)の事です。トム君は横山社長が赴任してくる以前はEEEGの前身であるEdison Semiconductor GmbHの責任者として経営をきりもりしてきた第一人者です。半導体以外の電子デバイスを全部扱うEEEG(Edison Europe Electronics GmbH)となってからは、社長の右腕として重要な役割を果たしてきたので、横山社長としては手放したくないカードNo.1だったようです。

日本からの指令は余程の事がない限り、変える事はできないので、3月末帰任は確定事項となってしまいました。奇しくも、私の帰任時期と一緒になったという訳です。アメリカ6年ちょっと、ドイツ3年半という約10年を海外で一緒に頑張ってきた仲なので、不思議な縁と言えば不思議な縁なのですが、入社以来こうも同じ部署が続くとなると、トム君と私には何か人智を超える繋がりがあるのではないかとも思ってしまいます。もしかしたら、前世でメオトだったりしたのかも(笑)?

日本の営業本部としては、あまりにも長い期間海外赴任しているとあまりよろしくないと考えているようで、そろそろ帰ってもらおうという意図もあったようです。

「とうとう年貢の納め時ってやつですかね」

とトム君が言ったのも本音のようで、本当はもっと海外でバリバリ仕事を続けたいのだけれど、日本企業の組織内にいるのであれば、辞令には従うしかないと自分を納得させているようでした。

「代わりの赴任者が来る事にはなっていないから、仕事をみんなで何とかしなくちゃいけないなあ」

と横山社長が皆の顔を見回しました。その日にランチをともにしていたのは、スガちゃんとカツ君とでしたが、カツ君は液晶関係の仕事が大忙しです。他の赴任者メンバーも皆それぞれの事業部のビジネスを抱えていて、トム君の色々な仕事は横山社長とスガちゃんで何とかするしかないという話に落ち着きました。

しかし、トム君の存在感は結構大きく、ローカルとのちょっとややこしい話は大体片付けてくれていたので、今後はそれやこれやを社長自ら収めて行かなければならないとなると、こりゃ大変だと横山社長は感じたようです。

「横山さん、本当にお世話になりました」

「いやいや、こちらこそだよ」

「あの、在庫処理の時は肝を冷やしましたけどね(汗)」

「ああ、助かったよ、あの時は。それにしても、良く怒られずにすんだよな、日本から」

「ええ、たまたまドイツマルクでいくらって言ったので、日本円でどのくらいってあまり認識されないままOKしてもらっちゃいましたからね(笑)」

などの会話がありまして、

「スガちゃん、引き継ぎリストを作るから、来週にでも打合せをしよう」

「はい、宜しくお願いします、トムさん」

「スガちゃんもこれからは番頭さんの筆頭だから、社長をしっかり支えてくれよな」

「ガッテン承知っす」

と引き継ぎ体勢は整ったのでした。

それからの3ヶ月は、私もオペレーション関係の仕事をローカルに引き継がなくてはならず、結構大変でしたが、やれば何とかなってしまうもので、日本からのサポートももらって、順調に進んでいきました。

トム君はできるだけの仕事はスガちゃんに頼んで、難しい判断やローカルへの目配りなどは横山社長にお願いして、帰任の準備を進めていきました。個人の力はそれなりに重要ですが、大きな組織という中では、誰か一人がいなくなっても何とかなってしまうもののようです。実際、トム君と私が帰任したあと、1999年4月からの新年度もなんだかんだで大きな問題なく運営を続け、EEEGは業績をあげていく事になりました。

あ、因みにトム君の帰任先は海外営業部との事で、そこでどのような業務担当になるかはまだ知らされていませんでしたが、部門の括りで言えば私と一緒です。またですねえ(笑)

その日のミュンヘンは、冬にしては珍しく晴天が広がり、ランチからの帰り道、冷えた空気の中にも、清々しい光が輝いていました。

 

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