冥界のLSI(8)VM863C110、日本語ワープロとともに

JosephHalfmoon

1980年代、まさにバブルへと向かう日本には、日本独特の「OA機器」市場が存在していました。日本語ワードプロセッサーという「ハードウエア」です。若者はなんじゃそれ、の世界じゃないかと思いますが、当時の日本(当時の「イケイケ」状態は少し前までの中国を想像すると良いかと)ではかなり大きな存在感がありました。日本語ワードプロセッサー(以下ワープロと呼びます)のCPUは、初期こそ色々なアーキテクチャが使われましたが、後期になるとほぼx86系ばかりとなります。ワープロと共に生き、ワープロと一緒に滅亡したのが、もう一つの国産x86、VMT社のプロセッサでした。

(「黄昏のSoC」改題)

1970年代末に日本語ワープロが登場した当時は、業務用途の巨大な機械で価格も数百万円もするような装置でした。そこから1980年代に入ると個人向けの小型軽量な装置が登場してきます。1980年代中盤になると、価格も急速に安くなり、国内の「家電メーカ」各社は皆日本語ワープロを発売するようになります。東芝ルポ、シャープ書院、富士通OASYSなど(勿論、NEC、日立、沖、カシオ、ソニー、キャノン、Panasonicなど皆さんワープロ売っていました。ちょっと時代は下りますが、Panasonicの「スララ」というワープロの宣伝に起用されたデビューしたてのアイドルグループはSMAPという名で、誰それ、と思った記憶が頭の片隅にあります。)

今からすると、何でパソコンでワードプロセッサやらなかったの?と思われるかもしれません。しかし、1980年代当時のパソコンで日本語を処理するのはかなりやっかいなことだったのです。端的なところでいうと漢字フォントです。英文であれば、7ビットアスキーコードにグラフィックキャラクタ128個くらいあわせて256文字、それも8ドット高さのフォントでも実用になります。せいぜい2Kバイト程度のCG(キャラクタ・ジェネレータ)ROMがあれば画面表示ができるのです。(当時はまだ、ビットマップをサクサク扱えるほどCPUも速くなく、ビデオメモリにはキャラクタコードを入れておいて、そのコードでCGというROM内のフォントを引いて表示するのが普通でした)ところが、日本語には漢字が必要です。JIS第1水準ならば3000字以下ですが、第2水準までとなると6000字を越えます。フォントの高さも16ドットは最低必要、美麗な印刷には24ドットは欲しいところ。漢字ROMというフォントを収めたROMのサイズは24ドットともなると512Kバイトといった分量になります。また、日本語のすばやい入力のためには「カナから漢字に変換するための辞書」も必要だということが分かってきて、これまたメモリを食うのです。1980年代初めのパソコン、例えば最初のIBM-PCはアドレス空間は1Mバイトありましたが、標準搭載の主記憶16Kバイトだった筈。ましてやそのころ主流の8ビットパソコンはアドレス空間64Kバイトの世界です。当時のパソコン上で日本語処理を行おうとすると何か専用のハードウエアでも搭載しない限り不可能でした。

そこで日本語ワープロという専用機が1980年代後半から日本中を席巻し、当時風に言えば「OA」オフィスオートメーションの中心機器となって行きます。この市場向けにCPUを売りたいというアイディアで設立されたのが国産x86会社のVMT社です。VMT社はALI M6117の回でちょっと触れた386互換の32ビットも作っていたのですが、日本語ワープロ市場で主力となったのは、リアルモード限定版の286とでもいうべき16ビットのシリーズでした。最初は単体CPUとして売っていましたが、当然集積プロセッサ(当時はまだSoCという名は一般的ではなくVMT社はASIP=特定用途向けプロセッサと言っていた)にも手を伸ばします。そこで登場したのが、

VM863C110

というチップです。登場時期はC&TのPC/ChipNEC のV41/V51の直後1992年くらい。8237互換のDMA、8254互換のタイマ、8259互換の割り込みコントローラなど先行したPC/XTワンチップが集積したのと同様なマザーボード部分の集積チップでした。CPUは同一クロックで80286/386よりやや性能はよく(リアルモードに関しては80286も80386もほぼ同じ性能)、12.5MHz動作でした。6MHz動作であったオリジナルのIBM PC/ATの倍速くらいの性能は出た筈。その後、VMTは後継機種を出していき、最終版となった

VM867C110

では、周辺は細かいところを除きほぼ同様ですが、CPUは40MHz動作、内部倍速動作(同一クロックで80286/386のほぼ倍の性能)、1Kバイトキャッシュ搭載というところまで到達します。

しかしその頃には日本語ワープロ市場が静かに終わりを迎えつつありました。1990年代初頭に、VGAを備えたPC/AT互換機のMS-DOS上で日本語をソフト処理するためのOS, “DOS/V”が登場し(それ以前にAXなどというものもありましたが)、PC/AT互換機上で日本語処理をするのが一般化し始めたからです。DOS/V時代ならばまだワープロ専用機の方がフォントが綺麗など優位点があったのですが、Windowsの一般化、特にWindows95の登場によって日本語ワープロ専用機の市場は急速にしぼみ、1990年代末にはほぼ滅亡の時を迎えることになるのです(未だに愛好家のための中古市場は残っているようですが。)日本語ワープロ専用機とともに生きてきたVMT社も同時期に消滅。

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