連載小説 第68回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。お仕事は毎日忙しくやっているんですけど、運命の人、Appleの青井倫吾郎さんと、とうとう結婚しちゃいました。ステキです。うふっ。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第68話 シンガポールの製造拠点

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の13年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。美味しい食事の連続で、私の見事な肉体(笑)は水平方向へ更に見事な成長をとげたものの、アップル・コンピュータの青井倫吾郎さんと遂に結婚しちゃいました!うふっ。

 

「ねえねえ、トム君、そうこうしてるうちに、もう68回だよ」

「ああ、68回だねえ」

「という事は100回まであと32回だよ」

「ああ、32回だねえ。・・・ってその話、前回もしたじゃないか」

「そうだっけ?」

「67は何でもない数字だとか何とかいって」

「そう?」

「舞衣子さあ、オレ忙しいんだよ」

「あら、私とはお話もできないって事?」

「いや、そういう訳じゃなくて」

「じゃ、なんなのよ」

「それはだねえ、急遽シンガポールへ出張になったのだ」

「え、シンガポール行くの、トム君?」

「ああ、1MSRAMを使ってもらってるハードディスクメーカーの工場がシンガポールにあるだろ」

「それって、Seagate?」

「そうそう」

「現地で、品質問題が出ちゃったんだよ」

「あらら」

「かなりの数を使ってもらってるから、すぐに何とかしなくちゃって事になってさ、日本から品質課長にも来てもらって、現地で解決を図ろうって話になったんだよ」

「急な話?」

「今日それが決まって、明日のフライトだよ」

「それは忙しいわね」

「ああ」

「シンガポールって遠いよねえ。何時間かかるの?」

「乗り換え便しか取れなくてさ、結局、成田経由シンガポールなんだよ」

「わ、それ時間かかるね」

「トータルで20時間くらいかなあ」

「あら、それはステキ(笑)。ロングフライトを楽しんでね(笑)

「おいおい、笑い事じゃないよ。20時間だぞ。エコノミーで20時間はきついよ」

「それはそうね。やっぱ大変そうだから、トム君の幸運を祈る事にするわ」

「ああ、お百度とか頼んだぞ」

その頃の問題解決事情はこんな感じで、何かあった場合は、電話で済まないような話なら、とにかく現地へ行って状況を把握し整理して対策を考える、という事でした。今考えると、まずはテレビ電話とかZoomとかで状況確認するってもんじゃないの?なんて思いますが、ICTの黎明期でインターネットもまだ普及していない頃です。電話とFaxでは限界がありました。なので、遠いシンガポールであろうと、現地へ行くという手段が最も有効だと考えられたのです。

もう一つ注目しておかなくてはならない流れとして、開発拠点と製造拠点が別の場所になるというトレンドが生まれていました。大手のメーカーは安価な労働力を求めて、モノの製造をアジアなどの新興国へ移管するようになってきていました。ハードディスク大手のシーゲイト社も大量生産はアメリカからアジアへ移していたので、何か問題が起こった時は、本社や開発拠点のあるアメリカと製造拠点のシンガポールと両方に連絡をとる必要がありました。どちらの指示に従うか、どちらと調整をするかなどがはっきりしないケースも多く、かなり厄介な事もありましたが、顧客の事情でそうなっているので、売り手である我々はその状況の中で何とかするしかありませんでした。

更に言えば、売上げ管理の問題もありました。我々に注文を出すのはアメリカで、出荷先がシンガポールとなる、このようなケースはドロップシップと呼ばれました。SS Systemsの販売代理人(セールスレップと呼ばれます)は売上げに対して歩合をもらう契約なので、ドロップシップの場合は数字がよく分かるため問題ありませんでしたが、注文もシンガポールから出るようになると、SS-Systems管轄外のために数字が正確に把握できなくなり、歩合計算で揉めるという事が度々おこりました。

これも、顧客側の事情に売り手側が合わせなくてはならない類いの話で、多くの部品メーカーは苦労していました。

そんなこんなで色々ありましたが、世の中の大きな流れにはあらがえる訳もなく、それらのトレンドを先取りして対応していく事が求められるのでしたが、我がSS-Systemsもサイコーエジソン株式会社も、もっと言いますと、日本のメーカーの多くは、先取りというよりは起こってしまった状況に対してリアクティブな対応に終始する事が多かったように思います。概してアメリカの企業は何に対してもプロアクティブ(先取り)に動く事が多く、それが、日本の半導体産業の栄枯盛衰に作用してしまうとは、まだその頃は認識できておりませんでした。

この時期、製造拠点として成功した国は、シンガポール、台湾、香港、韓国の4カ国で、NICS(Newly Industrializing Countries)とかNIES(Newly Industrializing Economies)などと呼ばれていました。アジアのこれらの国は、天然資源が乏しく国内市場が大きくないというハンディを克服するために質の高い労働力を背景に工業化を進め、アメリカなど先進国企業の製造拠点として機能する事で急成長を遂げていました。これも、その後の日本半導体産業の栄枯盛衰に大きく影響した事は言うまでもありません。

トム君と品質課長のシンガポール出張で問題は解決に向かい、我々の1MSRAMは相変わらずSeagateのHDDに使われ続けました。今でもSeagateのHDDは世の中で数多く利用されています。しかし、残念ながら、我々の半導体はHDDの進化を先取りする事ができず、1MSRAMを最後にHDD業界から姿を消す事になってしまいました。今になって思えば、もっと顧客のR&Dと一緒になって必要な技術開発に取り組めれば良かったのですが、そのように先取りを考える組織、機能が充実していなかったため、少なくともHDD市場においては残念な結果になってしまったという次第でした。

HDD以外のフィールドで上手くいったかというと、上手くいったところと上手くいかなかったところがあったのですが、それはまたおいおいお話する事にしたいと思います。

 

この続きはまた次回。

 

 

第69話につづく

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