連載小説 第67回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。お仕事は毎日忙しくやっているんですけど、運命の人、Appleの青井倫吾郎さんと、とうとう結婚しちゃいました。ステキです。うふっ。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第67話 67って何てことはない素数だっけ?

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の13年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。美味しい食事の連続で、私の見事な肉体(笑)は水平方向へ更に見事な成長をとげたものの、アップル・コンピュータの青井倫吾郎さんと遂に結婚しちゃいました!

 

「ねえねえ、トム君、そうこうしてるうちに、もう67回だよ

「ああ、67回だねえ」

「という事は100回まであと33回だよ」

「ああ、33回だねえ」

「ちょっとお、ちゃんと聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ」

「真剣味が足りないよ」

「そんな事はないよ。33回だろ」

「67回よ」

「はいはい、分かったよ、67回だから、あと33回で100回ね」

「そういうこと」

「だけど、なんで67回なんて中途半端な回数でそんな話するんだよ」

「いいじゃない、そんなこと。切りのいい数字だから素晴らしいだの、中途半端な数字だからどうって事ない、ってステレオタイプの発想じゃない? そんなんだから、創造性に欠けるって言われちゃうのよ」

「・・・」

「どしたの、黙って。何とか言いなさいよ」

「ふうむ・・・」

「なんなの、そのふうむって」

「いや、確かに舞衣子の言うとおりかも知れないって、今思ったんだよ」

「あら、そうなの、トム君?」

「うん」

「ようやく気づいた?」

「まあ」

「気づいたのね、私が天才だって?」

「いや、それは違うかも知れないけど」

「何よ、素直に認めなさいよ」

「うん、まあ、部分的にはそうかも知れないけど」

「何よ、部分的にって」

「あのさあ、舞衣子、何てことはない67って数字も、切りのいい数字と同列だって言ってるだろ?」

「そうよ」

「だったら、あと33回で100回とかって、おかしくね?

「え?」

「だから、100回まで33回とかってさ」

「なに?」

「だからさ、それって106回まであと39回とかってなら、まあ分かるけど」

「え?」

「だから、100回って、自分から切りのいい数字に拘ってるんじゃん?」

「あれ?」

「分かった、舞衣子?」

「え?」

「だから、何か都合のいい理屈言ってるのかな、って思ってさ」

「・・・」

「67回だから何だとか言い始めちゃったところで、引っ込みがつかなくなって、もっともらしい事を言っちゃったのかなって」

「そっか・・・」

「ま、いいけどな」

「え、ま、いい、ってどういう事?」

「ま、そういうこと」

「どういう事なの、トム君?」

「いや、あの、ま、そういう事だよ」

「ちょっと、私が天才って事は認めるの?

「ん、まあ、部分的に」

「何なのよ、それ」

「だから、創造性が大事って事だよな」

「そうよ」

「だからその部分は天才でいいよ」

「天才でいいよ、って何、その言い方? 真剣味が足りないでしょ」

「や、真剣にそう思ったよ。部分的に」

「部分的に?」

「だから、さっき言っただろ、100に拘って、変な理屈つけただろって」

「分かったわよ、もういい」

「え?」

「許してあげる」

「は?」

「だから、許してあげるって言ってるでしょ」

「はい?」

「解散よ、解散。今日はこれで解散。許してあげるから行きなさい、トム君」

「はあ、解散? そう、分かったよ。かしこまりました、女王様」

「でも、100回記念まではしっかり生きなさい、トムよ」

「え、何だよ今度は?」

「だから、それまでは生きていなさいって事」

「そりゃまあ、生きてると思うけどな・・・何なんだよ一体・・・」

 

どうして、このような展開になってしまったのか、まあ勢いでなってしまったのですが、トム君と話していると、私もつい調子に乗ってしまうんですね(笑)、すみません。で、ジョークを言い合っている積りが、ちょっと行きすぎると、こんな展開で、女王様と家来という事になってしまって(笑)。ま、お許し下さいませ、トム君。親しい間柄だという事の裏返しですよ。社会人になってからとはいえ、長い付き合いじゃありませんか。それに、今では、それぞれのパートナーと仲良くやっている訳ですからね。おっほっほ。

で、ですねえ、そのトム君なんですが、この大河小説の100回目に生きているかと言いますと、いかがなものでしょう。でも、ご心配には及びません。十分、生きていらっしゃいます、多分・・・。多分、などと申しますのは、このペースで進めば、100回の頃にはまだあと数年しか経っていないのではないかと思われるからでして、仮にこのペースがもし変わってしまったら、多分が多分でなくなってしまう可能性もあるという事ですね。ま、それはまだ誰にも分かっていませんが・・・。

さて、お話を進めていきましょう。

1992年頃の我が社の最先端半導体製品は1MビットのSRAM大規模ASICなどでした。CPUもDRAMも商品化できていなかったので、大手に比べると全く見劣りするラインナップではありましたが、デザインルールや集積度的には先頭集団のぎりぎり最後方くらいについて行っている状態でした。なので、この調子で頑張っていけば、いずれトップ集団のまんなかにも入れるのではないかという希望は持っていた頃です。ま、その希望もいずれ方針転換する事にはなるのですが・・・。

半導体技術は日進月歩でどんどん新しくなっていきました。日本の半導体産業の全盛期でしたね。

 

この続きはまた。

 

 

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