連載小説 第66回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任しちゃいました。食生活の変化で私の見事な肉体は更に水平方向へ成長しつつも、毎日忙しくやっています。Appleの青井倫吾郎さんと、とうとう結婚しちゃいました。最高!

 

 

第66話 受発注システムをどうにかして~

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の13年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。美味しい食事の連続で、私の見事な肉体(笑)は水平方向へ更に見事な成長をとげたものの、アップル・コンピュータの青井倫吾郎さんと遂に結婚しちゃいました!

 

新婚旅行を終えて、自宅に戻ってきたのは1992年1月1日の事でした。初日の出はメキシコのカンクーンで見ましたよ。ステキなHoneymoonになりました。

さて、1992年と言えば、どんな年か覚えていらっしゃいますでしょうか。

この年、ソニーがMDプレーヤーを発売。とうとう、デジタル音源が手軽にイヤフォンで聞ける時代になりました。カセットテープのウォークマンの時代から10年ほどで画期的な進化を遂げたのでした。ポータブルオーディオとしては実質的にモーターを使う最後の技術と言ってもいいでしょう。その後のソリッドステートメモリーやクラウドを媒体とするパーソナルオーディオに繋がるヒット作だったと思います。

記録媒体に注目してみると、この時代の技術の進歩がよく分かりますね。カセットテープから回転系の記録媒体に変わるところで、アナログからデジタルへの大きな変化があります。カセットテープの時代には、テープが伸びるとか、テープが絡まるとか、厳しい洗礼を浴び続けたものでした。また、カセットデッキのモーターの回転速度によって音程が微妙に変わるというアナログならではの難しさがありました。CDやMDが発明された時には、それらの厳しい洗礼から解放されたと心の底から喜んだものです。

更にこの年、カシオ計算機はGショックというブランド名で新たな腕時計市場を切り拓きましたし、伊藤みどりさんは三回転半を成功させてアルベールビル五輪で銀メダルです。そして驚いたのは、14歳にして「今まで生きてきた中で一番幸せです」と世間に公言した岩崎恭子さん。全くの無印だった彼女がバルセロナ五輪200m平泳ぎで突如スゴい泳ぎを見せ、まさかの金メダリストとなりました。衝撃的な優勝、衝撃的なひと言でした。

この年、国家公務員の週休二日制がスタート。今では当たり前になっている週2日の休日はこの年まで国家公務員には許されていなかった事を考えると、頭が下がる重いです。

一方、世間では徐々に髪を茶色に染める事が流行し始めました。茶髪という言葉が浸透するのはあと何年か経ってからのようですが、今では当たり前の事がようやくこの頃から始まったのでした。

ヨーロッパではECが発展的にEU(欧州連合)となるマーストリヒト条約が調印され、経済だけでなく、政治や司法の結びつきも強くなっていったのです。

米国では、民主党のビル・クリントンさんが大統領選挙に勝ち、共和党プッシュ政権の外交重視政策から経済重視政策に転換。重化学工業よりもIT・ハイテク産業に比重が移り、インターネットバブルが起こるきっかけになりました。8年間大統領だったクリントンさんが1998年にはちょっとした不適切事件を起こすのですが、それはまたその時にお話しますね。ちょっとHな事件でしたけど(笑)。

そんなこんなで1992年は過ぎていったのでした。私と言えば、相変わらずICの納期調整に追われる日々で、めまぐるしく大変でしたが、それはそれで大切な業務なのでした。毎日のように次から次へと問題が起こり、日本とやりとりをしなくてはなりませんでしたが、仕事がとても面白かった事は間違いありません。

この年の主力通信手段はあいかわらずFaxと電話でした。インターネット環境はまだ整っていません。電子メールもパソコン通信なるシステムによって存在していたような状態なので、一部の新しもの好きだけが使っていたような状況でした。会社組織としての通信手段にはまだなっていなかったのです。

受発注システムも電子化されていませんでしたので、SS-Systemsから日本の海外営業部へ送る注文書もFaxです。Faxの恐ろしい所は、無事届いたかどうかの確認が自動的にできるようなシステムにはなっていない事です。仕方なく、改めて別のFaxやら電話やらで確認を行うのですが、とてもアナログ的なやり方なので、間違いを100%なくすには限界があります。そのような状況を打開するためには、受発注を電子化する事だと、システム開発部門にシステム化をお願いしていたのですが、専門的に分からない事だらけだったので、お任せの状態になってしまい、なかなか進んでいきません。

発注した積りのオーダーが日本側には認知されておらず、暫くしてからそれが発覚して、「製造手配ができていない → 納期が確保できない → お客さんが困る → お客さんにられる」 というような事が何回かありました。それらの問題はやがてインターネットが解決してくれる事になるのですが、そうなるのはあと2~3年後の事でした。

今から30年も前のお話ですね。ICT的にはまだまだ黎明期の頃の事です。

この続きはまた次回。

 

 

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