連載小説 第151回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品の営業に携わっています。10年近くに及ぶ海外赴任(アメリカ、ドイツ)を経て、今は東京から海外市場をサポートしています。インターネット、IT機器、携帯電話など新しい技術や製品が日々生まれ、それらをサポートする我々の電子デバイスビジネス(半導体、液晶表示体、水晶デバイス)も大忙しですが、台湾や韓国などの新興勢力も台頭してきて、日本の電子デバイス業界も大きな影響を受けていました。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第151話 ハーバード大学の男子

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の24年生。文系ですが技術製品(半導体などの電子部品)の営業に携わっています。10年にわたる海外赴任生活(アメリカ、ドイツ)を経て東京勤務中。世界のIT産業はどんどん変化していくので、ビジネスも大忙し。我々の半導体の売上げも2000年にはサイコー!だったのですが、その後、状況は変化していきました。市場がどんどん動いていく中、我々の電子デバイス営業本部にも毎日のように変化が起こっていました。

 

年が明けて、2004年になりました。

2004年といえば、イチローが年間262本のヒットを打って記録を塗り替えたり、アテネオリンピックで北島康介選手が、「ちょー気持ちいい」と言ったりした年でした。

しかしながら、電子デバイス業界大河小説的にいえば、それよりも重要で革命的な事がハーバード大学で起こっていた年だと言えるでしょう。そうです、アメリカはマサチューセッツ州のボストンにある、あのハーバード大学です。

その頃の学生の一人が、画期的なアプリを発明したのです。その名も「Facebook」

そうです、ハーバード大学生のマーク・ザッカーバーグ君が、ハッキングをして得た女子学生の身分証明写真をインターネット上に公開し、公開した女子学生の顔を比べて勝ち抜き投票させる「フェイスマッシュ」というゲームを考案した事に端を発しています。これは大学内で大きな問題となり、ザッカーバーグ君はハーバード大学から半年間の保護観察処分を受けるに至ったという曰く付きの発明です。

ただ、これは、当時の(というか、普遍的に)青春まっただ中の学生にとっては、絶対手に入れたいと願う、「異性の顔写真入り名簿」のようなモノで、勝ち抜き投票は悪趣味でしょうが、絶大なニーズを電子的に具現化する革命的な発明だったという事は間違いないでしょう。

そもそも、「Facebook」という名前は、アメリカの一部の大学が学生間の交流を促すために、入学した年に提供している本の通称である「フェイスブック」(face book)に由来しています。それを電子化しただけですから、簡単な発明のように思われるかも知れませんが、その実、前例が殆どないアプリだったために、色々な意味で簡単な事ではなかったのだと思います。というのも、インターネットにおいては、情報の秘匿性や拡散性が本とは全く異なるため、SNSの社会的な影響を全く予想できなかったからです。そもそもSNS(Social Networking Service)などという言葉もまだ一般的ではなかった頃です。

当初の曰く付きアプリは、本人の承諾のないまま、個人情報が写真入りでインターネット上で公開されてしまうというものでした。そのような事の善し悪しの議論があまりされていなかった時代です。前例が少ないので、影響の大きさが分かっていなかったのでしょう。

こっそりハッキングした女子学生のデータを裏で共有して喜んじゃうというのは、いかにも若者(バカ者w)男子学生がやりそうな事です。ただ、思春期を一度でも過ごしてきた方なら、男女問わず、誰でも多かれ少なかれ経験があると思いますが、友だち同士で、あの娘とあの娘を比べたらどっちが可愛いとか、あの人とあの人だったらどっちがカッコいいとか、異性の方々を勝手に評価するという、しょうもない遊戯(笑)は殆どの人が通ってきた道でしょう。ザッカーバーグ君はそれをインターネット上で実現してしまっただけです。

それが誰にも知られないようにできているうちはカワイイものですが、世間に知れてしまうという事になると、それは誰かを傷つけたり、果ては犯罪的な事にまで繋がりかねない状況を作ってしまうのですから、放っておく訳にはいかない問題になります。

そんな経緯を経て、ザッカーバーグ君は2004年にハーバード大学の学生が交流を図るための「Thefacebook」というサービスを開始するに至ります。このアプリでは、本人が望んでアプリに登録し、顔写真を含む自分の情報を公開するという設計にしたため、個人情報公開に関する上述の問題はいったんクリアになりました。同意の上で学生たちが繋がる仕組みですから、若者たちのニーズは問題のない形で満たされる事になったと言えるでしょう。

このアプリは、非常に多くの人々の欲求を具現化するものだったため、瞬く間に世界へ広がっていきました。最初は、ハーバードの学生限定だったサイトが、数日後には、スタンフォード大学やコロンビア大学、イェール大学などの学生からの要望に応え、アイビー・リーグの学生にも開放されました。その後、徐々に全米の学生に開放され、学生生活に欠かせないツールとなったのです。

当時は大学のメールアドレス(.eduドメイン)を所有する大学生のみに参加が限られていましたが、2006年初頭には全米の高校生に開放され、2006年9月までには一般にも開放され、有効なメールアドレスさえあれば世界中の誰もが利用できるようになったという次第です。

SNSが社会に普及する先駆けとなったFacebookは、こんな具合に生まれたのでした。Facebookの発明から20年ほど経った現在においては、個人情報の取り扱いやSNS利用の基本ルールなどは、かなり共通認識として浸透してきていますが、当時は手探り状態だったのでしょう。

SNSは素晴らしいツールですが、いまだに、時として誹謗中傷のプラットフォームになってしまうなど、ネガティブな側面も解決されないままでいます。ある意味では、男子学生の女子学生への憧れによって生み出されたツールですから、そのまま 「カワイイもんじゃん」 の状態で活用されるツールであり続けて欲しいものです。

 

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