L.W.R.(34)古文書編#5 『IBMパーソナルコンピュータ』1983、アスキー監訳

Joseph Halfmoon

Chris DeVoney, Richard Summe著、菊池訳、1983年3月1日第1版第1刷です。定価2500円也(消費税無。)IBMが1981年8月12日に発表した初代PCの解説書の翻訳です。巨人IBMの業界参入を有名な”Welcome IBM”広告でAppleが迎え撃った?のはこのときのこと。

当時は、パソコン何それ、おもちゃでしょ、みたいな市場の中で、コンピュータ業界の巨人IBM(IBMと7人の小人みたいな言われようだった。小人さんはユニバックとかバロースとか。。。)が出してきたIBM-PC、The PC、5150 はとても有名です。

ある意味、IBMが参入するくらいだから「マトモ」な装置なんだよね、みたいな見方を「大人」がするようになったエポックメーキングな装置が5150だと思います。CPUはインテル8088。16ビットCPU8086のバス幅を8ビットに制限した「廉価版」機種です。インテルにとっても今日あるのもこの機種のおかげといえる機種。当時の「パソコン」はザイログZ80やApple採用の6502などの8ビット機が主流で80系の本家インテルの影は薄かったです。次世代の16ビットでは、モトローラ68000(巨大なDIPパッケージが恐ろしかった)やザイログZ8000など強力なライバルがいる中で、8ビットに毛の生えた?8086が勝利できたのはIBM採用のお陰でないかと思います。

しかし8086ではなく、8088を採用(実際にはIBMがインテルに8088作るように仕向けた)点で、当時のIBMのスタンスが分かります。

ともかく安く作りたい

8ビットバスに制限すれば、8ビット機並みのお値段で作れる。DRAMの個数も半分で済むし(当時のDRAMは1ビット幅が1チップ。)

私は、8088の設計に関係していたある人物から聞いたことあるのだけれど、86から88への設計変更は実質数日だったという話。8086は8ビット幅のバイトレーンにも元々対応できたので、6バイトあったプリフェッチキューを4バイトにした空き地にチョイ変で8ビットバス縛りのロジックを入れただけだったみたい。性能的には改悪。けれどこれがIBMの琴線に触れてご採用と相成る。多分、IBMのPCビジネスのチームも、きっと社内的にはあまり認知されない立場だったと想像されるので、ともかく「安く、早く」であったと思われます。

また、メインフレームであったら、自社で何から何まで揃えそうなIBMが、OSからアプリ、拡張ハードウエアに至るまでサードパーティ製品を積極的に受け入れたのもPCならでは。PC-DOS(MS-DOSのIBM版。MS-DOS自体、マイクロソフト内部起源ではなく、MSが外部から買収したものが起源)、CP/M-86(今は無き?デジタルリサーチ、このとき欲をかかなければMS-DOSなど無く、今もDRIの天下だった?)、UCSD p-System(ともかくカッコよかったけれど買えなかったです。後でよく似たTurbo Pascalが登場したとき、ようやく「買える値段だ」と思いました。)など、このご本に解説が載っています。

これが現在のパソコン、サーバ機などのハードウエアに血脈が続くご先祖となってしまうわけですが、その当時はまだ知る由もないです。

私は、このご本は購入したけれども、IBM-PC自体は多分触ったことないです。2代目、PC/XT(HDDを搭載した)も多分ないです。本気で使うようになったのは3代目PC/AT(80286機)から。

何といっても日本国内では、当時まだ強かった(世界最強だった?)日本の電機メーカーのPCがあり、80年代の途中までIBM系の米国式PCは直ぐには入ってこれなかったと記憶しております。実際、日本IBMもPC売っていた筈だけれど、5150そのものではなくて、日本専用の8086機でなかったかしらん(型番忘れました。)そうなってしまう理由が、

日本語表示

でしたね。その昔のキャラクタディスプレイにはCG(キャラクタ・コードジェネレータ)というものあり、これで文字フォントを画面に映しておりました。英文のフォントであれば、8ビットフォント、256文字分の小さなROMに収まってしまうのですが、漢字を出せといわれると、JIS第1水準、いや第2水準、フォントのサイズは16ドット、いやもっと美麗な、という塩梅でビデオ表示系は日本語対応に大変だったです。

そんなこんなで、参入障壁?があったわけですが、後に DOS/V と呼ばれたMS-DOSの派生?OSをIBMがリリース、ソフトウエアで日本語フォントの表示が可能となりました。一気に、内外の格差解消。以降は、大量に作られてくるPC/AT互換機(といっても既にCPUは80386の時代に入っていた)に日本産のガラパゴス化PCは追われてしまう、っと。

その結果、当時は風前の灯に見えた独自路線のApple以外は、世界中がIBM互換機の世界になってしまう分けです。まあ、本当に互換機メーカ多かったからなあ。とんでもなかった。

しかし、因果は巡るで、サードパーティを積極的に起用して市場の主導権を握ったIBMが、「クローズド」な体質を見せたころから、IBM互換機が市場を席捲しているのにIBMのPC自体はパッとしなくなっていった記憶があります。

この本の時代からそれほど後ではありません。PC/ATの後、IBM PS/2を発表したあたりでしょうか。OS/2 というプロフェッショナルなOSをしつらえ、素人っぽいMS-DOSや、MS-DOSの寄生虫状態だった初期のWindowsなどと比べて、堅牢でIBM的な重厚な世界を目指したのだと想像します。でもま、ダメだったのだな。結果的に。

この古文書には、その発端となるべきところが記述されておりますで。

なお、本書に出てくる表計算ソフトは Excel どころか、Lotus 1-2-3でもなく(マルチプランとかでもなく)、まだ Visicalc です。PCの発展に 表計算ソフトの果たした役割はとても大きかったです。表計算ソフトあってのPC。Visicalc、触ったことあるかもしれないけれどよく覚えていません。本格的に使ったのは Lotus 1-2-3 からかなあ。最初は 1-2-3って何よ、と思ったけど。

L.W.R.(33)古文書編#4『プログラミングとアーキテクチャ』VAX-11、CQ出版に戻る

L.W.R.(35)古文書編#6 『bit別冊 16ビット・マイクロプロセッサ』共立出版 に進む

P.S. 個人的には、古文書編#1のN-BASIC入門(1980)と、このご本(1983)の間でアスキーの社名が変わっているのが今になっての発見です。N-BASIC入門は「株式会社アスキー出版」、こちらのIBMパーソナルコンピュータは「株式会社アスキー」(でも「監訳」は「アスキー出版局」名だけれど。)そのころ、アスキーも出版だけじゃなくなった、ということかもしれないです。早くもバブルへの道の匂いを感じるのは私だけ?すんません。