連載小説 第86回 4ビットAI内蔵 “詠人舞衣子” の思い出

Momoe Sakurada
ペンネーム
桜田モモエ

<これまでのあらすじ>

サイコーエジソン株式会社の詠人舞衣子(よんびとまいこ)です。訳あって4ビットAIを内蔵しています。心理学科卒文系女子ながら先端技術製品のICを販売する米国現地法人のSS-Systemsへ赴任中。ビジネス環境にも大きな変化が起こり、インターネット、電子メール、Windows95と新時代を迎えていました。そんな中、夫の倫ちゃんに転職の話があり、でも倫ちゃんはちょっと脳天気で・・・。

(日本半導体の栄光と挫折?『詠人舞衣子』総目次はこちら

 

第86話 海外転勤できますか?

 

私、詠人舞衣子(よんびと まいこ)は、サイコーエジソン株式会社の16年生。文系ですが技術製品(半導体)を販売するアメリカの現地法人SS-Systemsへ赴任。運命の人、倫ちゃんと結婚して、仕事も生活も絶好調です。半導体事業も絶好調です。ステキな土曜日の朝、倫ちゃんからのお話は、転職の事でした。その倫ちゃんはちょいと脳天気なので、気合いを入れちゃいました。

 

「お~い、舞衣子~、戻っておいで~。」

そう言って倫ちゃんは私の目の前で手を振っています。別に私は病気でも何でもないんです。倫ちゃんにもう少し真剣に二人の事を考えてもらいたいだけです。

「分かりました、倫太郎さん。5分間のシンキングタイムといたしましょう」

私は、わざと杓子定規な言い方をしました。

「ここにPost-itと呼ばれるメモ用紙がございます。5分間で、どのような方向で進めれば良いか、いくつでも良いので案を書いてみてください。ブレインストーミングで結構ですから、色々考えてみましょう」

「OK、舞衣子の言うとおりにやってみよう」

私は、倫ちゃんの煮え切らない態度への不満はいったん棚上げにして、前向きな課題解決の方法を提案したという次第です。もう、倫ちゃんたら、「舞衣子と一緒にミュンヘンへ行きたいのだけれど、舞衣子もやりたい仕事をできる良い方法を一緒に探せないだろうか?」 とか前向きで明確な事を言えばいいのに、ぷんぷん。

さて、5分後に出てきた二人のブレスト案を整理すると以下の通りでした。

 

Option 1  倫太郎 ミュンヘンのソミーの責任者のポジションを受ける。二人で移住する。舞衣子はできればサイコーエジソン株式会社のミュンヘンへ異動。

Option 2  倫太郎 ミュンヘンのソミーの責任者のポジションを受ける。二人で移住する。舞衣子がサイコーエジソン内の異動が不可ならば、残念ながら退職して、現地で職探しする。(きびし~)

Option 3    倫太郎 ミュンヘンのソミーの責任者のポジションを受ける。舞衣子はサンノゼに残る。遠距離結婚生活をする。(そんな~)

Option 4    現状のまま、ふたりともシリコンバレーで仕事。(変化なし~)

 

まあ、整理してみればそれだけの事なのですが、3の別居生活はやっぱりないかな、という事で却下。4は倫ちゃんの望む未来ではないし、私にとっても現状維持なだけなので、可能かどうか分からないけれど、Option1にトライするのでどうか、という話になりました。

Option2に関していえば、私にしても、楽しく15年以上勤務しているサイコーエジソン株式会社を辞める、しかも海外赴任中に、という選択肢は非常に難しいと思わざるを得ません。そもそもサイコーエジソン株式会社が好きですし、辞めたい訳はないのです。従って、2も望むところではないので、結局1か、それがだめなら、振り出しに戻ってしまうけど現状維持の4しかないかなあ、という合意に落ち着きました。

方針が決まれば、次は行動です。

週明けに早速私は勝社長に相談に伺いました。かくかくしかじかで、かくかくしかじかなので、サイコーエジソン株式会社のミュンヘン現法へ異動する事はできないだろうか、と聞いてみた次第です。まあ、そんなに簡単な話ではない事は分かっていましたが、勝社長は、事情はよく分かったが、ちょっと時間をくれ、という事でした。それはそうです。勝社長がヨーロッパの責任者ではないのですから、即断即決などできる訳はないのです。つまりは、日本の半導体事業部と営業本部とミュンヘンの責任者に打診して合意を得ない事にはこの話は進みません。最終的には本社人事にも確認が必要です。

一方で、倫ちゃんもソミーのオファーに対してある期日までに返事をしなくてはならないので、長くは待てない状態なのでした。

まあ、やるべき事はやったので、あとは結論を待つだけだという事になりました。

で、どうなったかと言いますと、思いのほか、あっけなくOKが出たのでした。ヨーロッパ方面の状況は詳しくは理解できていなかったのですが、ここ暫くで急激に立ち上がってきた携帯電話市場向けにビジネスが伸びていて、現地と日本を繋ぐ役目の人財が必要になっているとの事でした。特に日本へのオーダーとデリバリーの確保が課題となっており、まさに今、私がSS-Systemsでやっている仕事とほぼ同じ内容でした。ふむふむ、それならば、場所が変わるだけで、すんなりフィットしそうだし、ヨーロッパでも、まあまあ役に立てそうだな、という将来像を描くことができたので、これはいいぞ~とポジティブな気持ちになれました。

話はトントン拍子に進み、私は6年近く暮らしたシリコンバレーを離れ、夏頃には倫ちゃんとともにヨーロッパはドイツのミュンヘンへ転勤する事になったという次第です。

トム君には、この顛末を早い段階から相談していました。同期入社で同じに営業部に配属され、同時期にアメリカへ赴任して、リエゾン部門で一緒に仕事をしてきた間柄ですから、一番の理解者ですし、信頼し合っている間柄です。

「良かったなあ、舞衣子、ミュンヘン転勤が叶って」

「ま、何か流れが良くてラッキーだったよね」

「ああ、ちょうどヨーロッパのビジネスも伸びてきているからな」

「色々お世話になったね、トム君」

「ああ、色々お世話したよ(笑)」

「アメリカの事は任せたから、宜しくね」

「おお、任しておいてくれ」

「ちょっと淋しいね」

「ああ、ちょっとな。舞衣子も倫太郎さんとミュンヘンで仲良くやれよ」

「うん。いつも仲良しだよ(笑)」

「それはごちそうさま(笑)」

「トム君、またどっかで会えるよね」

「ああ、心配する事はないよ。ヨーロッパとアメリカと離れていても、同時期に日本へ出張する事もあるだろうから、また工作と3人で飲みに行こうぜ」

「うん、約束ね」

これで、長い間お世話になった同期のトム君ともお別れかと思うと、ちょっと感傷的な気分になりました。唯一、入社以来15年以上もずっと同じ職場で働いてきた人ですから、特別です。とうとう違う職場になるのか、と思うと淋しいのと同時に、近くにトム君がいなくなる事が不安になりました。それだけ、いつでも頼りにしてきていたのです。

でも、長い人生、いつまでも同じところに留まっている訳にはいきません。

旅立ちの時が近づいていました。

 

 

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